避難している人は着の身着のままで家を飛び出したままだ。
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2011年03月29日火曜日 河北新報(本社仙台)サイト 周辺住民不安と憤り 福島第1原発建屋外高濃度水 東京電力福島第1原発2号機で28日、タービン建屋の地下から海の方に延びるトンネルと立て坑の中の水から、毎時1000ミリシーベルトを超える放射線量が検出された。付近は建屋外で、放射線管理区域に含まれていない。地中や海の放射能汚染が危ぶまれる事態に、原発周辺の自治体の人たちは一層、不安を募らせた。 第1原発が立地する福島県大熊町から会津若松市に避難している板金工遠藤明永さん(33)は「(原発を)復旧させようという気持ちは分かるが、状況が悪化していくことに憤りを感じる」と強調。「これでまた、地元に帰ろうという気持ちが遠のいてしまった。東電の社長や社員が避難所に来て、直接謝ってほしい」と語気を強めた。 双葉町の町民で、家族と別れてさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)に1人で身を寄せる農業林忠義さん(60)は「第1原発から自宅まで車で5分ほどの距離しかない。状況が日に日に悪くなり、すごく怖い。帰れないというより、帰りたくない」と視線を落とした。 福島県会津美里町に避難している楢葉町の鈴木剛総務課長は「とにかく放射性物質を海や敷地外の土地に出さないよう、対応してもらうしかない。早く町に帰りたいと思っているのに…」と言葉少なに語った。 2011年03月30日水曜日 村覆う見えない恐怖 放射能に揺れる福島・飯舘 東京電力福島第1原発事故の影響で、水道水や土壌から高い濃度の放射性物質が検出された福島県飯舘村。人口約6100、農業や畜産業で暮らす小さな村は突然、原発事故と放射能漏れの渦中に巻き込まれた。村に残る人たちは、見えない恐怖に神経をすり減らす日々を強いられている。 ▼テレビ音なし 「マスコミは『(放射性物質は)ただちに健康に影響はない』というが、将来はどうなのか。ここに住む人の視点に立った情報が知りたい」。生後10カ月の長女らと村で暮らす佐々木美絵さん(26)は訴える。 家族の事情で村外へ避難できない。「社会的に弱い人ほど情報も手に入らない。取り残されるのでは、という不安がある」と佐々木さん。 情報を入手するために、震災や原発事故を報じるテレビを見ずにはいられないが、音にストレスを感じるようになり、画像だけを流す。音の出ないテレビの前で、原発事故が早く収まることを祈る毎日だという。 飯舘村の水道水から飲用の暫定規制値(1キロ当たり300ベクレル)を超える965ベクレルの放射性ヨウ素を検出―。20日、県がそう発表してから、村の生活は一変した。 土壌などの汚染も明らかになった。土1キロからヨウ素117万ベクレルとセシウム16万3000ベクレル、雑草1キロからは254万ベクレルのヨウ素と265万ベクレルのセシウム。 数値はいずれも20日をピークに下がる傾向にあるが、村は今も、全住民に水道水の摂取を控えるよう求めている。 ▼村内現在4000人 「国や県が検査結果の意味や対策をしっかり説明しなければ、風評被害や住民の不安は拡大していくばかりだ」。菅野典雄村長は頭を抱える。 農業や畜産業への影響は大きい。4月にはコメ作りが始まるが、作業の遅れは避けられない。地震の直後、飯舘村小宮の農業安斎徹さん(61)は種もみを水に漬けたが、例年のように田植えができるかどうかを危ぶむ。 「田植えが遅れてしまえば、収量は半分にまで減るだろう。たとえ収穫できても、飯舘産のコメが売れるのだろうか」と安斎さんは話す。 村は高級和牛ブランド「飯舘牛」でも知られるが、村内の畜産業関係者からは「ブランド自体を捨てなければいけないかもしれない」との悲痛な声も上がる。 村外への避難で、6100人の村民は一時、3000人に減った。その後、避難先から戻る人も目立ち、今は約4000人になっている。原発から北西約40キロの飯舘村。安斎さんは不安とともに疑問も抱く。「放射性物質の数値だけが一人歩きしている」。県外の友人から毎日のように「避難しないのか」と言われるが、村を離れるつもりはないという。(太楽裕克、橋本俊) |
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