阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

もらった誕生日プレゼントは「辛ラーメンのキーホルダー」

2023年05月08日 | 身辺あれこれ

孫がガチャガチャで出したからと 誕生日プレゼントとして渡してくれた。早速ガラケーのストラップにつけてもらった。

 亀戸の戦前からある商店街の店で買った端午の節句の柏餅を端午の節句の日生まれがおいしく頂きながら

このキーホルダーを眺めて愉快になった。Sクンありがとう。

昭和の造り方で店で製造された柏餅の柏の葉っぱにはまだ葉の芳香がたっぷり残っていた。

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2010年07月05日(月) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載

1995年の阪神淡路大震災を経験した年、神戸駅の地下街にあった輸入商品店で買ってからあまりの旨さにはまった韓国のインスタントラーメン「辛ラーメン」。

これだけ同じブランドにこだわって食べているインスタントラーメンは、福岡の「マルタイ棒ラーメン」と双璧だ。

食べだした頃はまだ市場にそれほど出回ってなく、商店街の小さな店先で見つけるとあわてて買い込んだものだ。

当然「辛ラーメン」と言っても人はほとんど知らなかった。

それがいまでは「コープこうべ」(日本最大の生協)の棚では定番商品になっている。しかも大量仕入れの故か、一袋80円前後という値段で売られている。

 広島で勤務していた頃よく通ったスナック「かわぞえ」にも「辛ラーメン」が置いてあり、飲んだ後に作ってもらってよく食べた。

ママさんが白ネギを極細に切って上にふわりとかけてくれる、それがまた旨かった。

   今もこの2品だけは自分で管理して、絶対に切らさないようにしている。


 

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「物である脳から心が生まれるのはなぜか?    脳科学と心とブッダが考えたこと

2023年05月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事

 

 

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05月07日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年05月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年04月02日(土)のブログ]

2023年05月08日 | 東日本大震災ブログ
今の原発事故は 四の五の言っている状況ではなさそう。

☆急性心筋梗塞の症状が起きたら、すぐ救急車を呼んで心臓血管外科がある病院に1分1秒を惜しんで運び込み、専門医の診察のもと緊急手術をしてもらうしか生きるすべはない。

これまで黙っていた原子力科の専門医たちが良心のうづきにたまりかねたのか、正直聞きたくなかった話をはじめた。

砂漠のダチョウのように頭を砂の中に突っ込んで、聞かなかったことにしたいような話だ。しかし事実は以下のようなことらしい。


原子力委員会元委員らが陳謝  (本文中の太線は管理人による。)
4月1日 19時31分NHKサイト

事態収束の兆しが見えない東京電力の福島第一原子力発電所について、国の原子力委員会や原子力安全委員会の元委員らが、1日、記者会見し、

原子力の利用を先頭に立って進めてきた立場から国民に陳謝するとともに、政府は国を挙げて事態に対処する強力な態勢を作るべきだなどと訴えました。

記者会見したのは、原子力委員会の元委員長代理の田中俊一氏や原子力安全委員会の元委員長の松浦祥次郎氏、それに東京大学名誉教授の石野栞氏の3人です。

3人は、日本の原子力利用を支えてきた研究者や技術者16人を代表して、1日、文部科学省で記者会見し、

「これまで原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を防ぎえなかったことについて、国民に申し訳なく思います」と述べました。

 そして、事態は次々と悪化し、収束の見通しは得られていないとして、電源と冷却機能を回復させ、原子炉や燃料プールを冷却し、

大量の放射性物質の拡散を防ぐための対策を急ぐ必要があるとしました。

具体的な対策としては、▽安定した冷却機能の復旧に向けて、24時間態勢で作業を進める一方で、作業員の人数を増やして1人当たりの作業時間を制限し、

被ばく量を少なくすること、▽放射性物質の拡散を防ぐとともに、汚染の影響を評価し、避難している住民が帰れるまでの手順を示すことなどを挙げました。

そのうえで、危機的な事態に専門家の知識や経験が十分に生かされていないとして、

政府の下に、原子力事故の解析や放射線の計測評価など経験と技術を持った専門家を結集し、国民に情報を提供し協力を求めながら、

国を挙げて事態の収束に当たることが重要だと訴えました。

参考:田原総一朗のメールマガジン2011.4.1

から引用

それにしても、政治は一体何をしているのか。
救国のために当然、連立すべきである。
そのためには、菅首相が
国難に政治生命を賭けて取り組む、
一段落したら辞める、
ぐらいの姿勢を示すべきである。

震災が起きた当初は、
アメリカ、フランスなど
外国の報道は大仰過ぎる、
それに対して、
日本の報道は落ち着いていて
慎重で正確だと思っていたのだが、
今になって逆だということがわかった。

アメリカやフランスの報道は
初めから炉心溶融が起きている事が前提であった。
それに対して、日本は炉心溶融無しの報道であった。
ところが、明らかになった2号機の水の極端な汚染から
今や炉心溶融が起こっていると判断せざるを得ない。

東電も当初は、電気が通れば
冷却装置が早々に稼動するとみていたようだが、
今のところ稼動の見通しはついていない。
間違ったら修正すれば良いので
事実を発表すべきである。

僕は、東電にも政府にも
炉心溶融は起きていないのかと何度も聞いたが、
起きてないと、答えていた。
ところが実は起きてる事が判明した。
僕自身も甘かったと思う。

どう対応するのか。
東電からもはかばかしい答えはない。
現在のところ原発敷地より外側に
高濃度汚染は拡がっていないようだ。

なんとか敷地内でくい止めようと
現場の作業員たちが必死になっている。
頑張ってもらいたい。

  
流される車からの携帯を受けた消防士の話
一部引用・・

地震がやってきて、津波がやってきたときも
119番は鳴り止まなかった。


「かけてきた人は木の上からでした」
と消防士の友人Sは言う。
神奈川県に避難している妻と娘に久しぶりに会い
同じ日、日本橋にあるしゃぶしゃぶ屋で鍋を囲んだ。
そこにぼくもおじゃまさせてもらったというわけだ。

水が足元まで迫ってきてるんです!どうすればいいでしょうか!
電話の主は絶叫、だが消防署にいる彼はどうすることも出来ない。
「もう少し高く登ってください」
駆けつけようにも車両は全て出払っていて、
あったとしても、クルマは水の上では行動できない。
登れと言われても、あとはもう枝しかないんです!
あっ船だ、船がいま横を通り過ぎました!
道路にあった車は流され、代わりにやってきたのは船である。
Sは「がんばってください!」と励ますのがやっとだ。
無念である。
あとで、同じ人から「あのときはありがとうございました」と
やはり119番に電話があったのだそうだ。

中略

Sは、自衛隊員100人を指揮下にいわき市の被災地で、
瓦礫の中から希望を掘り当てる毎日を過している。
そこにあったはずの家がなく、ありえない場所に船が横たわる。
「そんな中でね、消防団の人たちはすごかったすよ」とSはいう。
名簿が流されていても、消防団の人たちの頭の中には、
ここの家には誰と誰が住んでいて、誰がいつから引っ越してきた
ということが、ちゃんと記録されている。
だから波に動かされた家を目印に、だいたいどこのひとが
どのへんに流されているかを察知できるのだ。
正規の消防隊員が舌を巻くこの消防団の人達は、
普段は寄り合いで昼間から酒をかっくらい、
近所の噂話ばかりをしていたのだという。

だがその情報こそが、人助けに大いに役立ったのだ。

新潟からやってきた陸上自衛隊員100人の働きも
実に素晴らしかったという。
だれもが熱いハートとタフな体を持つ防人である。

消防団員の手記のサイト
 
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