戦後70年経って、ネットのお蔭もあって、日 本人も日本再生に目覚め始めたようですが、まだまだ主流にはなってないのかもしれません。
それだけでなく、第 502回の「ご 皇室は日本の宝」でも書いたように、日本の背骨である皇室までGHQの工作などによりおかしくなっているの じゃないかと危機を覚えずにはいられません。
今回も、ねずさんが続いて書いてくれた昭和天皇の教育の話で、目を覚まされました。と言うのも、日本人の戦後の劣化 は、GHQや左翼による教育によると思ってますが、どうやら、皇室も同じと考えた方が良さそうです。
昭和天皇の教育に携わった方達を知って、その思いが確信に繋がりました。やはり、日本再生の要は教育の改革が一番 ですね。
小名木善行 ねずさんの ひとりごとよ り 2015年11月03日
幼 年時代の昭和天皇
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明治天皇は、古くからのしきたりに従い、生後70日の迪宮(みちのみや)さまを、7月7日、御養育掛となった枢密顧 問官の川村純義(海軍中将伯爵)邸にお預けになりました。
川村家では、五つの教育方針をお立てになり、迪宮(みちのみや)さまを3歳まで御養育されています。
3歳までです。
そのときの川村家の教育方針が次のものです。
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◆川村伯爵五つの養育方針◆
一、心身の健康を第一とすること
一、天性を曲げぬこと
一、ものに恐れず、人を尊ぶ性格を養うこと
一、難事に耐える習慣をつけること
一、わがまま気ままの癖をつけさせぬこと
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ほんの小さな子供のうちから、わがままを許さず、人を尊び、難事に耐える習慣を身につける。
すごいと思います。
川村純義海軍中将伯爵
川村純義
川村伯爵のもと当時のエピソードがあります。
ある日のこと、夕食の膳に、迪宮(みちのみや)さまが、あまりお好きでないものを見つけたそうです。
で、「これいやっ」と箸を投げ出されました。
川村伯爵は、平素おだやかな眼を厳しくし、
「おいやならお食べにならなくてもよろしい。
爺はもうご飯を差し上げませぬ」
と申し上げ、お膳を引き寄せてしまわれたそうです。
迪宮(みちのみや)さまは、「食べる食べる」と泣いて謝り、以後、二度と食べ物の好き嫌いを申されることがなくなっ たそうです。
子供というのは、こうやって躾(しつけ)をするものなのだと思います。
なにも子供のわがままにつき合うのばかりが親の仕事ではないし、学校教育ではないと思います。
ちゃんとしつければ、子供はちゃんとわきまえるようになるのです。
それこそが教育です。
昨今、道徳教育を否定する自称「教育者」や「教育専門家」がいますが、履き違えもいいとこです。
ちなみに入学試験といえば、いまでは国算理社英ですが、江戸の昔は道徳の教科書こそが試験科目でした。
江戸時代の日本の治安の良さ、道徳性の高さ、徳義の高さ、民度の高さは、幕末から明治にやってきた外国人の驚嘆の的 になっていますが、教育の柱が道徳だったのです。当然のことといえます。
昨今の日本の教育は、ただの知識の詰め込みです。
だから悪いことをしたときの言い訳用の知識ばかりを身につける。
雲泥の差だと思います。
明治39(1906)年5月から、迪宮(みちのみや)さまは、青山御所内に設けられた幼稚園に通われました。
そして翌明治40(1907)年4月に、学習院初等科に入学されました。
学習院初等科の制服を召された9歳の裕仁親王殿下
9歳の迪宮様
この頃の学習院院長が乃木希典陸軍大将です。
乃木院長は、厳格な6つの教育方針を立て、全職員にその実行を固く命じていました。
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◆六つの教育方針◆
一、健康を第一と心得べきこと
一、御宜しからざる御行状と拝し奉るときは、
これを矯正申し上げるに御遠慮あるまじきこと
一、御成績については御斟酌然るべからざること
一、御幼少より御勤勉の御習慣をつけ奉るべきこと
一、なるべく御質素にお育て申上ぐべきこと
一、将来陸海軍の軍務につかせらるべきにつき、
その御指導に注意すること
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裕仁親王殿下は、東宮御殿から学習院まで、雨の日も風の日も徒歩でお通いになられました。
乃木院長は、毎朝、欠かさず正面玄関で殿下をお迎えなされたそうです。
殿下は、院長の数歩前で停まり、欠かさずに礼儀正しく挙手の礼をされています。
殿下は乃木院長の質素の教育をよく守られました。
つぎ当ての服を誇らしげに着て通学されました。
鉛筆は握れなくなるほど、消しゴムは豆粒ほどになるまで、お使いになられたそうです。
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何時ものように、是非、残分をリンク元で読んでください。本当に、目から鱗です。私のような軟弱ものでも、こうし た凄い教育を受けていれば、もう少しましな人間になったのじゃないかと思います。
本当に、教育と言うのは大事ですね。もっと、日本人は教育を真剣に考えるべきでしょう。と思ってたら、ねずさんが、 日本の大学の劣化を見事に書いてくれました。
と言うか、このツカエナイ大学というのは私も実感できます。何と言っても、4年の時は学園封鎖で授業もなかったのに 卒業出来たのですから。それ以上に 4年間で勉強したのはかろうじて語学のテストの時だででした。後は、学校には行かずに、テニスコートに通ったり、読書三 昧に麻雀くらいだった気がします。
その軟弱さを自分に納得させるために、大学とは一生の内貴重な4年間の自由時間を親の金で買うものだと定義づけたも のです。何とも、情けない限りです。今の自分の姿も自業自得ですね。
ツ カエナイ大学 2015年11月04日
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昨今は国立大学でも、日本人は生徒の3割で、残りの7割は支那人、韓国人になっています。
国立大でさえこれです。私立大学となると、推して知るべしです。
実際、行ってみると大学のキャンパスに日本人学生は少ないです。
親元を離れて暮らす日本人学生は、下宿代や学費のために大学に行かずにアルバイトに精を出し、入学金から学費まで日本国 政府に全額面倒をみてもらい、生活 費として月15万円の支給までされている支那、韓国の学生たちは、アルバイトに行くこともなく、キャンパス内で悠々と学 び、遊んでいます。
こうした現象が起きる理由は、少子化のため大学の運営のための生徒数が足りず、その足りない生徒数を補うために外国人留 学生の受け入れは、「やむを得ざる措置」と一般には説明されているようです。
けれど、これはおかしな話です。
なぜおかしいというのかというと、大学における教育が、本当に世の中の役に立つものなら、企業が社員の研修等のために大 学に社員を派遣し、大学と企業が一体となって人材育成に取り組んだり、シルバー教育の場として、大学が利用され、活用さ れるはずだからです。…以下略