阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

昼食は「星州炒米粉」    シンガポールビーフンは毎日でもいい

2020年08月04日 | ある日のランチ
この日の家の昼食は久しぶりに「シンガポールビーフン」だった。錦糸町の台湾料理店でおいしい焼きビーフンは食べられるが、残念ながらシンガポールビーフンのメニューはない。

しかし旨いシンガポールビーフンが家で食べられるのがありがたい。

昼飯はシンガポールビーフン   阿智胡地亭の非日乗  2005年07月02日(土)掲載

今日の昼メシは「シンガポールビーフン」でした。前から相方に作って欲しいと頼んでいましたが、ついに作ってくれました。うまかったです。

聞くと数日前の新聞にシンガポールビーフンの記事がレシピと一緒に出ていたのだそうです。

このビーフンとの最初の出会いはシンガポールでした。

昭和50年代の中ごろインドネシアによく出張で行っていましたが、その行き帰りには今のチャンギー新空港の前の旧シンガポール空港を利用しました。

どこの空港でも、乗換え時間があると時間一杯まで必ず隈なくその空港見学をしたもんですが、あるときシンガポール空港で喉が渇き、

隅っこにある前から目をつけていた小さなレストランに入りました。

そこのメニューを見ると「星州炒米粉」と言うメニューがありました。シンガポール市内では見たことがない料理でした。

元々ビーフンは台湾から生まれたもので、台湾でビーフンの美味さを知ってからメニューにビーフンがあれば必ずオーダーするようになっていました。

迷わずビールのサン・ミゲルの小瓶と「星州炒米粉」を頼みました。何が星州かわからなかったのですが、黄色い色のカレー味のビーフンが出てきました。

ビーフンにカレー風味がマッチして初めての味でしたがうまかったです。

それからはこの空港でトランジットの時も店に直行してサン・ミゲルと「星州炒米粉」を楽しみました。

シンガポールにはイギリスの植民地時代にイギリス人が統治のための使用人として連れてきたインド人の子孫が今、シンガポール人として多く住んでいます。

そしてシンガポールの中国人も中国の福建省から出稼ぎでイギリス統治の当時のマレーシアへ苦力(クーリー・労働者)として出て来た中国人の子孫が多いのです。

福建省は台湾の原住民、高砂族以外の殆どの現在の台湾人(本省人)の出身地でもあります。台湾の米粉とインド人のカレー粉がシンガポールで合体してシンガポールビーフンが出来たのでしょう。

「星州」とはシンガポールの漢字表記でした。


これから我が家のメニューの定番の一つとしてカレービーフンを入れていいかと確認したら、相方からOKのサインが出ました。嬉しいことです。
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0803     エクササイズ   フルセット完  腕立て伏せ 15×2=30回 定着


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