阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月27日(金)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月27日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月27日(金)
 
“民意”ではなく“官意”に従う 野田首相のゆるぎなき決意
 
オスプレイ配備への過程は原発再稼働とそっくり

“官意”に従う野田首相の「決める政治」

一部引用・・

7月23日、12機のオスプレイが列島に渦巻く反対や不安の声を押し切って、予定通り岩国基地に陸揚げされた。

 野田佳彦首相は24日の国会答弁で「安全確認ができなければ飛行・運用をさせない」と言い切った。事態の深刻さをようやく察知したのだろう。
 
しかし、この答弁も今までの発言と比べて本質は変わっていない。

拙速なオスプレイ配備がむしろ日米関係を揺るがす恐れも

 今までは、オスプレイ配備は装備の重要な変更ではないから事前協議の対象ではない。
 
だから日本側にこれを中止する何らの権限もなく、「日本がどうしろこうしろという話ではない」(首相)と突き放してきた。

 しかし、この問題はもはや法的問題の域を越えて、社会的、政治的問題に発展している。すなわち、日米合同委員会での協議と言うより、日米首脳の政治協議の対象になる雲行きだ。

 オスプレイの飛行訓練による墜落事故の危険、低空飛行がもたらす騒音や圧迫感。米国内でさえ強い反対運動が起きている。
 
日本列島のほぼ全域で訓練飛行が予定されているから、日に日に全国的な不安が高まっているのは当然だ。

以下全文はこちら
 
 
 
原発現場には高線量要員が不可欠 臨時雇いでまかなう東電と元請け

福島第一元作業員「賃金、手当ピンハネ」 労働局に訴え
「多重派遣」も
2012年7月27日 07時03分 東京新聞
東京電力福島第一原発事故の収束作業に携わった長崎県出身の元作業員男性(45)が二十六日、下請け上位の日栄動力工業(東京都港区)が

職業安定法と労働者派遣法に違反する多重派遣をしていたとして東京労働局に訴え出た。

二十七日には、多重派遣のほか約束された賃金が支払われていないとして、長崎県内の下請け会社四社を長崎労働局などに訴え出る。

 男性は昨年七月一日~八月九日、福島第一で事故収束作業に従事していた。

弁護団などによると、男性に仕事を紹介し、給料を支払っていたのは前田工業(長崎県松浦市)だが、放射線管理手帳上の所属会社は、

大和エンジニアリングサービス(同県佐世保市)になっていた。

 両社の間には、佐世保市の創和工業と福田工業が介在し、上には、日栄動力工業がある複雑な下請けの流れになっていた。

 下請けを繰り返す中で、大和エンジニアリングは日当と危険手当の計二万四千~二万五千円を下請けに支払ったが、男性には一万千円しか支払われていなかったという。

 男性は「何重もの下請け構造は不当だ。約束された日当も支払われず、危険手当もピンハネされた」と訴えている。

 本紙の取材に対し、大和エンジニアリングは「請負契約であり、多重派遣ではない。下請け会社には危険手当を含めた金額を支払った」と説明。

前田工業は「上にたくさんの会社があるとは知らなかった」と話している。

◆建屋外と事前説明/実は高線量要員

 福島第一原発の収束作業で危険手当の未払いなどを申し立てる元作業員の男性は、本紙の取材に、原発の建屋外の作業だと説明されていたことや、

被ばくの恐怖と闘いながらの作業だったのに正当な手当が支払われない怒りを語った。

 二十キロの鉛板を入れたリュックサックを背負い、防護服に全面マスクを着け、1号機原子炉建屋の急階段をビル六階の高さまで駆け上がる。

線量計の警報は鳴りっぱなし。緊張と息苦しさで心臓が破裂しそうになる。「早く終われ、早く終われ」。男性は心の中でつぶやき続けた。

 昨年七月に携わった作業を男性が振り返った。建屋内にいたのは十分弱だったのに、二・四ミリシーベルトも被ばくした。

一般人の年間被ばく上限の二倍以上もの線量だ。建屋内に局所的に線量が極めて高い場所があることなどが影響したとみられる。

このほか男性は高濃度汚染水を処理するための配管作業など、被ばく線量の高い作業に当たった。福島第一での作業は一カ月あまりだったが、

この間に計約一二・三ミリシーベルトも被ばくした。

 原発作業員の被ばく上限は五年間で一〇〇ミリシーベルト。

年平均二〇ミリシーベルトが作業員の手持ち線量だ。男性の場合、わずか一カ月で半年分を使ったことになる。

 下請け会社も自社の社員が線量を使い切ってしまうと、次の仕事を取りにくい。そこで男性のように臨時の作業員を雇うケースが出てくる

男性は「自分が(被ばく線量の高い作業を短期で担う)高線量要員だったことを後で知った」と話し、

「約束した賃金は少なくとも払ってほしい」と訴えた。 (片山夏子・東京新聞)

 
 
次は高浜原発の再稼動 関電社長 枝野大臣は・・
 

「次は高浜」関電社長発言に枝野大臣が“激怒”
テレビ朝日系(ANN) 7月26日(木))6時46分

 関西電力社長の発言に枝野経済産業大臣が激怒です。

 関西電力・八木社長:「大飯原発の次ということでは、高浜3、4号機のプラントを優先的に再稼働させて頂く方向で(国と調整したい)」


 関西電力の八木社長は、大飯原発4号機がフル稼働に達したことを受けて取材に応じました。このなかで、高浜原発3号機、4号機を次は再稼働させたいとの意向を示しました。

 枝野経済産業大臣:「大変、不快な発言であると。安全性についてしっかりとチェックすることなしに再稼働はあり得ない」

 一方、枝野大臣は、八木社長の発言に対して「電力会社は原発の安全性を優先すべきだ」とし、「規制組織の成立を今は見守るべきだ」と述べ、強い不快感を示しました。

記者会見の動画

関電・八木社長「次は高浜原発」 枝野経産相は強い不快感


フジテレビ系(FNN) 7月26日(木)6時47分配信

関西電力の八木社長は、フル稼働に達した大飯原発4号機に続き、次に再稼働させる原発について、「高浜原発3号機・4号機が最有力」と話した。

関西電力の八木社長は、「大飯3・4号の次という意味では、高浜3・4号のプラントをですね、優先的に再稼働をさせていただく方向でですね、

これから国といろいろと調整をさせていただきたいと」などと話し、比較的出力の大きい高浜原発3号機と4号機を、優先的に再稼働させる考えを示した。

一方、関西電力の八木社長の発言に、枝野経済産業相は強い不快感を示した。

枝野経済産業相は、BSフジの「PRIME NEWS」に出演し、「(八木社長が)調整をしたいとおっしゃられましたが、

まさにこの、規制機関が独立して、どう判断するのかということなしに、われわれ調整ができる立場でもありません。

そういった意識などをですね、まあ、手続きとかわかっておられるのに、なぜ、このタイミングでこういうことをおっしゃるのか。

私自身は、本当に強い違和感を感じました」と述べた。

大飯に続く原発の再稼働は、9月に発足する原子力規制委員会の判断に委ねられる。

テレビ番組 動画



佐野眞一というジャーナリストが書く「東電OL殺人事件と検察」

〇「取調べのときニヤッと笑ったからこいつは本星に間違いない」
警視庁の幹部。
〇「到底承服できぬ決定」悪あがきの検察庁の幹部。
〇殺された渡辺泰子さんは死んでもその抱える執念の磁力を持つ。
ゴビンダ再審決定の日は彼女が生きていれば55歳の誕生日の日。

いま本社在京大手新聞テレビに全くといっていなくなった(もちろん各社には志を持つ少数の記者魂を持つ人もいる。

現在NHKはお上お気に入りの「大越グループ」と、国民目線の「科学文化グループ」が猛烈にせめぎ合っている)

本来のジャーナリスト佐野眞一。


画面を2段階クリックすると読める大きさに拡大します。


 
 
国の法律よりもムラの決まり事を優先
 

自分が所属している会社や組合や業界団体などの仲間内でもし、組織で決めて法に触れるようなことをメンバーがやったら、自分はどうするか。

まず間違いなくそのことが世間にバレない様に成員全員が努力する。その状況では違法ということよりは仲間の掟が優先で、それに協力しない輩は浮かされていつか消える。

このことは百姓も漁師も石炭・金鉱堀も暴力団の組も、集団で事をやる場合すべてについてまわる。

我々が誰も不思議に思わず、そら当然やろうと思っていることの一つに「議会での投票の「党議拘束」と言うのがある。

国会も県議会も市町村議会も、我々が投票して当選させた「個としての議員」は議案の投票に於いては、党のボスから「ただの投票マシーン」としか扱われない。

それは我々の社会の中ではごく当たり前のことだが、当たり前でない社会もよそにはある。

3.11以降、普通のくにたみが、自分たちの思いが一向に国の運営に反映されないと気づきだしたが、大切なことを決めるのに議員が唯の一枚の投票用紙に埋没して、

官僚群に誘導されたドゼウ軍団の拘束にかかる仕組みが残る限り、100年たってもうちらの社会はこのままだ。

上記に多少関連する興味深い論考を紹介します。

日本人と『法』の意識
山本 幹夫
 メールマガジン「少数異見第2号」7月27日発行より転載

山本七平氏の言うように、日本では奈良時代に唐から律令をまるごと輸入したことに始まって、明治には憲法、民法、刑法などをヨーロッパから取り入れたために、

まったく自分たちの生活に根差さないのが『法』だという伝統がある。(註1),(註2)、(註3)

そのため、明治以来の国家官僚は法解釈を独占し、前例主義で都合の良い場合はそれに立ち、或いは新しい事態が生ずると

「どの法律を引っ張ってくるか」という手法で秩序を維持してきた。

だから、「『法』は自分たち国家経営に携わる者が自由に解釈(註4)、運用(註5)(註6)するものであって、

自分たちは『法』を適用される立場ではない」と考えているようだ。


民間の弁護士も同様で、「一般市民は自分たちに依存するべきものだ」としているように見える。

おそらく、司法試験自体が、国民の生活に立脚した常識的な解釈では合格点に達せず、司法官僚の決める〈世間から切り離された〉〈彼らのムラの〉

解釈どおりの考え方をしないと合格しない構造になっているのだろう。

したがって、大概の日本人は当然ながら『法』を自分たちになじまないものと感じ、その結果、『法』に関わってで争うこと、

まして裁判に訴えること、及び訴えられることは嫌でしかたがない。(註7)

しかし、そのことが『法』の支配者(註8)である「彼ら」の思うツボでもあるのだが。

解決策はみんなが「偉い人、賢い人まかせ」にしないで、『「法」は何のために、誰のためにあるべきか』を考えないといけないのでしょう。

できれば、中高校生の頃から。

註1)例外は北条泰時の定めた「関東御成敗式目(貞永式目)」で、これは御家人たちの主として土地に係る係争を調停裁断するために、当時の常識に立脚したものであったという。

山本七平「日本的革命の哲学」

註2)末広厳太郎「嘘の効用」。川島武宜「日本人の法意識」
註3)イギリス、フランスでは『法』(=国王から自分たちの権利を護るために)を「勝ち取る」ための革命で、国王だけでなく多くの血が流された。アメリカでは雑多な文化的民族的背景をもつ国民を統合する「常識」は存在せず、「法」に裁断させるしかない。日本では国家を経営する(=国民を従わせる)ために「法」が導入された。
註4)強引な、自分勝手な、或いは拡張的な解釈
註5)恣意的な適用
註6)憲法より、下位の法が優先かつ絶対。
註7)確かに、運よく裁判に勝っても多くの時間と金、労力を失う。
註8)民主主義の下では、そうであってはいけないはずだが。自由に「法」を操る者のために、どれほど多くの人々が振り回されたり、泣き寝入りしたりしたことか。

蛇足:

中国では「法」どころか「文」すら官僚が国家を支配するために作られ、独占されて来たもので、人々のものではなかった。

「文」をこうした状態から解き放つために労苦した代表が魯迅たちなのでしょう。



教育委員会・事務局についてある元教員のコメント

山本 幹夫
 メールマガジン「少数異見第2号」7月27日発行より転載

燦さんからのメール

「教師を長年していたので、最近、いろんな人から教育委員会についての質問を受けます。私の意見は教員になったときから全く変わっていません。

私は何十年も前から、教育委員会事務局は不要だと思っていました。

そもそも本来すべき仕事を全くしていない組織なのです。不幸なことに、私の意見と橋本氏の考えは、その点は一致しています。

ただ橋本氏も委員会と事務局を少し混同しています。

地元勤務の教員の間では、事務局について、昔から「あそこは変な人しか行かないところだ」とか、現場では役立たずの教員のたまり場だ」という声が多いのです。

さすがに、委員会にいる全員が無能だというのは極論ですが、私の感想では①出世したい人が集まる場所②教育現場がしんどいので

逃げ出した人のたまり場③生徒や親の相手が苦手な人が多いという特徴があります。

多分、一部の例外を除き、全国の教育委員会は同じ雰囲気や特徴を 持っているはずです。

なかでも最悪なのは、教育委員会には校長、教頭を勤められるタイプの人材はかなりいる反面不登校、いじめの問題のプロはほとんどいないのです。

そのあたりは彼等も気がついており、現場から優秀な教員を何とか引き抜こうと努力はしているようですが、能力のある教員、生徒のことを考える教員は、

まず生徒が心配なので現場を離れたがりません。

こうして全国どこも、教育委員会のメンバー構成はうまくいっていないようです。

30年以上、中学や高校で教員をしてきた身からすると、教育委員会組織は完全な閉鎖社会なので

、世間の皆さんは彼等もまた原子力村の住人と変わらないのだということを理解しておられないと思います。

私の私見では委員会事務局の住人はエリートどころか、勉強不足の裸の王様です。現場で悪戦苦闘している教員の目からするとただの馬鹿に見えているはずです。」

☆人の意見は熱くならず、冷ややかにならずじっくり読み解く。

自分に知見がない分野や組織について記述されている場合は特に、その筆者の意図が奈辺にあるか文間を探る。

最終的にはその文章に伝えることの生産性があるかどうかを見る。

しかし一般人が書く文章は思い余って感情先行のケースも多い。

現状を何とかせんといかん、という思いで書かれているのであれば


それもありかと・・。冷ややかな評論よりもよほど意味がある。

 そんな勝手至極の基準が自分にはあります。


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