安全で食糧豊富な森林からゴリラとチンパンジーとの争いに負けて、自分達が肉食動物の餌になる危険に満ちたサバンナや草原に出ていくしかなかった人類。
その人類も20数種類いたが現在はネアンデルタール人も絶滅し、ホモサピエンスー現生人類というただ一種だけが全地球上に広がり、住み着いている。
そのホモサピエンスという動物も今や自らが蒔いたタネの地球温暖化のせいで多くの細菌やウイルスが跋扈する環境を作ってしまい
あと50年ほどこれまで通り暮らせば、種として絶滅するだろうという見方まで現実的になってきた。
ゴリラ研究家と南米南端の岬からアフリカまで人類のグレイトジャーニーを足で辿った探検家の話は
机上や、空調の効いた部屋にあるパソコン前と言う環境での知識やコトバの やりとりではなく、アフリカ・南米・極北・モンゴル・海・川などのサイトに長年立った
生身の現場現実現物の三現ベースの討論だけに、今まで読んだ「自分は何?どこから来てどこへ行く?」という本の中でも、
人間の起源と今とこれからを考えるにまことに貴重な本だった。
追記: この対論本の副題は「ゴリラ社会と先住民社会から見えてきたもの」。
対論者の二人はゴリラにも先住民にも個としての対等関係と個としての尊厳を持って他者と共に生きている社会があると見ている。
現代のホモサピエンスが作ってきた社会はその観点から見てどうだろうか?というのが論議の通奏低音だ。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1952年東京生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。理学博士。カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンターリサーチフェロー、京大霊長類研究所助手、大学院理学研究科助教授、同教授、理学部長などを経て、現在は京都大学総長。1978年以来、アフリカ各地でのゴリラの野外研究を通じて、初期人類の生活や人類に特有な社会特徴の由来を探っている
関野/吉晴
1949年東京生まれ。一橋大学法学部、社会学部、横浜市立大医学部卒業。一橋大在学中に探検部を創設し、以後の約20年間、南米各地を探検。1993年から人類拡散の最長ルートを逆に辿って南米南端からアフリカまで約10年の旅「グレートジャーニー」を完遂。その後も日本列島への人類移動ルートを追って、シベリアやヒマラヤからの陸路の旅と、インドネシアから沖縄までの手作りカヌーの航海などを行う。医師、武蔵野美術大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

慌てて3日前にメールで申し込んで、当日受付OKと返信をもらったので、フェリシモ主催の「神戸学校」のクラス?に出た。 会場はいつも神戸朝日会館の朝日ホールだ。 神戸学校はこれまでも嘉門達夫や茂木健一郎などの回に受講している。 阪急三宮駅西口からセンター街を横切って、旧居留地方面に歩くと地下に映画館「シネリーブル神戸」がある朝日会館がある。
お話の題は「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」
関野さんのことはNHKTVの「達人達」という番組で、山極寿一さん(人類学者、霊長類学者にして、ゴリラ研究の第一人者)と対峙した内容が面白くて知った。 お話を伺って、脳のあちこちを揺らされた。フェリシモから案内書が来ていたのに申し込みを忘れていたが、ネットで問い合わせて本当に良かった。関野さんは、10年もの歳月をかけ、人類発祥の地アフリカへ南米の南端から逆回りで祖先の拡散の足取りを辿る旅、グレートジャーニーをした人だ。
- (それぞれのサイトをクリックすると、今回の講演会の内容を体験できます。)時間感覚の違いは読んでいくとわかるでしょう。
関野吉晴さんの「グレートジャーニー」のルート
自分が移動してわかったが、人類のグレートジャーニーは旅のジャーニーではなく移民の移動の事だと言う。 20万年前にアフリカで現在のホモサピエンスになった現生人類が6万年前にアフリカを出て日本列島にたどり着く壮大な旅路。 なぜ人類はアフリカから出て、太平洋諸島、南米、日本まで移動したのか? 関野さんは最初は、好奇心に溢れ進取の気性に富んだ勇敢な人たちが次々新天地を目指したと思っていたが、各地を探検、旅を続けるうちに 次のように思うようになったそうだ。「その土地土地で人口が増加し、弱者に食料がまわらなくなりやむなく、別の地に移動していったのが 人類のジャーニーの歴史だ」。日本でも長男は土地に残れるが、次男以下は部屋住みか他国へ出て食っていくしかない。 それは日本人のハワイやアメリカ本土、ブラジルなど南米移民、そして現代の中東の難民にも表れていると。 本や対談記事でも関野さんの体験談は伺えるが、前から3列目の席でお話を聞いて、その静かな語り口の中に一人の人間のやれることに限りはないことを あらためて感じた。