宮崎さんがドイツの中国への異常な傾斜振りを、第5828回の「ドイツ大丈夫か」で取り上げさせてもらいましたが、そのドイツが中国によって裏切られようとしているようです。
これまた、宮崎さんが書いてくれています。ドイツも日本のように恩を仇で返されることを思い知らされる時が来るのでしょう。気が付いたときにはもう遅いのかもしれません。何とも、お気の毒です。
ここで、宮崎さんが取り上げてくれている書評がに驚かされます。何で、ドイツが日本じゃなく中国ののめり込むのかが良く分かります。
やはり、世界は腹黒いですね。世界には日本のような民度の高い国は無いようです。日本人も堕落したとはいえ、まだまだ、世界に比べると素直で正直な国です。その弱点に気が付いて手を打つべき時がきているのも間違いないでしょう。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より 平成27年(2015)9月17日(木曜日) 通算第4660号
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(中国は武器輸出大国でもある)
武器商人=チャイナの横合いからの売り込みの凄まじさ
質はともかく、値段がやすくて支払い条件が破格ならば。。
米国、ロシアについで中国が武器輸出で世界三位。英独仏をぬいて、いまも「躍進中」である。
インドネシアの新幹線入札の土壇場で、不意に横合いからこのプロジェクトを日本から強奪しようとしたように(結局、ジャカルタは白紙に戻した)、その商行為における行儀の悪さも天下一品である。
今度はエジプトが舞台である。シシ大統領は9月3日の北京軍事パレードに参列した。この話は、そのとき煮詰まったのかも知れない。
エジプト海軍は2011年にドイツのティンセンクルップ社に潜水艦弐隻を発注し、17年に引き渡される。
くわえてエジプトはあと二隻の潜水艦を同社へ打診した。この情報を得た中国は、質はともかくとして破格の安さと融資条件を提示し、商談をぶんどろうと躍起になっているという(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、9月16日)。
エジプト国防省は正式なコメントをだしていないが、中国の国有造船企業の「武昌造船所」で造られる潜水艦は「宋」級といわれ、エジプトの軍事予算に見合うほど魅力的な価格であるそうな。中国は80年代にエジプトに「明」級の潜水艦を四隻売却した「実績」がある。
中国はすでに潜水艦八隻をパキスタンに、二隻をバングラデシュに売却しているが、その性能の評判を聞いたことがない。中国の武器輸出の70%はパキスタン、バングラデシュ、そしてミャンマーの三ケ国で占められる(ストックホルム国債平和研究所)。
ドイツのティンセンクルップ社と言えば、従業員16万余の大企業集団であり、わが三菱重工の二倍の規模である。
またシーメンスはエジプトにガスタービンや風力発電施設をまとめる大型商談を成約させている。
武器輸出で、仲の良いはずのドイツと中国が火花を散らすことになる。
◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆
ドイツがなぜ中国と同じ見地から日本を徹底的に批判するのか?
ナチズから逃れる深層心理に日本を貶めて道徳的優位に立つ贖罪イデオロギー
三好範英『ドイツリスク』(光文社新書)
副題に「『夢見る政治』が引き起こす混乱」となって、ドイツ政界と報道の偏向ぶりを目撃すれば、いきなり納得である。
福島原発事故のとき、ドイツのマスコミはヒステリー症状に陥っていた。花粉症でマスクをかけて駅で待つサラリーマンの写真を「原発事故におびえ、東京から逃げ指す人々」と、信じられないキャプションをつけていた。
それでなくとも歴史認識では、中国、韓国とほぼ同一線上の批判の目をドイツマスコミは日本に向ける。高級紙といわれるシュピーゲルまで、そうなのである。
げんにいま現在、永田町で展開されている安保法制反対のデモは、完全に左翼プロの演技であり、「プロパガンダ」をマスコミが煽っている。本気で反対な ら、誰も切腹しないのはおかしい。自民党の支持率が反比例して上がっているのも、真相との乖離を如実にあらわしているではないか。
ひとつ三好さんの解説で分かったことがある。ドイツの主要マスコミは「緑の党」の支持者が多いという知られざる事実だ。
日本にあてはめると、朝日新聞をよんでいると安保法制は日本が戦争に巻き込まれるそうな。朝日新聞をまじめに読むと、日本は中国、韓国への謝罪が足りない。これが外国へ、そのまま翻訳され、転電されると世界中に日本への誤解が立ちこめる。
しかし現実の日本は、朝日の期待をいつも裏切って保守党が政権を担い、かれら報じた安保法制反対集会には3万3000人しか集まらない。日本の人口は1億2300万。反対する人たちは全国民の0・00026%でしかないことをNHKも朝日新聞は報じない。
ドイツにも、「夢見る人」ばかりではなく、日本をちゃんと理解している少数の知識人がいる。
著者の三好さんは読売新聞ドイツ特派員として十四年の経験があり、こうした人々にも積極的にインタビューしている。
その取材対象の層の厚みが本書の魅力でもある。
さて三好氏はまず「夢見る人」を定義してこう言う。
「現実を醒めた謙虚な目で見ようとするよりも、自分の抱いている先入観や尺度を対象に読み込み、目的や夢を先行させ、さらには自然や非合理なものに過度の憧憬を抱くドイツ的思考の一つのあり方、である」と。
だからドイツの左翼は論理的飛躍を好むうえに時折パニックに陥る。なんだ、朝日新聞と同じじゃないか。
だから論理的に者を考えることができるドイツ人はシュピーゲルや「南ドイツ新聞」を読まない。ペギータ運動(『西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者』)を担う人々の多くも理性的である。
かれらはシュピーゲルなど左翼マスコミを『嘘つき』「プロパガンダ」であると見抜いている。これも日本の知識人と同じ状況である。
さはさりながら、近年のドイツの中国への急激な傾斜はいかに捉えるべきか。
第一にドイツからみれば日本は極東の島国であり、あまりに遠くてよく分からないが、中国はユーラシア大陸で繋がっている。
「ユーラシア大陸のほぼ西の端に属する国家として、ドイツ人は東に対する憧憬、その逆に繰り返し侵略者が押し寄せてきた異郷への畏怖を身を以て感じる」のである。そしてドイツの地理をみれば、「東への到達点は中国である」と著者はいう。
第二は地政学の経済学的延長にある。近年、ドイツの貿易相手国は日本をぬいて中国となった。
フォルクスワーゲンは世界販売970万台。このうち327万台(34%弱)を中国市場で売った。だから中国ののめり込むのは無理もない。
第三に、このドイツの反日を中国が便乗して利用していることである。
「歴史問題に関して中国の主張に共鳴する要素がドイツにあり、(中略)それがドイツーー中国関係の持つ、日本にとっての危うさの核心」だと三好氏は警鐘を乱打する。
第四にもっとも重要なことは次の指摘である。
「ドイツ人は過去の歴史を克服するために」、日本を攻撃することによって、「倫理的な高みを獲得したと信じこむようになった。いわば、『贖罪のイデオロギーか』が起こったのである」
だからドイツは謝罪して過去に訣別しようとしているが、日本は謝罪していないなどと中国のプロパガンダを鵜呑みにして、いやそれを信じ込むことによって「主観的な優越感」にひたるというわけだ。
「道徳的に自分より劣った日本人を発見して、バランスを回復する精神のメカニズムがあるのではないか」と三好氏は分析する。
結論はこうである。
「現代のドイツの正統的な歴史認識は『贖罪イデオロギー』に強く規定された、歴史の醍醐味とは異質な知の営み」でしかない、と。
新書版ながら中味は重厚、じつに思想的にも充実した力作といえる。
成程、ドイツはこんなことを考えていたんですね。最近のメルケルさんの日本に対する何となく冷たい態度に、どうもおかしなものを感じていたはずですがこんな裏があったんですね。こんなことは夢にも思っていませんでした。
これは、やはり、世界は日本とは違うことをきちんと認識して、国内とは違った付き合い方をする必要がありますね。それにしても、VWの中国への傾斜は 異常ですね。これは、致命傷になるでしょう。こうなると、撤退しないながらも、のめり込まないように付き合っているトヨタの戦略は的を射ているのかもしれ ません。願わくば、完全撤退してもらいたいものですが。
それにしても、日本を貶める工作の中国を利用して、自分の立場を良くしようとして騙されたドイツは、やはり、中国と一緒に崩壊の道をまっしぐらに進んでいるようです。これも、自業自得ですね。
昨日、ソフトバンクの終わりを期待すると書き ましたが、追い打ちのように、今度はスマートフォンの業界自体を冷え込ませるような面白いことが起こったようです。
何と、安倍さんが携帯電話などの料金を下げるように発言したことにより、携帯各社の株価が下落したのだそうです。携 帯を止めてしまった私にとってはど ちらでも良いようなことですが、携帯が広がりだした頃から、この料金が可処分所得に影響して景気を冷やしていると何度か 書いてきただけに、この発言自体は 支持したいですね。
今まで、安倍さんも特定の業界に影響することなので遠慮していたのかもしれませんが、この問題は何時かは解決するべ き問題だけに良くやってくれたと評価したいですね。
SankeiBizより 2015.9.15
出 ばなくじかれたiPhone商戦 首相発言で携帯3社の株価急落
14日の東京株式市場でNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクグループの携帯電話大手3社の株価が前週末に比べ最大 で1割近く急落した。週末の11日夕、安倍晋三首相が経済財政諮問会議で「携帯料金などの家計負担の軽減は大きな課題」 と発言したことが要因とみられる。
3社は11、12日に米アップルの新型スマートフォン「iPhone(アイフォーン)6s」と「6sプラス」の料金 を発表。本来なら端末販売の増加が見込める時期だが、首相発言を受け、収益悪化の懸念が高まった。アイフォーン商戦直前 に出ばなをくじかれた格好だ。
11日の会合後の記者会見では甘利明経済再生担当相も「(携帯大手が)3社体制で固定化し、競争政策が働いていない との指摘もある」と強調し、高市早苗総務相に具体策を要請。総務省の来年度政策に対策が盛り込まれる可能性もある。
14日の株価の前週末比下落率はソフトバンクグループが5.51%、KDDIが8.58%、ドコモが9.83%、ド コモの親会社NTTは6.45%だった。
各社は「キッズやシニア層など幅広い年齢層で利用しやすい料金プランや割引を実施しているが、今後も顧客の要望に耳 を傾け努力していく」(ドコモ)、「アイフォーン発売や新たな定額通話料金も打ち出したので、影響は一時的ではないか」 (KDDI)などと話した。
願わくば、これが値下げに繋がり、ソフトバンクの息の根を止めるきっかけになってくれれば最高です。と言うか、これ に、不買運動が一緒になれば致命傷 になりそうな気がします。やはり、未だに、ソフトバンクのスマートフォンや球団を使ったり応援している情弱の日本人の奮 起を促したいものです。
もう一つ、これは、私にとっては大きな問題ですが、インターネットの光の価格にも言及して欲しいですね。今や、新聞 もテレビも止めた、我が家にとって は、この料金の負担が最も堪えるものになっています。かと言って、ネットだけが生甲斐の私にとっては、これを止める選択 肢はありません。それだけに出来る 限り安くしてもらいたいものです。
それは、安倍さんにとっても追い風になるのじゃないでしょうか。何と言っても、ネットで自虐史観から目覚めた人達が 多いのですから。
先人が今の堕落した日本人と違って、どれ程凄かったのかは、満州を良く知ると思い知らされます。満州という名前は知っていましたが、その中身は殆ど知らなかった私も、第6回や第4961回の「凄すぎる日本」で取り上げたように、本当の姿を知ると、あの短期間にここまで凄い国を作り上げた先人の偉大さに恐れと尊敬を抱かずにはいられません。
最近は私のようにネットで知った人も増えて来たようで、一人でも目覚めて先人の偉大さを知れば、自虐史観からも目覚めるのじゃないでしょうか。
くっくりさんも取り上げてくれています。これを読んでいると、まだまだ知らないことが多いことに愕然とします。知れば知るほど、先人は凄い。
ぼやきくっくりより 2015.09.14 Monday
満州国は輝ける近代国家だった
皆さんは「満州国」にどんなイメージをお持ちですか?
あまり良いイメージをお持ちでない方も多いのではないでしょうか。
だとしたら、終戦直前のソ連の侵入と同胞の苦難に満ちた帰国、シベリア抑留など、悲惨だった期間に関心が集中し、13年半の輝かしい国家としての面はほとんど語られることがないからかもしれません。
「正論」2015年8月号掲載の
【輝ける近代国家・満州国よ、永遠なれ】
満州国陸軍軍官学校(日本における陸軍士官学校にあたる)元軍官候補生の和田昭(あきら)さんと、軍事ジャーナリストの井上和彦さんの対談です。
※正確には、5月24日に靖國神社遊就館で開催された雑誌「正論」主催講演会の内容をもとに再構成されたもの。
私は、日本統治時代の朝鮮や台湾についてはこれまで色々と見聞きしてきましたが、満州国についてはあまりなかったので、和田さんのお話はとても新鮮でした。
日本の歴史教科書では、多くが、「『日本の生命線』と主張して中国東北部を侵略した日本軍が、清の最後の皇帝(溥儀)を元首として傀儡国家を作った」的な記述をしています。
満州国を「侵略」とみなして否定すること、これは中国の主張に沿うことです。
満州国は万里の長城の北側にあり、漢民族はそこを「夷狄(いてき)の地」と呼んでいました。
漢民族がこの地域に国家をつくったことは一度としてなかったのです。
そこにあろうことか日本を中心とした国家ができてしまった。
……日本が国家をつくったとは認められない。
単なる侵略だ。
あくまで中国本土内の領地の一部が侵略され、分離して独立しようとした「たくらみ」でなければならない。……
だから、中国は満州国が実在したことを、「『南京大虐殺』がなかった」ということと並んで最も嫌がっているそうです。
満州国建国を、現地の人たちは概ね歓迎していました。
それは人口の推移を見ても明らかです。
ここは日露戦争を通じて、日本人が血と汗と命を犠牲にして勝ち取った場所ですが、日露戦争の頃の人口は1000万人ぐらいだったのが、昭和7年に満州国ができる頃には約3000万人にまで膨らみ、終戦近くには約5000万人にまで増えたそうです。
関東軍が秩序を維持していた満鉄周辺の付属地の治安は非常に良く、万里の長城を越えて漢民族が押し寄せてきました。
軍閥が相争い殺伐としていた当時の中国から見れば、この地域は桃源郷と映ったのです。
朝鮮人もどんどん移住してきました。
〈ここを母国にしたいとみんなが思って、満州国をつくり上げた。そうでなければ、日本人がいくら頑張ったって、13年余りであんないい国はできません〉
…とおっしゃる和田さんは、昭和3年(1928年)1月3日、東京生まれ。
陸軍士官学校を受験後、陸軍省の照会に応じ満州国陸軍軍官学校入学を決意したそうです。
昭和19年3月、16歳で渡満。
首都・新京の同徳台にあった軍官学校に入学し、満州国の軍人になることに。
20年3月には予科を卒業し、日本の陸軍航空士官学校に留学の形で進学。
つまり終戦時は日本におられました。
同年8月のソ連軍侵攻により数多くの日本人が犠牲になりましたが、それを免れた、軍官学校の数少ない語り部です。
満州国での生活は正味1年しかなかったわけですが、多感な青春期を過ごしたこともあり、和田さんにとって、その後の人間形成に大きく影響したそうです。
[大東亜会議での記念写真。左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東條英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース。張景恵は五色の房を首からかけた協和服を着用している。画像はwikipedia>満州国より]
和田さんが満州国に関心を持ったのは、昭和18年(1943年)に大東亜会議が開催された時の資料の中の、満州国の張景恵国務総理(内閣総理大臣に相当)の演説記録がきっかけでした。
張総理の演説のポイントはこのようなものでした。
(1)満州国は異民族の共存で建国されている点、米英帝国主義のような民族支配関係と根本的に違っている。すべての民族が共栄関係である。
(2)満州国は北辺の防壁であると強調。これは張総理がロシアの満州支配の苛烈さを知っており、北の侵略を心底憎んでいたからと思われる。
(3)自国建国10年余の実態。特に経済面の成長を強調。国家財政は建国時の歳出入計2億7000万円だったのが、10年間で16倍の44億 5000余万円に。鉄道は6000キロが1万2000キロに倍増、小学生は50万人から250万人に達しようとしている。石炭は4倍に、銑鉄は5倍に増産 されている。
(4)米英が東亜侵略の手段に使っていた阿片吸引者は、建国当時130万人いたが、最近では近い将来完全にゼロに近づくまで減少している。
[哈爾浜(ハルビン)のキタイスカヤ通り。ロシア人向け店舗前を中国服・洋服・和服を着た人々が闊歩する。画像はwikipedia>満州国より]
和田さんにとって、これらの事例の中のいくつかは、軍官学校での生活の小さな体験の記憶が、「ああ、この事だったのか」と思い当たる節も少なくないそうです。…以下略
中国は、満州国と南京虐殺がなかったことを知られることを恐れていると言うのが日本の素晴らしさの全てでしょうか。何としても、日本人全てが知るようにしたいものですね。
満州・上海で日本軍がドイツから逃れて来たユダヤ人を手厚く保護したとの話は、ネットで初めて知ったのですが、その詳しい話は、読んだことがありませんでした。
ところが、ねずさんが、詳しく書いてくれました。これは、又もや、目から鱗です。今回も全文は是非リンク元で読んでください。
先人の凄さに恐れ入るしかありません。堕落してしまった戦後の日本人に比べて、先人の凄さは比べようもないですね。同じ日本人が洗脳の為とはいえ、ここまで堕落してしまうとは、やはり、教育の恐ろしさを感じずにはいられません。
何が、どうあっても、教育を取り戻さなくては、日本の再生は望めません。
小名木善行 ねずさんの ひとりごとより 2015年09月17日
オトポール事件
オトポール事件というのは、昭和13(1938)年3月にモンゴルと満州の国境付近にあるオトポール駅で、旅費も食事も防寒服も満足になく凍死寸前の状況にあったユダヤ難民を保護し、彼等の命を救った事件です。
3月の北満州といえば、まだまだたいへんに寒い時期です。<br />ドイツや周辺諸国を逃げ出したそのユダヤ人たちは着の身着のままの姿でした。
そんな彼等の入国を、当時の満州国政府は拒否しました。
理由は、ナチス・ドイツへの遠慮です。
実はこれは、満州国に限らず、当時の世界中の諸国がユダヤ人の入国を拒否していたのです。
そんな彼等を救ったのが当時ハルビンで関東軍特務機関長だった樋口季一郎少将でした。
樋口少将は、次のように述べました。
「わずかな荷物と小額の旅費だけで野営しながらオトポール駅に屯ろしているユダヤ人を、もし満州国が入国拒否するなら、ユダヤ難民の進退は極めて重大である。しかるに『五族協和』をモットーとする、『万民安居楽業』を呼号する満州国の態度は不可思議千万である。」
そして友人で南満州鉄道の総裁の松岡洋右に連絡を取り、満鉄の救援列車の出動を命じてもらいました。
こうして「臨時の」救出列車は、ハルピンと満州里駅を13回往復し、オトポール駅に集まっていたユダヤ人全員を救出しました。
このとき救出されたユダヤ人の数は、一説によれば二万人、そのユダヤ人の方々が、満州のハルピンで歓迎を受け、そこから上海などを経由して米国へと疎開していきました。
これが、オトポール事件の概略です。
ただ、この事件に関し、二万人ではなく二千人程度だったのではないかとか、あるいはこの救出事件自体がなかった、などという説が、一部の左翼系の学者等を中心に出されています。
理由は、当時この事件が、新聞等のメディアでまったく報道されていないことによります。
ただ、この事件に関して、ドイツのリッべントロップ外相が、オットー駐日大使を通じて次のような抗議文を送っっています。
「今や日独の国交はいよいよ親善を加え、両民族の握手提携、日に濃厚を加えつつあることは欣快とするところである。然るに聞くところによれば、ハルビンにおいて日本陸軍の某少将が、ドイツの国策を批判し誹謗しつつありと。もし然りとすれば日独国交に及ぼす影響少なからんと信ず。請う。速やかに善処ありたし。」
つまり、オトポールの救出は「あった」ということです。
では、なぜ、日頃記録を正確に付けることが得意な日本人が、被救出者の名前や人数を正確に記録していないのでしょうか。
なぜ、報道機関は、この事件をまったく報道しなかったのでしょうか。
実は、このオトポール事件について、ユダヤ人たちを救った樋口少将の奥様でさえ、夫がこのような善行を施していたことをまったく知らなかったのです。
それはなぜでしょうか。
理由があるのです。
当時日本は、ドイツとの間で「日独防共協定」を結んでいました。
そしてドイツはこれを拡大解釈して、ユダヤ人も防共の対象としていました。
ドイツにとって、ユダヤ人殲滅は、これは国策であったのです。
ひとつの政策を断固実施しようとするとき、これに逆らうものは断固排除する。
それが当時のナチス・ドイツの政治です。
つまり日本がユダヤ人に手を貸せば、これは「日独両国の政治的外交問題になる」ということです。
これに対し、当時の樋口少将が採った行動は、このユダヤ難民への対処を、「政治上の問題」ではなく、「人道上の問題」にしたことです。
樋口少将が関東軍司令部に送った書簡です。
「私の行為は決して間違っていない。法治国家として当然のことをしたまでである。
満州国は日本の属国ではない。ましてドイツの属国でもない。たとえユダヤ民族抹殺がドイツの国策であったとしても、人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいかない。」
そしてこれ受けた当時関東軍の参謀総長だった東條英機(後に首相)は、樋口の救出に全責任を持つことを請け合ったのです。「たとえどんなに相手が強くても、弱い者いじめは許さない」…以下略
それにしても、ここまで素晴らしい人達を自虐史観で貶めるのですから、GHQやそれに犯された反日左翼の罪は重いですね。
何度も、書きますが、この世界に誇れる先人を祀る靖国を参拝しないのは余りにも情けないですね。
こんな自虐史観の間違いを、一日も早く訂正して、子供達に素晴らしい日本を教えてあげる必要があります。
それにしても、この真実が明らかになることを恐れているとはドイツも情けないですね。日本政府・外務省はこうした真実を世界に広めるべきです。
ねずさんを歴史顧問として登用してもらいたいものです。そうなれば、ねずさんは日本の救世主となるでしょう。