阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

亀戸中央通り商店街の松竹庵の蕎麦が旨かった。

2023年05月09日 | 食べる飲む

連休の某日 旧中川のふれあい橋を渡り、江東区の亀戸中央公園を突っ切り亀戸中央通り商店街の10割そばの「松竹庵」を目指した。

桜海老のかき揚げ天せいろを頼んだ。

文句なしの旨さで二人は大満足だった。いきつけの蕎麦屋さん「愛知」と同じ通りの反対側方向のこの店もリピーターになるのは間違いない。

二つの蕎麦屋さんは広大な亀戸中央公園の右と左に位置するから 相当離れていて互いが競合することはなさそうだ。

端午の節句の柏餅とお赤飯を「松月」で買って帰った。戦後からあるこの店での手作りの昭和の味は、コンビニの味と違ってシンプルでまろやかに感じた。

行きは家から店まで歩いたが 帰りはJR亀戸駅から電車に乗って帰った。   歩行数 6830歩 歩行距離 4.1㎞

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中央通り商店街は・・・・・・

亀戸五丁目中央通り商店街は江東区亀戸五丁目のほぼ中央を明治通りから東武線踏切先まで東西660メートルの商店街です。

戦前は通り中程に映画館(亀戸館)があり、亀戸館通りと呼ばれていました。


東京大空襲で亀戸五丁目は一面焼け野原になりましたが、戦後いち早く復旧、「亀戸五丁目中央通り会」として活動を始めました。

昭和30年代から40年代と戦後経済の発展と共にめざましい発展をとげ、平成元年「亀戸五丁目中央通り商店街振興組合」として法人化、

亀戸錦糸町副都心計画」の一環として環境整備事業に着手、平成5年、街路灯・アーチ・カラー舗装が完成、下町亀戸の誇る商店街として生まれ変わり、

地元亀戸の皆さんの毎日の生活に密着した商店街を目指し活発な活動をしています。  引用元

亀戸5丁目中央通り商店街の5月

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東京23区をそれぞれの区の平均所帯年収で見る「東京23区×格差と階級」という本を読んだ。  今 首都東京圏のどこで生きていますか??

2023年05月09日 | 乱読は楽しい

図書館で予約を申し込んでから 2か月ほどかかって ようやく読むことが出来た。本の存在は書評誌で知ったが 書名に惹かれて 興味を持っ人が多いようだ。

パソコンの前でこねくり回して作った本ではなく 実地調査の数値を用いて作られているので なるほどと思わせられて面白く読み進めた。

 明治維新から敗戦の年 昭和20年まで77年間 東京は帝都と呼ばれた。そして昭和20年から今年まで77年間は 首都・東京と呼ばれている。

江戸時代からすれば 合せて154年かけて日本人が作ってきた「東京」を それぞれの区に住む都民の 今日現在の「平均所帯年収」を切り口にして分析総合した面白い本だ。

 この切り口を使えば 日本全国いずれの市町村にも 日本と言う国には格差と階級があると思うが この本は日本の首都である❝東京❞に焦点を当てた。

   文中から一部⇒「東京を構成するそれぞれの地域も、その社会的・経済的特質によって、社会的空間の中に位置づけられるだろう。

都心のタワーマンションや歴史のある住宅地、名の知られた山の手の丘の上の住宅地などは、頂点に近いそれぞれの座標に位置つけられる。

これに対して住工混在地域としての歴史を持ち所得水準の低い下町のはずれの地域は底辺に近い場所のそれぞれの座標に位置づけられる。

こうして人々と地域が社会空間に位置づけられたときある人の住む地域はその人の社会空間における位置を表すものになる。

・・・・「どちらにお住まいですか」という問いは、地理的空間における居住地を尋ねる問いであると同時に、社会空間における相手の住所を尋ねる問でもある。

 

 

 

 

 

 

 この本を読んで 「金融資産の格差」の外に「文化資産の格差」という概念を知った。この資産の格差は世代を経るにつれ広がってゆくのだが

日本国がG7の諸国の中で国の予算の「教育費の比率を一番低い」ままおいてよしとする政策が続き 国民がそれにおかしいと声を上げないなら

日本における人間間の文化資産格差も広がっていく。

出版元の紹介文 

田園調布や六本木ヒルズ、山谷地区やシャッター通り、ホームレスが住む公園まで。東京23区内をほんの数キロ歩くだけで、その格差の宇宙が体感できてしまう。

東京は、世界的にみて、もっとも豊かな人々と、もっとも貧しい人々が住む都市だ。

そんな階級都市としての性格を強める23区の姿を明らかにし、そこに潜む危うさをいかに克服するかを探る。

◎ ブログ本記事掲載初出 2022年4月19日

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 ◎ 2023年5月9日追記

データに基ずく分析が興味深く、面白く読んだ。この本の内容は東京23区の土地の位置の歴史と現代の東京23区の位置からくる社会格差をするどく捉えている。

その捉え方の一方、他都市から若い世代が次々流れ込む東京という都市は、時代の変遷とともに、土地の価値判断基準もまた変わっていっているなとも思う。

 そして神戸市の東部からあるご縁で、後期高齢者になっての歳で東京23区の最東部の区(住工混在地域としての歴史を持ち所得水準の低い下町のはずれの地域は

底辺に近い場所のそれぞれの座標に位置づけられた)に住むことになった年金生活者の身からすると、歩いて10分の範囲に歯医者や内科など医院が五つあり、

区役所の支所、郵便局があり、コンビニも五つ、また商店街には五分で行け、また広大な緑の公園にも近く 旧中川と荒川に挟まれた中洲にある

住宅工場混在地の現在の下町の鉄筋長屋つまり集合住宅の生活は暮らしやすく感じる

    ちなみに現在のところ、県民の人口は少ない順に鳥取県の54万人次いで島根県66万人 高知県68万人 徳島県71万人、福井県の76万人だ。

ところが江戸川区の人口は 2023年5月1日現在、689,042人だ。人口だけで言えば江戸川県が出来てもいいほどだ。

 県の知事と東京都の一区長が同じような規模の人口を統制しているというのは不思議だ。

しかし自分の選挙区の範囲しかものを考えない衆参両院の国会議員たちは、だれも日本の国家全体の課題などは考えない。

 戦後78年になる日本の県や都・府・道などの行政区の制度は、実体に合わせた見直しがもう必須の時期になっていると思うが。

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「七人の侍」と「荒野の七人」、  10代後半にこんな映画を楽しめたのは幸せだ!    

2023年05月09日 | 音楽・絵画・映画・文芸

『七人の侍』は、東宝が1954年(昭和29年)4月26日に封切り公開した時代劇日本映画である。監督は黒澤明。白黒、スタンダード、207分。

Wikipedia こちら

勘兵衛が、久蔵が、菊千代が、平八が、七郎次が、勝四郎が、五郎兵衛が、走りに走りそしてまた走る。

映画「七人の侍」をBSの再放送で見たが、いつ見てもこの映画で走る侍の姿の美しさに感動する。 

大小2本の刀を左腰にたばさむゆえに、腰を少し落とした姿勢のままで当時の侍は疾走した。

野球のバットと同等かそれ以上の長さと重さのものを腰に差して走るのだから、訓練なしでは普通に歩くことも出来ない。

江戸時代まで日本人は、腰(はら)が平行移動する「なんば歩き」をしていた。その頭の上下動のない侍たちのなんば歩きの疾走は、

おそらく能舞台での能役者の動きに通じるものがある。

 「なんば歩き」は「難場歩き」の謂いという。つまり踵から足を下ろし親指で前へ蹴りだす、靴を履いた時の歩き方ではなく、

柔らかい草鞋を履いて、舗装のないどんな“難場”の地道でも歩くに適した歩き方を言う。

面白いことに三船敏郎演じる菊千代の走りは他の六人とは違って現代の我々のようにバタバタと走る。

菊千代は百姓上がりの男という設定のせいだろうか、あるいは長刀を肩にかけて走るせいだろうか。

  この映画の凄腕の剣客、久蔵役をやった宮口精二という俳優の決闘の場面は鳥肌が立った。今も宮口精二は印象深い。

  (2009年02月09日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載)

映画『七人の侍』(1954)予告編

『荒野の七人』(原題: The Magnificent Seven)は、1960年のアメリカ合衆国の映画。

黒澤明監督の日本映画『七人の侍』(1954年)の舞台を西部開拓時代のメキシコに移して描いたリメイク映画である。詳しくはこちら

七人の侍の西部劇バージョンも楽しみだったが、当時毎週見ていたアメリカの30分テレビシリーズ番組のそれぞれの主演俳優が出ていることでも

見逃すわけにはいかなかった。

The Magnificent Seven • Main Theme • Elmer Bernstein

   ブログ掲載初出  2014年6月16日

 

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05月08日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年05月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年04月03日(日)のブログ]

2023年05月09日 | 東日本大震災ブログ
3月24日に飛行機から撮影された福島第一原子力発電所の動画

GIGAZINEから引用・・世界中の政府によって公開することが禁じられている機密文書・写真・情報などを自由に入手できるための場として

1996年より活動している老舗サイト「Cryptome」が、福島第一原発に関する写真やムービーの公開を始めました。

情報が公開されているのは以下のページです。
Fukushima Daiichi Nuclear Plant Hi-Res Photos (cryptome.org)

 
消防隊員と自衛隊員の前線   会議場の外で

☆いずれも取材は雑誌「フライデー」による。

○消防隊

一部引用・・

午前1時頃、駐車スペースで後かたづけをしていたある隊員はこう語った。

「確かに私たちは東京の消防隊員です。しかし、私たちはそれ以前に、日本の消防隊員であると思っています。

急な出動だったので、家族には会えないまま出かけてきました。子供はまだ小さくて私の任務を理解出来ません。

ただ、電話口で妻に抱えられながら『パパ、頑張って』と言ってくれた。その声を聞いた時、家族のためにも、この任務を全うしなければならないと思いました」

彼らの命がけの戦いに少しずつ成果があがってきている。ハイパーレスキュー隊は、22日午後3時からも、

大阪市消防局と連携して3号機に約150tの海水を放水。自衛隊も連日、4号機への放水を続けた。

そして、放水活動と平行して3号機の電源復旧作業を進めていた東京電力が22日午後10時、ついに3号機中央制御室への通電に成功したのだ。

曖昧な情報発信を続ける東京電力、政府への国民の怒りは収まらないが、消防のプロフェッショナル、ハイパーレスキュー隊員たちの寡黙な闘いは続く

全文はこちら

○自衛隊

一部引用・・

「ある家に入ると、ふすまが床に倒れていました。ひっくり返すと、お婆さんが横たわっている。外傷もなく、眠っているような状態だったので、

肩を叩いて声をかけたが応答がない。そこで、両手で頰を挟むようにして、お顔をこちらに向けたんです。すると、口の中から大量の泥が出てきて・・・」

陸上自衛隊東北方面隊(本部・仙台)に所属する井上健一郎さん(仮名。以下同)はそう言って声を詰まらせた。

1週間で約2万人。自衛隊が、東日本大震災で救助した被災者の数である。

今回の災害救援活動でその評価を一変させた彼らだが、その〝代償〟は小さくなかった。

最前線に急行した〝世界で唯一、救った命のほうが多い軍隊〟を待っていたのは、車の中を覗いても玄関を開けても必ず遺体を目にするような、文字通りの地獄だった。

井上さんと同じ東北方面隊に所属する藤原勲さんは、震災翌日から岩手県釜石市付近で捜索活動に従事していた。

「今回の任務を厭う気持ちはまったくありません。家族も『とにかく、一人でも多く救って』と送り出してくれた。

海岸や住宅地を回り、『どなたかいらっしゃいませんか?』と、ひたすら声をかける。

棚が倒れていれば、丁寧に起こし、冷蔵庫の中も確認する。何もないことが確認できると赤い布を建物の外壁にかけて、遺体を見つけたら、

赤い布の付いた棒を側に刺していく。

全文はこちら

  
3.11以降、変わることが出来る?変わらなければ。

一部引用・・

近代150年を振り返ると、「植民地化の瀬戸際」と「敗戦の焦土」という亡国的な危機において、

日本人は例外的に、ほとんど奇蹟的と言ってよいほどに適切にふるまったことがわかる。

そして、二度とも、「喉元過ぎれば」で、懐具合がよくなると、みごとなほどあっという間にその賢さを失った。

「中庸」ということがどうも柄に合わない国民性のようである。

今度の震災と原発事故は、私たちが忘れていたこの列島の「本質的な危うさ」を露呈した。

だから、私はこれは近代史で三度目の、「日本人が賢くふるまうようになる機会」ではないかと思っている。

私たちは地球物理学的にも、地政学的にも、つねに一歩誤れば国を失うような危険のうちで生きている。


そのことを念頭に置いて社会システムを制度設計していれば、「こんなこと」は起こらなかった。

「こんなこと」が起きたのは、そのことをすっかり忘れていたからである。

だから、日本人はこれで「眼を覚ます」だろうと私は思っている。

文 内田 樹 「兵站と局所合理性について」全文はこちら

 
 
 
福島民友新聞の今朝のweb版一面
全、半壊と原発30キロ圏内の世帯に県が3万円支給(04/02 08:30)

●天栄牛肉、再検査で「安全」 原乳は基準値以下(04/02 09:50)

●広野町はいわきへ移転 行政機能の受け入れを要望(04/02 09:50)

●放射性物質の飛散防止へ樹脂散布(04/02 09:50)

●県産鶏肉の「安全」確認 豚肉も基準値下回る(04/02 09:50)

●守り抜く県産ブランド 安全性確認にひとまず安堵(04/02 09:30)

●再生支援へ特別法 玄葉担当相、制定の考え(04/02 09:30)

●「たくましい人材育成」 大熊町の教員、合同着任式で誓う(04/02 09:30)

●半田沼の石積みに亀裂 水漏れ懸念、前倒し放水(04/02 08:50)

●放射線量下がり県警が独自ガイドラインで遺体収容(04/02 08:50)

●ミニバイクの82歳男性死亡 西会津で軽と衝突(04/02 08:50)

サイト
 
河北新報の今朝のweb版一面
沿岸15市町「再構築」 宮城県、復興計画で明記へ(06:10)

開催危ぶまれた大会が決勝 第83回選抜高校野球(05:27)

東松島、住宅地65%浸水 国土地理院が津波分析(06:10)

「頑張って」被災者激励 首相、陸前高田など視察(06:10)

亀裂、ほかにも? 福島第1汚染水漏出 地震や津波原因か(06:10)

福島第1 汚染水、海へ流出 2号機の保守管理穴に亀裂(06:10)

「人災だ」 風評被害に温泉地も悲鳴 福島(06:10)

福島、5553億円被害 3月末現在「原発」含まず(06:10)

被災者、首相に涙の訴え 「目標示してほしかった」(06:10)

在宅被災者、孤立続く 支援停滞、共助が不可欠(06:10)

「こんなにも…」声震わす 仙台沿岸部 避難住民が被災地に(06:10)

「奇跡だ」荒れた海、3週間生き抜いた? 漂流の犬を保護(06:10)

宮城県11年産米 被災地6500ヘクタール、振り分け(06:10)

高濃度の汚染水、海へ流出 福島、2号機の取水口付近(00:54)

避難所「3週間お風呂なし」 水道復旧、めど立たず(19:46)

サイト
 
間違いだらけのNHK「原発解体」 元原子力技術官僚の指摘。

元日本原子力技術協会理事長の石川廸夫さんがNHKの番組「原発解体」(2009年10月11日(日) 午後9時00分~9時58分総合テレビ) の誤りを指摘するビデオ。

石川 迪夫 (イシカワ ミチオ)   香川県高松市生まれ。東京大学工学部機械工学科卒。1957年日本原子力研究所入所。

1963年に日本で初めての発電に成功した動力試験炉「JPDR」の建設、運転に従事し、米国SPERT計画に参加後、

反応度事故に関する実験計画「NSRR」を立案、実施した。同東海研究所副所長を経て、1991年4月、北海道大学工学部教授に。

退任後、原子力安全基盤機構技術顧問などを務め、2005年4月、日本原子力技術協会理事長に就任。1973年~2004年まで、

科学技術庁(現文部科学省)の原子力安全顧問や経済産業省原子力安全・保安院の原子力発電安全顧問のほか、IAEA(国際原子力機関)の

各種委員会日本代表委員などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。

注)書籍は「原子炉の暴走」 ☆NHKスペシャル「原発解体~世界の現場は警告する~」のサイトは

こちら サイトから引用: 深刻化する地球温暖化。各国のエネルギーの獲得競争。

世界を巡る環境が大きく変わる中、今、原子力発電が注目されている。火力発電所に比べて大幅に二酸化炭素の排出が少なく、

発電の出力が大きいからだ。チェルノブイリ原発事故以降、脱原発の政策を続けてきた欧米。中国・インド・ロシアなどの新興国。

そして産油国までも建設に舵をきった。世界で新たに導入の準備がすすむ原発の総数は100基にのぼる。

その陰で初期につくられた原発が役割を終えて解体されている事はあまり知られていない。

閉鎖された数は既に120基あまり。私たちは原発の大解体時代をむかえていたのだ。 

国内にも「ふげん」と「東海発電所」の2つが解体に着手。取材クルーははじめて、知られざる原発解体の現場に密着した。

そこでは放射線という一般の建物にはない特殊な環境下での厳しい作業が続いていた。次々と関係者の事前の想定を越える壁が立ちふさがる。

さらに原発の解体は別の課題を抱えていることもわかってきた。

解体した後に発生する大量の放射性廃棄物を処分する場所が未だに決まっていないというのだ。

世界の社会経済環境が大きく変わる中で高まる原子力発電へのニーズ。 

一方で未だ解決の道筋がみえていない解体からでる廃棄物の行き先。この難しい問題にどう私たちは答えをだすのか。解体現場の取材からの報告。

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