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上の写真は2004年に法事で諏訪へ帰ったときに写したものです。この神社には甲斐の武田軍団が諏訪を占領したときに武田兵が書いた落書きがそのまま残っているそうです。
八剣(やつるぎ)神社click は諏訪大社上社の摂社(筆頭子社)で、諏訪湖畔の小和田地区の氏神さまです。
元々は諏訪湖中にあった「高島」という島にありましたが、秀吉配下の武将・日根野氏が高島に城をつくることになった時に、
高島の島民とともに近くの小和田(こわた)という地に移されました。築城された城がいまの高島城です。
小和田の住人は移住と引き換えに諏訪湖の漁業権と自治権を手に入れ、住民自治は明治まで続きました。
ようは住民が持ち回りで町の役職を果たし、地区民の合議で小和田を運営していたそうです。
この神社は諏訪大社の神様になった一族が出雲から天皇族に追われ、諏訪地方に逃げ込む前からの、元からの縄文時代に遡る氏族神かもしれません。
案内してくれた従兄に、これが一族*の“まき”の祠だと教えてもらいました。
この祠の前にも4本の小さな御柱が建っていました。
小和田地区に昔から住む住人には、先祖を同じくすると伝えられているいくつかの同族集団があります。それを“まき”と言います。
この“まき”と言う用語は日本各地にあるようですから、古代にまでさかのぼる概念だと思います。語源を知りたいのですがまだわかりません。
撒き?巻き?牧? 英語で言う“CLAN”と同じことだと思います。
今は別に親戚付き合いをするわけではなくとも、あの家とは同じ“まき”だと、皆それぞれが承知しているのだそうです。
八剣神社の境内にはこの“まき”の先祖神を祀る祠が、各“まき”ごとにいくつもあります。
年に一度“まき”の人たちは集まって掃除をし、その後、一緒にお茶を飲んだり酒を温めて歓談すると別の時に聞いたことがあります。
この祠の小さな御柱も「御柱祭clickの年の「小宮の御柱祭」click で諏訪大社の全ての子社の御柱が7年ぶりに建て直されるときに、新しく建て直されます。
小宮の御柱祭りは子供たちが主役だと聞きました。
残念ながら私は一回もこれらの行事に住人として、参加したことはありません。
親も昭和20年代、30年代に、九州や関西から子供を連れて故郷の祭りに帰郷する余裕は当然ありませんでしたから。
*「まき」 引用元
同じ村内の本家分家仲間(同族団)の呼び名。エドウシ、イッケ、ウチワ、イットウ、カブウチ、ジルイなど同姓・同系の家仲間の方言の代表名として、現在はなかば学術語にもなっている。
しかしマキを広く血筋につながる親族の範囲に用いる地方もあって、かならずしも実際の用例は「同族(本家分家仲間)」に限られてはいない。
東日本一帯に広く分布する親族関係用語で、おそらくは「まとまり」を意味する古語に源流するところであろうが、広く血筋、血統、血縁による仲間を意味したり、
あるいは同一村内の同系出自の家々(同族)の仲間だけに限定するのは、それぞれの地方の実態に即して、のちに分化したのであろう。マケ、マギ、マゲともいうが、その語源は明確ではない。
[竹内利美]
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