一部引用・・・ この舞台に鴻上が込めた「自分自身の思い」を確認しておきたい。コロナ禍で政府が最初に文化・スポーツイベントの主催者に自粛要請をしてきた際、彼はツイッターなどで「休業補償とのセットを」と発信し、集中砲火を浴びた。「お前ら特権階級か」「好きなことをやってるくせに」等々。
「心が100回は折れました。かなり疲れてもきています。特権だなんてとんでもない。冠婚葬祭とか飲食業界とか、いろんな分野で同時に声を上げることが大切だと言っているのに」中略
「僕の田舎では、朝の6時と夕方の6時に、公民館が大音響の音楽を流すんですよ。すると父親が、夜働いている人もいるのに、個人というものを考えておらんと怒る。その通りだよな、と子ども心にも思ったものだけど、未だに何も変わらない」
田舎とは愛媛県の新居浜市だ。別子銅山を中心に、元禄年間以来の住友財閥の企業城下町。現在も非鉄金属の精錬をはじめ、化学、重機械などの大工場が集積する人口十数万人、瀬戸内有数の工都で、1958年に生まれた鴻上は、小学生になるかならぬかの頃、すでに演劇に目覚めていた。よく母親に連れて行ってもらった芝居に憧れたという。
「同調圧力」に異を唱える 作家・演出家、鴻上尚史の変わらない本質とは<現代の肖像> https://t.co/hZ5OlfRK4A @dot_asahi_pubより
— achikochitei (@achikochitei1) February 21, 2021
一部引用・・・病院では、最後期まで積極的に治療をしますが、それが本当に患者さんの利益となっているかどうか……。
例えば、本当に末期の方の場合、過度な点滴や栄養剤は不要どころか苦痛を増すだけです。終末期の脱水を許容すると、やせて枯れていきます。脱水を自然なこととみて上手に見守ることができれば、大きな苦痛を伴わずに穏やかな最後期を迎えることはできるんです。そういうことを、私たちの在宅医療チームは日常的に行っています。
──「上手に枯れる」とは? 最近では、モルヒネなどの医療用麻薬を使用しても激しい痛みを取り除けない場合、鎮静薬を使って眠らせた最期を迎える方法もあると聞きます。長尾さんのいう「自然に枯れる」最後期の迎え方と、それとは異なるのですか。
自然に枯れることができれば鎮静はほぼ必要ありません。脱水が自然の麻薬の役割をするのです。しかし、こんな単純な事実は医療界でほとんど知られていません。2020年、私のチームで、在宅で看取った方は140人ほどいらっしゃいましたが、鎮静を行って看取った人はゼロです。しかし、ある大病院では鎮静率が50%を超えるという。もちろん鎮静剤が必要な場面もあるでしょう。しかし、平穏な死を迎えるために脱水さえあれば、鎮静を行う必要はほぼないことがわかっています。
中略
自分の「最期」のあり方を考える
──患者が「リビングウィル (終末期医療における事前指示書)」を書くというシーンも出てきます。延命治療を含め、どこまで医療を受けるか受けないかについて書面にするというものですが、実際、元気なうちに家族とそういったことを話し合うのは難しい気もします……。
もちろん難しいですよ。私も自分の母親に最後期はどうしたいかと聞いたらひどく怒られましたね。「親に縁起が悪いことを聞くものじゃない!」ってね。
でも、そういう人にこそ、今回の映画を見てほしい。本作はあくまで1つの物語で、みんな同じではありません。でもそれをきっかけにご自身の最期を考えてもらえたら。誰もがリビングウィルを書くべきと言っているわけではなく、あくまでひとつの提案です。
「死について考えない」日本人を待つ壮絶な最期 過剰な医療が患者の穏やかな死を阻んでいる | 映画・音楽 - 東洋経済オンライン https://t.co/bA6jzugqfg #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより
— achikochitei (@achikochitei1) February 21, 2021
◎阿智胡地亭は長尾医師が現在副理事長をされている「日本尊厳死協会」に1996年に相方と共に加入しました。
リビングウィル⇒こちら
「リビングウィル (終末期医療における事前指示書)も自分で書いて、必要な事態になった時には家族がいつでもそれを医師に提示できるようしました。