家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

見舞い見舞われ

2009-11-14 07:53:12 | Weblog
母と母の兄を連れて母の妹のところに行った。

おじは今年妻を亡くした。

「寂しい?」と妹に聞かれて

「おお。寂しいよ」

と答えながらも

「なんだ、お前たちの方が先輩じゃないか」と言う。

確かに二人とも未亡人だ。

「あの人生きてる?」

まるで犬や猫の生存を問うような質問があり

「おお。生きているよ」という簡単な答えが返ってくる。

この世代の人たちに死は身近なものである。

「うまく逝きたい」

これが最大の関心事だ。

ただその迎えが来るまでは何かの役に立っていたいというのが、育ちを同じくした人たちの等しい意見であった。

農家の大家族の中で育った幼い頃の話は、決して裕福ではなかったし教養高いものでもなかった。

だが、それぞれに割り当てられた仕事を、いやいやこなしていく中で家族の一員であることを実感していたようだ。

それが楽しかったようで、よく話題に上っている。

そのころの躾は今も生きていて、やることは違っていても基本は変わっていない。

ただ時代の違う子や孫たちとの考え方の違いは大きい。

「もったいない」が通用しにくくなっていることは先日のプリンターの故障で私も味わった。

80歳を越えた人たちには気に入らないことだらけに違いない。

だが明るく生き抜く力は私よりも、はるかに旺盛な気がした。