阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

セロリ栽培・日本はじめて物語。  セロリ今季初収穫 陽気で例年より早く 信州・茅野  長野日報         

2023年05月10日 | 諏訪便り

 2023年5月9日 6時00分    みずみずしいセロリを箱に詰める矢島さん

茅野市玉川上北久保の農家、矢島敬一さんのセロリ畑で8日、JA信州諏訪管内で今季初の収穫作業が行われた。

昨年末に種をまき、今年3月、約50アールのビニールハウス内に苗を定植した。

燃料費高騰に苦慮しながらも「春先の暖かな陽気に助けられて苗づくりが成功し、例年より5日ほど早い出荷」(矢島さん)という。

初日は約1・2トンを収穫。妻の淳美さんら家族の息の合った共同作業で株を手際よく刈り取って袋に入れ、丁寧に箱に詰めた。

春の収穫は来月中旬まで続き、秋まで2回の作付けで計約50トンの出荷を予定しているという。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


セロリ栽培・日本はじめて物語  

戦前、日本では野菜のセロリ(Celery/和名・オランダ三つ葉)は殆ど知られていませんでした。

☆ 日本が太平洋戦争に敗けた後、米軍(英、豪州軍も)が日本各地に占領軍として数多く駐留しました。

占領軍のトップであるゼネラルマッカーサー始め米軍将兵は生の野菜をサラダで常食するのでその材料の調達が毎日毎日必要でした。

しかし日本に新鮮な野菜はありましたが、生で食べる事が出来る野菜は調達出来ませんでした。

なぜなら、当時の日本では、殆どの野菜農家は日本列島太古からの伝統リサイクル黄金肥料(早い話が人糞肥料)もかなり使っているのがわかったからです。

戦前の日本では今の中国、台湾人と同じで野菜を生で食する習慣は一般家庭では殆どありませんでしたし、

日本人は昔から低コストで資源の有効活用をしていたのです。

止むなく占領軍の調達部は日本政府に命じ、清潔な環境で化学肥料のみを用いて野菜を作らせるようにしました。

米軍調達部”野菜栽培Cord”で作らせた野菜の中には、ジャガ芋、ニンジン、キャベツ、玉葱、などに交じって彼らの好物ではあるが、

それまで日本ではあまり栽培された事が無い種類がいくつかありました。

その一つにセロリがありました。

当時の農林省は、アメリカ本国でセロリを栽培している土地の気候風土を調べたところ、

寒冷地が適地であり、朝夕と昼間の気温差が大きく、カラッとして湿度が低い土地に良質のセロリが育つという事がわかり、

北海道や長野県で試験栽培しました。

長野県で栽培されたのは八ヶ岳の麓の高地で、現在の茅野市や今ペンション村で知られる原村あたりがその中心です。
 
色々と試行錯誤の結果、アメリカで取れるセロリ並みの品質のものが出来るようになり、

苗の生育、成長途中、取入れ、洗浄、梱包、輸送と米軍検査部門の厳密な検査にパスし関東、中京地区の米軍駐屯地へ出荷されるようになりました。

その輸送箱にはわざわざ「清浄野菜」というラベルが貼られて出荷されました。

日本の普通の八百屋(日本にスーパーが出現する10数年前の時代です)で売られて、我々の親や我々が日々食した野菜は、

彼らにとっては清浄ではなかったのですね。
 
☆ 中学校の夏休みに母の里の八ヶ岳山麓の旧玉川村・穴山へ四日市から遊びに行って、

始めてセロリに 出会ったとき、セロリが積んである土間へ入ると、あの独特の匂いが漢方薬の匂いのようだと思いました。

ただしその後長い間セロリは四日市の家の近くの八百屋では見かけませんでした。

そして時代が下って、セロリも徐々に人に知られるようになり、関西でも万博以降

マーケットにも少しづつ出回るようになり、今ではどこのスーパーでも売られている野菜になりました。
 
茅野市の玉川地区菊沢の私の母方の従兄はもう何十年もセロリ専業農家をやっていますし

また諏訪地方ではセロリは、ごく普通のポピュラーな野菜として味噌汁の具や漬物にも使われて良く食べられています。
 
洗ってマヨネーズをつけて一本そのままバリバリ食べるのと、漬物にしたセロリの浅漬けは私の大好物の一つです。

諏訪・茅野地区は寒天や凍豆腐(高野豆腐)の産地でもあるほどの寒冷地なので、お米の単位あたりの収穫量は良くない土地ですが、

セロリは東京という大消費地へ出荷が出来る夏季の有利な近郊野菜として栽培が長く続いています。

恐らく今でもセロリの出荷額では日本の中では長野県がトップだろうとおもいます。

*最初に農林省から試験栽培を言われた農協の一つの組合長をしていた母の兄である伯父と一緒に、

日本で最初にレタス栽培導入に携わり、今も専業でレタスを作っている従兄から今回の前半の話を聞きました。

♪ところで昭和20年代後半の朝日新聞に連載された「ブロンディ」というアメリカ家庭漫画があり、

亭主のダグウッドが会社で弁当を食べる場面で、紙袋からパンとは別に、白くて長いものを出してかぶりついている場面がよくあり、

あれはなんだろうと長年思っていたのですが、あるとき

「ひょっとしてセロリじゃないか」と思い当りましたがどうなんでしょうか。

    「阿智胡地亭便り #28  2003.7.14 記」  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

05月09日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年05月10日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年04月04日(月)のブログ]

2023年05月10日 | 東日本大震災ブログ
  
2011年04月04日(月)
宮崎駿監督、大震災への思い語る

宮崎です。こういう発表会(主題歌発表記者会見)をやるのがいいかどうかという問題があったんですが、あえてやろうと思いました。今このときも埋葬もできないままがれきに埋もれているたくさんの人たちを抱えている国で、しかも今、原子力発電所の事故で国土の一部を失いつつある(可能性もある)国で、私たちはアニメーションを作っているという自覚を持っています。

 自分たちはとにかく停電になっても仕事を続けよう。なぜなら郵便配達の人は郵便を配っているし、どんなに渋滞が起こってもバスの運転手はバスを放棄しないで待っていますから、我々も仕事を続けようということで。コンピューター関係は電気が落ちるとちょっと混乱が起こるもんですから、いろいろ体制を考えて夜勤体制にしましたが、絵を描く方は停電になっても窓際でも描けるから、鉛筆と筆のセクションはとにかくこのまま仕事を続けるという体制でやってきました。

 それともう一つ。今、この歴史的な事件をはさんで自分たちの作ろうとしている映画がこの時代の変化に耐えられるのかどうか、というのは僕らの最大の関心だったんです。私は企画と脚本しかやっていませんので、映画の出来上がりについてはよく分かりませんが、今この企画を自分たちが作っていたのは間違いではなかったというふうに思っています。

▼一問一答

――「この企画が間違っていない」と思った理由は。

 流行(はや)っているものはやらない、というのがジブリの誇りでした。しかし、あまりにも自分たちを取り巻く(世界)、自分たちの生活そのものもよどんできて、不安だけが(途切れなく流れる)通奏低音になっているような時代にいったい何を作るのかということを自分たちは問われているんだと思います。そういう意味でこのヒロインの海という少女の願いや少年の雄々しく生きようという気持ちはこれからの時代にも絶対必要なものだと思います。

 残念なことに私たちの文明はこの試練に耐えられない。だからこれからどういう形の文明を作っていくか、ということの模索を始めなければならないと思います。誰のせいだとかあいつのせいだとか言う前に、敬虔(けいけん)な気持ちでその事態に向き合わなければならないと思います。今、何十万の人間が寒さに震え、飢えに震え、それから放射能の前線に立っているレスキューや自衛隊員や職員のことを思うと、その犠牲に対して感謝と……、誇らしく思います。文明論を軽々しく語る時ではない、敬虔で謙虚な気持ちでいなければならないと思いますが、この映画がこの時代に多くの人たちに何かの支えになってくれたらうれしいなと思っています。

――震災が今後の作品にどう影響を与えるか。

 実はもう次の自分の作品の準備に入ってまして、その作品を全く変更する必要がないというので胸を張ってやれると思ってます。まぁ、この年(70歳)ですから思ったように手は動きませんが、この企画を進めていこうと思います。ただ、物質的な条件やいろいろな条件がこれから変化するでしょうから、前と同じような感じで映画を作り続けることができるかどうかは、まだ私たちは分かりません。それでもそれに向かって進んでいこうと思っています。

――被災地の人たちへの支援の予定はあるか。

 具体的にもうすでにプロデューサーを通して、できる限りのことはやっています。それからいろいろな計画もありますが、それはプロデューサーの方から機会があれば報告すればいいと思います。一番必要なところに一番必要なものを届けるしかありませんから。今、感傷的にただお金を出せばいいということではないと堅実な方法を選ぼうと思っています。もうすでに始めています。

――監督は以前の映画「崖の上のポニョ」で水没で被災した人々を、住民が大漁旗を掲げた船で助けに行くシーンを描いた。どんなときでも明るく頑張ってほしいとの希望をこめたと語っていたが、今、改めてこういう状況(震災や津波)が起きて、どんな思いか。

 私たちの島は、繰り返し繰り返し地震と火山と台風と津波に襲われてきた島です。それでも実はこの島は、非常に自然の豊かな恵まれた国だと思います。多くの困難や苦しみがあっても、もう一度、もっとより美しい島にしていく努力の甲斐のある土地だと思います。今は本当に、埋葬されない人をいっぱい抱えながら、あまり立派なことは言いたくありませんが、この自然現象の中で国を作ってきたわけですから、そのこと自体を僕らは絶望したりする必要はない。むしろ「プロメテウスの火」(原子力)をどうコントロールできるのか。本当に国土の一部を喪失しつつある事態になりつつありますから、この事態にどう対応できるのかが問われている。私はもうこの年ですから、この土地から一歩もひかないと決めています。

 風評被害とか、乳幼児の水については本当に配慮しなきゃいけないのに、僕らと同じような年の人が水のビンを買いに並ぶなんてもってのほかだと思います。人民の愚かさもマスコミは糾弾してほしいと思います。僕がいつもパンを買うパン屋のおやじは、地震の翌日からいつもより早く起きてパンを焼いてくれて、スーパーに並ぶ人たちがパンが買えないという日でも、僕はパンを買うことができました。このパン屋のおやじや、それからいつも差し入れにお団子やお菓子を買う店も作り続けてくれている。だから僕らも映画を作り続けようと思います。

 今、僕は文明論的に高所からいろんなことは語りたくない。死者を悼むところにいたいと思います。  日経から引用

 
今朝の河北新報web版一面 
南三陸、集団2次避難開始 1000人が宮城3市1町へ(06:10)

屋内退避圏の南相馬沿岸部 地域住民が自主捜索(06:10)

花見山、原発風評で閑散 福島、露店・関連イベント中止(06:10)

福島第1 特殊シートで建屋遮蔽 政府、東電に検討指示(06:10)

家族8人、私だけ生き残った。 がれきの自宅、思い出探し(06:10)

宮城・南三陸集団2次避難 葛藤抱え苦渋の決意(06:10)

連携プレーで心肺停止の女性救命 仙台の避難所(06:10)

気仙沼、湾最大10メートル深く 大阪市立大調査(06:10)

特産2ブランド壊滅 宮城県南沿岸部の亘理・山元(06:10)

がれき自主撤去、待って 費用負担、国の方針未定(06:10)

住宅再建に最大252万円助成 宮城県の被災者支援策(06:10)

サイト
 
原発増設計画を提出した。  東京電力はお役所以上のお役所

☆東京電力は株式を発行しているので誰でも民間企業だと思う。


しかし東電が3.11以降にやっていることを見ると、東京都庁や大阪府庁のような大組織の官庁と同じで、

組織運営を全くの縦割りでやっていて全体を見通す経営機能がない。

職員による職員のための職員の官庁。顧客第一という考えが全くないから官庁の前例踏襲と同じで、説明なしで前月分の電力代金額を平気で請求し引き落とす。

個人の家では2月の電気代は一年でも一番暖房費に電力を消費する月で、あとで相殺されると言ってもその金額は痛い。

普通の一般企業なら、金額が確定できない場合、半額徴収をお願いするくらいのところだろう。

企業経営と言う概念がない東電という大組織では、縦割りの部門の一つが「供給計画」を担当し、

今の状況下でも経営者のチエックがない公式文書が平気で“例年通り期日までに”国や県に提出される。

聞かれれてもエっ、決まっていることを当然やっただけですが、それが何か?と言うのが本音だと思う。

普通の会社なら誰か一人くらい、「いや、今年は増設計画を出すのはマズイんじゃないㇲか」という社員がいるもんだ。

東京電力には社員がいない。いるのは粛々と前例を踏襲する官庁の職員だけだ。経営者はすごろくの上がりの名誉職であって、

東京都の知事職のように「御神輿に上手に担がれる」人なんだろう。

平時は、官庁そのものは頭がなくても手足がしっかりしていればまわっていく。

しかし非常時に頭がない無責任組織ほど怖いものはない。
上は右往左往し、下はひたすら下りてくるはずの指示を待つ。

そんな無責任な組織と人が“原子力発電”を動かしている、ことが
今回骨身に染みてわかった。遅すぎるけど・・

独占企業はほっておけば中国や旧ソ連の国営企業と同じく、役所化する。日本の電力会社も同じ道を歩いてきたことが今回の大事故ではっきりした。

今回の原子力発電事故は東京電力の一発電所の放射能問題ではない。

風と海で伝わり、「宇宙船地球号」を損傷させる事故だと思ったほうがいい。

解決能力のある地球上の人材を全て集めて、やれること全部やって出血を早く止めるしかない。

以下NHKニュースサイトから引用。

東電 供給計画に“原発増設”
4月2日 19時43分

福島第一原子力発電所の事故による深刻な状況が続くなか、東京電力が、国に提出が義務づけられている電力の「供給計画」に原発の増設を例年どおり盛り込むと福島県に伝えていたことが分かりました。県側は「県民感情を逆なでする」として強く反発していますが、東京電力は「震災前に取りまとめた計画で、影響を反映させることができなかった」と説明しています。

電力会社は、今後の電力需要の見通しや、新しい発電所の建設などを示した「供給計画」を毎年3月末までに国に提出するよう電気事業法で義務づけられていて、東京電力は平成7年度から福島第一原発の7号機と8号機の増設計画を盛り込んでいます。福島県によりますと、第一原発で深刻な状況が続いていた先月26日に、新年度の供給計画にも例年どおり7号機と8号機の増設を盛り込むと東京電力側から伝えられていたことが分かりました。これに対し、県側は「事故の影響が広がるなかで県民感情を逆なでする」として強く反発しています。

東京電力の供給計画は、法律に基づいて先月31日に7号機と8号機の増設計画を盛り込んだまま国に提出されましたが、資源エネルギー庁は「震災の影響が反映されていない」として公表を見送っています。福島県の野崎洋一企画調整部長は、「最終的に供給計画に盛り込まれたかどうかは確認していないが、事実だとすれば憤りを感じる」と話しています。NHKの取材に対し、東京電力では、「計画は震災の前に取りまとめたもので、影響を反映させることができなかった」と説明しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする