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孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ジンバブエ大統領選挙  欧米から酷評されるムガベ大統領が圧勝

2013-08-06 22:06:38 | アフリカ

(7月31日 ジンバブエ・首都ハラレ郊外 夜明け前から投票のため列をつくる人々 “flickr”より By Jerome Starkey http://www.flickr.com/photos/35604701@N07/9411822152/in/photolist-fkG3PJ-fkV3NW-fkjyLS-fjPEye-fk9Hc2-fknGU3-fmbEPK-fnhShX-fknGWo-fk8z5R-fknGTw-fk8z6v-fkk4K7)

【「ムガベ氏は国の歴史をつくり上げてきた指導者」】
アフリカ南部ジンバブエで7月31日に行われた大統領選挙は、現職ムガベ大統領(89歳)が、3回目の挑戦となるツァンギライ首相をダブルスコアに近い大差で破り、6期目を務めることになりました。

同時に行われた下院選(定数210)でも、ムガベ大統領率いる与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)が全体の3分の2を上回る158議席を獲得、旧野党、ツァンギライ首相率いる民主変革運動(MDC)は49議席に留まりました。

****ジンバブエ大統領選:「ムガベ氏当選」選管発表****
アフリカ南部ジンバブエの選挙管理委員会は3日夕(日本時間4日未明)、7月31日に投票を行った大統領選で現職ムガベ大統領(89)が当選したと発表した。大統領は6期目となる。

一方、事実上の一騎打ちとなったツァンギライ首相(61)は選管発表に先立って会見を開き、選挙結果を拒否する意向を明言、今後裁判所へ提訴するなどして争う姿勢を強調した。

選管発表によると、ムガベ氏は得票率61%で、ツァンギライ氏は34%だった。

一夜明けた4日朝、首都ハラレ市内中心部は平穏だった。政府寄り論調の地元紙は4日、「西洋の大国がムガベ氏を追放しようと攻撃してきたが、彼は帝国主義者の追従者を粉砕した」と、欧米に人気の高いツァンギライ氏を降したことを評価。ムガベ氏支持派の強い「反欧米」感情が見て取れる。

ジンバブエは英植民地時代から少数の白人が耕作地の4〜5割を所有していたが、独立闘争を率いたムガベ氏は黒人への土地の分配を進めてきた。一方、欧米は2000年以降の白人農家からの土地強制収用を「強権的」と批判してきた。

ムガベ氏を支持する男子学生チナシェ・チポンダさん(24)は「ムガベ氏は国の歴史をつくり上げてきた指導者。彼の仕事はまだ終わっていない」と話し、当選を喜んだ。

一方、NGOやツァンギライ氏支持派は、多くの住民が有権者名簿に掲載されていない不備や不正などを指摘。ツァンギライ氏は会見で「勝ったのは我々だ」と述べ、今後政府には協力しない姿勢を明らかにしている。【8月4日 毎日】
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ムガベ大統領はかつての独立の英雄ですが、33年間に及ぶ統治を続けており、白人支配を打破するための強引な農地・産業の黒人化政策、それに反発する欧米の経済制裁によって、2008年には年間インフレ率が一時2億3千万%以上(非公式には、年率換算で897垓%とか、ほぼ24時間ごとに物価が2倍になる年率6.5×10108%といった、天文学的数字も指摘されています)という驚異的・戦後最悪のハイパーインフレーションを引き起こし、経済は崩壊しました。

ハイパーインフレーションの方は、その後、ジンバブエドルを放棄し、アメリカ・ドルと南アフリカ・ランドを法定通貨とすることで収束しています。

ムガベ大統領が国際的に悪評高いのは、そうした経済失政だけでなく、強権的・暴力的な政治姿勢にもあります。
特に際立ったのは、2008年に行われた前回大統領選挙です。
このときは、第1回投票でムガベ大統領をリードし1位になったツァンギライ氏の支持者への大規模な暴力行為によって、結局ツァンギライ氏は決選投票出馬をあきらめざるを得なくなりました。(1回目投票でツァンギライ氏が本当に50%を超えていなかったのかも疑念がありますが)

この政権を暴力によって奪い取ったことについては当然ながら強い国際的批判もあり、結局ムガベ氏を大統領、ツァンギライ氏を首相とすることで権力分担・連立することで決着しました。
ただ、その後もムガベ大統領側の強引な政権運営は続いています。

こうした政権への固執は、単にムガベ大統領個人の意思だけでなく、周辺の既得権益層の利害がからんでいるのではないかとも推測しますが、こうした“老害”とも言える近年のムガベ大統領の統治については、このブログでもたびたび批判的に取り上げてきました。

しかし、そうした欧米社会を中心とした強い批判にもかかわらず、今回は圧倒的勝利を収めています。
もちろん、ツァンギライ首相側からは不正選挙の訴えは出ていますし、実際、多少の不正はあったとは思われますが、ダブルスコアに近い大差という状況は覆らないでしょう。

“ケリー米国務長官は「選挙結果がジンバブエ国民の意思を信頼できる形で代表しているとは信じていない」との声明を発表。欧州諸国も選挙結果への不信感を表明した。ただ、アフリカ連合(AU)や南アフリカを中心とする監視団は、一部に問題があったとしながらも「自由で平和的な選挙だった」としている。”【8月5日 産経】

国民はなぜ「独裁者」を支持しているのだろうか
今回結果の背景には、経済がとにもかくにも落ち着きをとりもどしていること、連立政権入りしたツァンギライ首相やMDCへの支持者の失望感もありますが、“欧米からの批判に対するアフリカの反発”が根底にあるように見えます。

****衰えぬムガベ人気 欧米酷評のなか大統領6選 ジンバブエ、白人農地の再配分に支持****
「失敗国家の暴力的な独裁者」。
欧米からそう酷評されるアフリカ南部ジンバブエのムガベ大統領(89)が対立候補に約2倍の大差をつけ6選を果たした。国民はなぜ「独裁者」を支持しているのだろうか。

「ムガベ氏がやらなければ永遠に自分たちの土地は戻らなかった」
首都ハラレ郊外で、タバコ栽培などを営むマバンギラさん(65)は、そう話す。ムガベ大統領の功績としてマバンギラさんが挙げるのは「農地改革」の名の下、2000年から断行した白人が経営する大規模農場の強制収用だ。

ジンバブエでは約4千人の白人が肥沃(ひよく)な土地のほぼ7割を所有し、かつて「ブレッド・バスケット(パンかご)」と呼ばれるほど高い生産性を誇った。

しかし、植民地時代から続く「白人支配」として、黒人には不満が根強かった。強制収用で白人農場主たちは立ち退きを余儀なくされ、農地はその後、数十万人の黒人に無償で割り当てられた。

マバンギラさんが所有する農地250ヘクタールも、白人のものだった。英国の大学で工学を学んだマバンギラさんは、自前のトラクターを周囲の農家に貸し出すなどして少しずつ生産を伸ばしているという。
マバンギラさんは「生産性は落ちたが、農地を得た黒人の生活は向上した。農地収用からが本当の独立で、発展には時間が必要なのだ」と話す。

強制収用後、欧米は激しく反発、経済制裁は強化され、資本は引き揚げられた。年間インフレ率は一時、2億3千万%以上となり、国家財政は破綻(はたん)した。

しかし、経済情勢は徐々に落ち着きを見せ、11年の物価上昇率は3・5%。多くの人から「白人から土地を取り戻すのは当たり前。経済低迷は欧米の制裁のせいだ」との声も聞かれる。

ジンバブエは初等教育の充実で識字率は9割に上り、公共インフラの整備や、治安の良さはアフリカでトップクラスとされる。欧米の「ムガベ批判」に反発する国民は少なくない。

 ■耕作放棄地多く、電気の途絶も
農地は耕作能力に応じてではなく、退役軍人らに優先的に割り当てられたため、耕作放棄された土地もある。

ハラレの北約120キロの農村センテナリーには、200ヘクタール以上にわたって高さ2メートルほどの雑草に覆われた農地があった。灌漑(かんがい)施設は壊れ、農業用水のためのため池のダムは決壊していた。
農地に足を踏み入れると所有者の女性が「土地を奪いに来たのか」とまくし立てた。近隣住民によると、女性の父親は独立闘争の英雄。今、約200ヘクタールのうち1ヘクタールほどだけを使って自給自足の生活をしているのだという。

この地区で農業指導をしている農業省のチムクズさん(33)は「農地の半数が耕作されていない状態だ」と明かした。センテナリーには、街を見下ろす高台にピンク色の壁の巨大な豪邸がそびえ立つ。一帯の農地を所有していた白人の家だ。

この家に住むマリンボさん(50)に、いつ所有者が去ったのかを聞くと、「2003年7月17日だ」と正確に答えた。「勝利の日だから忘れようもない」と言う。子供たちが「大きい家でしょ」と自慢そうに案内してくれた。だが、13室ある豪邸は荒れ果て、窓ガラスは割れ、壁がはがれていた。電気も途絶え、水をくみ上げるポンプも壊れたままだ。

ムガベ政権は白人農地を収用するとともに、野党勢力の弾圧を強化し、2000年代初頭には多くの逮捕者を出した。米誌の「世界最悪の独裁者ランキング」では常連だ。
反ムガベ派の配管工シスコさん(33)は「欧米と協調していくのがジンバブエの生きる道だ。今後も我々はムガベに苦しめられる」と話した。

 ◆キーワード
 <ジンバブエ> 人口約1300万人。国土の4分の1が標高1千メートル以上の内陸国。タバコや綿花の栽培が盛んで、ニッケルなど鉱物資源も豊富。1923年に英国の植民地となり、65年に少数派の白人が「ローデシア」として一方的に独立を宣言、政権を樹立した。その後、黒人組織が独立闘争を展開したが、英国の仲介で80年にジンバブエとして独立した。(後略)【8月6日 朝日】
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かつてローデシアと呼ばれていた白人支配時代は、南アフリカ以上に厳しい人種差別が行われていました。
そうした白人支配構造を是正するためには、黒人化政策という多少の荒療治も必要だったのかもしれません。
そしてそうした黒人化政策は、基本的には国民の共感を得ていると言えます。

ただそうであっても、もっとうまい、効率的な経済運営はあってしかるべきでしょうし、白人資産を暴力的に収奪するような行為が放置されるのも看過できません。

何より問題なのは、強権的・暴力的政治姿勢です。
すでに89歳になったムガベ大統領ですが、今後さらに5年間ジンバブエを統治することになります。
いったい、どれだけ自己判断で統治が可能なのか疑問です。権力に群がる周辺既得権益層の操り人形に化するのではないでしょうか。

ジンバブエ国民の意思決定ですので、これを尊重せざるを得ませんが、正直なところやや気の滅入る選挙結果でもありました。
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