(サラエボ近郊の町で投票するセルビア人女性 “flickr”より By cvrcak1
http://www.flickr.com/photos/29320956@N03/5047076484/ )
【三つ巴の紛争から15年】
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争を【ウィキペディア】から概略すると、“ユーゴスラビア解体の動きの中で、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立を宣言したが、独立時に約430万人の人口のうち、民族構成の33%を占めるセルビア人と、17%のクロアチア人・44%のボシュニャク人(ムスリム人)が対立し、セルビア人側が分離を目指して4月から3年半以上にわたり戦争となった。両者は全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。”ということになりますが、対セルビア人だけでなく、クロアチア人とボシュニャク人の間の争いもあり、三つ巴の争いでした。
この紛争は95年の「デートン合意」で一応終結しました。
「デートン合意」では、ボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム教徒(ボシュニャク人)とクロアチア系勢力で構成する「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人の「セルビア人共和国(スルプスカ共和国)」が並立する単一の主権国家とされ、国会や行政府は両勢力の共同運営で、議会議員も連邦と共和国の各議会から選出、内閣は連邦と共和国の3民族代表で構成する幹部会により指名される形になっています。
現実的には二つの「国家内国家」に分割され、今も中央政府の基盤強化は進んでいません。
【セルビア人に強い分離志向】
セルビア人の分離、隣国セルビアとの併合を求める動きは根強く、コソボ独立の際には、セルビア人共和国議会は08年2月22日、国連と欧州連合(EU)の加盟国の多くがコソボ独立を承認した場合、セルビア人共和国も「住民投票によって共和国の国家としての地位を見直す権利を有する」との決議を、圧倒的賛成多数で採択しています。セルビア人共和国で住民投票が実施された場合、セルビア系住民の圧倒的多数が、独立に賛成すると見られています。
今年に入っても、2月、セルビア人共和国で「デイトン合意」の是非を問う住民投票の実施が議会で採択されています。
****セルビア人共和国:「デイトン合意」住民投票の実施が浮上****
内戦終結から15年を経たボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人共和国で、民族和平の枠組み「デイトン合意」の是非を問う住民投票の実施が浮上している。周囲には、セルビア人側の狙いは「分離独立」との警戒感が広がり、ボスニア和平を支援する国際機関・上級代表事務所も「住民投票は、デイトン合意と憲法に反する」と批判している。
セルビア人共和国の議会は11日、住民投票の実施を可能にする法律改正案を可決した。同共和国のドディック首相は「デイトン合意を支持できるか、国民の声を問う必要がある」と述べ、独立の是非を問うものではないことを強調した。首相は近く住民投票を実施する意向だが、具体的な日程は示していない。
背景には、ボスニア和平維持の責任者と位置付けられ、閣僚の罷免権など強い権限を持つ上級代表への不信感がある。上級代表は、戦犯法廷や裁判所など司法機関にも影響力を及ぼしている。一方、住民投票には「今年秋の議会選挙をにらみ、セルビア人優位を訴える政治的な動機がある」(外交筋)との見方もある。
欧米は住民投票の動きについて、ボスニアの3民族共存に逆行し、国家を分断するものだと警戒している。駐ボスニア米国大使館は「ボスニア・ヘルツェゴビナの安定と主権、領土の一体性を危うくする挑発的行為」と声明で批判した。欧州連合(EU)のアシュトン外務・安全保障政策上級代表(外相)は「ボスニアは欧州で最も不安定な一角だ」として、ボスニアへの関与を強める姿勢を示している。【2月18日 毎日】
*****************************
住民投票実施には憲法裁判所の判断が必要とのことでしたが、その後、この住民投票がどうなったのか、マスメディアでは報じられることがなく、よくわかりません。
【「一つ屋根の下の二つの学校」】
現実には、民族融和とは逆行する分断の動きが強いようです。
以前にも紹介したことがある「一つ屋根の下の二つの学校」は、そうした分断の象徴でもあります。
****分断の学舎:内戦後のボスニアから/上 被害者は子供たち****
「ナイフ、針金、スレブレニツァ」。ボスニア・ヘルツェゴビナ西部の町ビテツ。9月中旬、中心部の公立小学校の教室の外壁に落書きが見つかった。95年、イスラム教徒がセルビア人勢力に殺された「スレブレニツァ虐殺」を挙げ、イスラム教徒を脅す内容だ。消しても数週間後にまた落書きされた。「一部の人の意識の底に差別がある」。イマモビッチ校長は嘆く。
2階建てと平屋の校舎が並ぶ。通うのはイスラム教徒とクロアチア人。一つの学校だが別々の教室で別々の授業を受ける。校長も2人。「一つ屋根の下の二つの学校」とも呼ばれる。
内戦(92~95年)で周辺をクロアチア人勢力が攻撃。イスラム教徒は少数派となった。クロアチア人の学校にイスラム教徒が同居し学ぶ試みだ。2階建て校舎の広い教室で学ぶクロアチア人とは対照的に、イスラム教徒は平屋の木板で仕切った狭い教室に机を敷き詰めて学ぶ。
内戦前に一つの教室で多民族が学んでいたボスニア。95年の和平合意後、ボスニアは二つの準国家に分かれ、準国家の一つ、ボスニア連邦はさらに10州に分けられた。民族・宗派対立を黙認する形で「地方分権」が進む。
「教育の統合は自民族の文化を消滅させる」としてセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒で異なるカリキュラムが導入された。歴史や宗教などの科目は違いが大きい。地域でどれを選ぶかはどの勢力が優勢かで決まる。差別を恐れ、遠方の学校に通う例もある。一部では隣国クロアチアやセルビアから輸入された歴史教科書が使われている。
08年、教育の統一を目指し、中央政府内に教育局が設立された。しかし地方に口出しはできず「紙の上の存在」とされる。背景には「分断が解決策」と見なす民族政党がいる。
イマモビッチ校長は言う。「民族・宗教により学ぶ環境が違うのは理不尽。子供は分断の被害者だ」【09年12月14日】
***************************
【総選挙結果は?】
そのボスニア・ヘルツェゴビナで今月3日、下院(定数42)や輪番制の議長が国家元首を務める幹部会(3人)などの選挙が行われました。
多民族の共存などを訴えるボスニア人勢力主体の社会民主党が一時勢力を伸ばしたこともありましたが、前回の総選挙では民族派政党が躍進しています。
今回の総選挙は、“国内の3民族が三つどもえで戦った1995年の内戦終結から15年を迎え、民族融和をいかに進めるかが焦点だが、民族派の諸政党が依然優勢で大きな変化は見込み薄だ”【10月3日 共同】とも報じられていました。
選挙結果については、あまり詳しく報じられていません。
****ボスニア・ヘルツェゴビナ総選挙:3民族の代表決まる****
ボスニア・ヘルツェゴビナの3民族それぞれの代表(幹部会員)を決める選挙で4日、多民族国家の維持を訴えるボスニア人(イスラム教徒)とクロアチア人の候補が事実上の勝利宣言を行う一方、セルビア人側ではボスニアからの離脱を主張する候補が勝利宣言した。地元メディアなどが伝えた。
主にボスニア人とクロアチア人から成る「ボスニア連邦」と「セルビア人共和国」で構成されるボスニア・ヘルツェゴビナでは、3民族の代表が8カ月の輪番で大統領(幹部会議長)を務める。
ボスニア人代表として勝利宣言したのは、ボスニア紛争当時のイゼトベゴビッチ幹部会議長の息子で、民主行動党の新人バキル氏。他民族との協調に前向きとされる。クロアチア人候補では、民族融和を訴える社会民主党の現職コムシッチ氏が勝利を宣言した。
一方、セルビア人側では、ボスニアからの離脱を掲げる独立社会民主同盟の現職ラドマノビッチ氏が勝利宣言した。【10月5日 毎日】
************************
民族代表については、セルビア人は離脱派、イスラム教徒(ボシュニャク人)とクロアチア人は民族融和派・・・ということのようですが、下院の結果はどうなったのでしょうか?
どうも情報が少なくよくわかりません。
よくわかりませんが、融和の方向に事態が向かう・・・というのはあまり期待できない状況のようです。