団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

香川で、ヘイトスピーチ防止へ

2015年11月15日 | 坂出

  反日左翼にレッテル貼作戦で、中身も知らずに、正面切って反対し難い言葉に、深く考えもせずに、安易に見事に騙されている平和ボケ日本人のことを、第10 回の「おかしくないか坂出市議会」や第840回の「ヘイトスピーチ規制法案の危険性」などで取り上げた来ました。

  地元で、こんなバカなことが行われていることにがっかりさせられましたが、日本人の平和ボケはそこまで広がっていることに恐怖を感じてしまいます。

  そんな、日本人の平和ボケ反応に味を占めた反日左翼が益々、調子に乗ってきているようです。又しても、香川の恥がさらされたようです。   

  四国新聞社 | 香川のニュースより    2015/11/07

  ヘイトスピーチ防止へ/人権立県香川づくり研究会

   四国遍路の休憩所などで昨春、外国人を差別する張り紙が相次ぎ見つかったのを踏まえ、香川県内外の有識者が「人権立県香川づくり研究会」 を発足させ、五つの提言をまとめた。各自治体が「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)と呼ばれる人種差別的な街宣活動と闘う姿勢を明確に表明することなどを求め ている。

   同研究会は、昨年9月に発足。解放・人権政策確立要求県実行委員会の委託を受け、NPO法人香川人権研究所(理事長・根本博愛四国学院大名誉教授)などが立ち上げた。

   6日は高松市番町の県社会福祉総合センターでシンポジウムを開催し、外国人との共生、人権教育の充実など五つの提言を報告。同研究所のメンバーらによるパネルディスカッションでは、外国人の人権擁護の有効な施策などについて議論を交わした。

  このニュースを取り上げている四国新聞もかなり左翼に染まっているので、こんな記事を喜んで書くのでしょう。何とも、地方の汚染は酷いものがあります。
  まだまだ、日本人が目を覚ますのは時間が掛かりそうですね。こんなことでは、日本再生はおぼつかないのじゃないでしょうか。

身近だけに危機感を覚えます!

今こそ憲法改正を!1万人大会

2015年11月15日 | 憲法

 日本を再生するためには、第 511回の「十七条憲法の素晴らしさ」や第 512回の「日本国憲法は、早期に廃棄すべきだ」でも書いたように、一日も早く憲法を改正することであるの は間違いないでしょう。
  戦後の反日左翼の跋扈により未だに、正当な憲法を持てないことが日本がここまで劣化した原因の大きな一つであること も確かでしょう。

  ネットのお蔭で、かなりの人達が目覚めてきたことにより、今や、憲法改正の声を挙げることがタブーでなくなったこと は有難いことですが、まだまだ道は遠そうです。

  しかし、いよいよ動きが始まったようです。安倍さんも、もう憲法改正を素直に発言するようになりました。今度の、選 挙で、改正できるかどうかの最後のチャンスかもしれません。

  美しい日本の憲法をつくる国民の会が1万人大会を開催してくれました。産経新聞が詳しく取り上げてくれています。     

   産経ニュースより  2015.11.10
 
  【今 こそ憲法改正を!1万人大会】詳報(1)櫻井よしこ氏「来夏の参院選を目標に結集を」
 
  有識者らでつくる「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が10日、「今こそ憲法改正を!1万人大会」を東京都千代田 区の日本武道館で開催し、国民の会 共同代表でジャーナリストの櫻井よしこ氏が来年夏の参院選に向け「憲法改正の実現に向けて全員の力を結集していこう」と 呼びかけた。次世代の党の中山恭子 代表ら衆参両院の国会議員や米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏も出席。安倍晋三首相は衆院予算委員会のた め不参加だったが、「21世紀にふ さわしい憲法を追求する時期に来ている」とのビデオメッセージを寄せた。安倍首相と主な出席者の発言要旨は以下の通 り。…中略

   本来、日本の神髄を凝縮して表現していなければならないのが憲法前文ですが、現在の前文は実は外国のさまざまな文 章の寄せ集めです。現代風にいうと 「コピペ」であります。そこには日本の歴史も、私たちのご先祖が大切にしてきたさまざまな価値観も、全く反映されていま せん。

  聖徳太子の十七条憲法や明治天皇の五箇条の御誓文の基調をなしているのは、長い歴史の中で育んできた穏やかな文明観 であります。国民を慈しみ、国民が 互いを尊重し、日本の国柄を大切にする。しかし、日本だけの狭い考えに固執することなく、広く外の世界に学び、国際社会 と調和していく。この精神をわが国 は大切にしてまいりました。

  穏やかに暮らしつつ、道義を重んじ、雄々しさを尊んだのが、日本本来の国柄であります。それが現行憲法には全く反映 されていません。…以下略

  詳 報(2)安倍首相「自身の手で憲法をつくる精神こそ新時代を切り開く」
 
   安倍晋三首相のビデオメッセージ

   ご来場の皆さま、こんにちは。自由民主党総裁の安倍晋三です。本日ははるばるインド、ベトナムからのご来賓もお迎え し、「今こそ憲法改正を!1万人大 会」が盛大に開催されましたことに心からお喜びを申し上げます。憲法改正の早期の実現を求め、全国各地からご参集された 皆さまに心から敬意を表します。

   来年は日本国憲法が公布されてから70年の節目を迎えます。わが国は戦後、現行憲法の下で、自由と民主主義を守り、人 権を尊重し、法を尊ぶ国として、一 貫して世界の平和と繁栄のために貢献してまいりました。現行憲法のこうした基本原理を堅持することは、今後も揺るぎない ものであります。

   他方、70年間のときの流れとともに、世の中が大きく変わりました。この間、憲法は一度も改正されていませんが、21 世紀にふさわしい憲法を追求する時期に来ていると思います。

   また、現行憲法は日本が占領されていた時代に、占領軍の影響下でその原案が作成されたものであることも事実でありま す。憲法は国の形、未来を語るもので す。その意味において、私たち自身の手で憲法をつくるという精神こそが、新しい時代を切り開いていくことにつながるもの である。私はそう考えます。

  自民党は結党以来60年、憲法改正を党是とし、選挙の公約にも憲法改正を明記してまいりました。平成24年には党と して憲法改正草案を発表し、具体的な改正項目を示して、これを世に問うてまいりました。

   憲法改正の手続きについては、第1次安倍政権で国民投票法が制定され、第2次安倍政権で、宿題とされていた投票年齢の 18歳(以上)への引き下げが実現しました。憲法改正に向けて渡っていく橋は整備されたのであります。

   そして今、憲法改正に向けた議論が始まっています。ここで大切なことは、その議論が国民的な議論として深められていく ことであります。衆参両院の議員の それぞれ3分の2以上の賛成が得られて発議されますが、その成否を決めるのはあくまで国民投票です。国民が「憲法を改正 すべきだ」と思って初めて、なされ るものであります。

   憲法改正は党派を超えて取り組むべき大きな課題です。各党の皆さんにも協力を呼びかけ、実りある議論を十分に行い、国 民的なコンセンサスを得るに至るまで深めてまいりたいと思います。

   「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の皆さまにおかれては、憲法改正1000万賛同者の拡大運動を中心に、日本の国 づくりの国民的議論を盛り上げてい ただいており大変心強く思います。21世紀にふさわしい憲法を自らの手で作り上げていく。その精神を日本全体に広めてい くために、今後ともご尽力をいただ きたいと存じます。憲法改正に向けて、ともに、着実に歩みを進めてまいりましょう。
  
   詳 報(3)次世代・中山代表「自主憲法の制定目指していく」

   次世代の党の中山恭子代表あいさつ

  本日、「今こそ憲法改正を! 1万人大会」、このように力強く多くの皆様の参集の上で開催されますことを、心の底か らうれしく思っています。日本の未来に明るさが見えた記念すべき日になるように考えております。

  私たちは、日本国憲法が独立国家の憲法ではないということを、しっかり認識する必要があると思います。この憲法に忠 実にあろうとすればするほど、日本が独立国家としての体をなさなくなり、平和の維持すら危うくなってしまいます。

  情けない国になってしまったと思ったことは何度もございます。なぜでしょうか。突き詰めていけば、日本国憲法に行き 着きます。日本は独立国家として、長い歴史と伝統を持つ、日本の心を大切にした、日本人自らの手による自主憲法を制定し なければなりません。

  多くの学者の方々が指摘していらっしゃいます通り、日本の歴史、伝統、文化を踏まえ、日本人の心、魂がこもった前文 とすることがまず必要であると考え ています。次世代の党は、今、私たちが重要なときを生きていると考え、これからの日本が50年後、70年後も、国際社会 から信頼され尊敬される国家として 存立するために、自主憲法の制定を目指してまいります。

  「美しい日本の憲法をつくる国民の会」がさらに活発に活動されることをお願い申し上げます。今日ご参集くださいまし た皆さまとともに手を携え、憲法改正の実現に向けて私どもも頑張ってまいります。どうぞいっしょに、日本の本来の憲法制 定まで頑張ってまいりましょう。


   詳 報(4)完 ケント・ギルバート氏「米国人として断言する。9条は日本を弱い国にするためのものだ」

   ケント・ギルバート氏の提言

  現憲法を作成したアメリカ出身のケント・ギルバートです。こんなに重要な会議でお話しする機会を与えられたことに感 謝しております。

  今日は2つだけ重要なポイントをお話ししたいと思います。今の憲法には致命的におかしい点が2つあります。

  まず元首の規定がないということです。どんな組織でも代表者が必要です。国家でも当然です。代表者が明確でなければ 相手にも迷惑がかかります。

  ただ当時、天皇が元首だとは憲法に書かれなかった。明らかに元首なのに「象徴」という言葉でごまかしたわけです。米 国は天皇の処罰を行わず、象徴として残しましたが、元首にはしなかった。

  天皇のもとで日本人がもう一度結束するのは避けたいが、占領統治のためには天皇の権威を利用したい。象徴天皇とは、 GHQ(連合国軍総司令部)の妥協の産物です。それが日本国憲法の元首の定めがないという致命的な欠陥として残っている わけです。

  私は今から25年前に、PHP研究所から「僕が見た日本国憲法」という本を出版いたしました。それほど売れませんで したが。今、振り返って考えると「よくこんなこと書いたな」と思うんですけど、その中で「9条はそのままでも構わない」 と書きました。

  それは「自衛権はどうせ国際法上は放棄したわけではないから、とりあえず実験的にやってみてもいいんじゃないかな。 まだそんなに周りが危ないわけでもないし」という安易な考え方でした。

  しかし、今は全然そう思いません。中国の軍拡、北朝鮮の核開発、米国の変容、沖縄の現状など、世の中は戦後70年で 大きく変わっています。9条で軍事力を奪ったのもアメリカのためなんです。アメリカの国益のためなんです。

  護憲派の中にはこれを崇高な規定だと固く信じる人もいます。例えば「9条というのはあらゆる事態にも決して武力に頼 らずに、全て平和的な交渉だけで国際 紛争を解決できる理想的な国家にしようと考えた規定だ」とか、「日本のやり方が世界中に広がっていくよう、世界中の憧れ の的にしよう」とか、「9条を世界 遺産にしよう」というのもあった。妄想もここまでくると、怪しい新興宗教の教義のようです。

  米国人の一人として断言します。現実はそんなことでは決してありません。ただ単に日本を弱い国にしたいから9条をつ くったのです。簡単にいえばペナルティー、つまり制裁です。それ以外の何ものでもありません。早く目を覚ましてくださ い。

  最後になりますが、米国が私たちを守ってくれるという依存症が日本国内に蔓延(まんえん)しています。日本人はそう した病を早く払拭すべきだと思います。自分の国は自分で守るという当たり前のことが、憲法改正を通じて現実になることを 願っております。

  時期は熟したようです。後は、日本人が何処まで目覚めるかで結果が出るでしょう。取りあえず、来年の選挙が勝負で す。 


★社長が選ぶ社長

2015年11月15日 | 日本的経営の崩壊

  このところ、毎年ある記事を見るたびに腹が立つものがありました。それは、「社長が選ぶ社長」と言うものですが、何と、私の大好きな孫正義がトップに選ばれているのです。
  これを見たとき、日本の産業界はやはり救いようがないのかもしれないと思ったものです。つまりは、選んだ社長たちが自虐史観に犯されて、平和ボケということです。
  この程度の認識しかない社長達が率いる日本の企業が日本の為を考えて経営されているとは思えないのです。こんな程度だから、中・韓に何の疑問も持たずに、儲かるからと無批判に出て行くのじゃないでしょうか。
  本当に、日本の為を考えるのなら、どんなに、利益が欲しくても、日本に取って害にしかならない中韓の企業に進出するという選択はしないはずです。

  それが、今年は、豊田社長を選んだそうです。少しは、目が覚めてきたのでしょうか。と言うか、まだまだですね。こんなランクから孫が消えてしまった時 に初めて、目が覚めてきたかと少しは安心できるのじゃないでしょうか。果たして、そんな日は来るのでしょうか。と言うか、一日も早く来ないと、日本の再生 は無理でしょうね。

  SankeiBizより   2015.12.8

  トヨタの豊田章男氏が初の首位 「社長が選ぶ社長」 ソフトバンクの孫正義氏を抜く

  産業能率大学が8日発表した「社長が選ぶ今年の社長2015」でトヨタ自動車の豊田章男社長が初めて1位となった。昨年まで2年連続で首位だったソフ トバンクの孫正義社長は2位。3位は国産初のジェット旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット)の初飛行に成功した三菱航空機の森本浩通社長が選ばれた。 従業員10人以上の経営者582人に調査を行い、464人から回答を得た。

  それにしても、ソフトバンクはしぶといですね。やはり、まだまだ、孫を支持する目の覚めない日本人が多いと言うことでしょう。

  少しは、良いニュースもあるようです。とはいえ、これが、致命傷になるかどうかは何とも言えないですね。やはり、ヤフーやソフトバンクのスマートフォンを批判もなく利用している人達が未だに減らないことが致命傷です。もっと真剣に不買運動をしてもらいたいものです。

  ブルームバーグより  2015/12/08

  ソフトバンク孫氏、ヤフー・ジャパンめぐる1兆円超のジレンマ

  インターネット事業の売却を検討する米ヤフーが、資産価値1兆円超の日本のヤフー(ヤフー・ジャパン)株を手放した場合、ソフトバンクグループの孫正義社長は連結子会社のヤフー・ジャパンをめぐりジレンマに直面しそうだ。

   ファイブスター投信投資顧問の大木昌光運用部長は、ヤフー・ジャパン株の売却が検討された場合、孫氏には、資金を調達して株式を取得する、アリババ・グ ループ・ホールディングなど友好的な取得者を見つける、市場で株が売られるのを認める-という3つの選択肢があると述べた。いずれの状況も孫氏にとって 「よくない可能性が高い」という。

   ソフトバンクは、ヤフー・ジャパン株式の36.4%を所有し、連結子会社化している。ヤフー・ジャパンの取締役のうち孫氏やニケシュ・ア ローラ氏、ヤフー・ジャパン社長の宮坂学氏らはソフトバンクの取締役でもある。一方、米ヤフーは35.5%の株式を保有する第2位株主で、7日終値で計算 すると保有株式価値は1兆円超に上る。

   売り上げ減少や市場シェア縮小に直面する中、米ヤフーのマリッサ・メイヤー最高経営責任者 (CEO)らは先週、取締役会を開いた。取締役会をめぐってはアリババ株を本体から切り離すスピンオフ計画の撤回や主力のインターネット事業売却を含む多 くの選択肢を検討する見通しだと、事情に詳しい複数の関係者が事前に明らかにしていた。

   携帯電話と連携

   ソフトバンクの11月の発表によると、2015年4-9月期のヤフー・ジャパンの営業利益は1509億円で、ソフトバンク全体の22%に あたる。この数年は、国内通信事業に次ぐ稼ぎ頭となっており、ソフトバンクの携帯電話サービスとの連携も強化している。

   いちよしアセットマネジメントの秋野充成執行役員は、ヤフー・ジャパン株が売却された場合、「ソフトバンクとヤフー・ジャパンが買い戻す ことになるだろう」と話した。他の株主が保有することになった場合、経営方針などに違いが生じる懸念があり、孫氏は事前に混乱を防ぐ必要があるという。た だ、世界的にポータルサイトの影響力が低下する中、「ヤフー・ジャパンの重要性はソフトバンクにとって低下している」とも指摘した。

   SBIアセットマネジメントの運用本部長、木暮康明氏もソフトバンクとヤフー・ジャパンが取得する可能性が高いとしつつ、「そんなに簡単 ではない」と述べた。孫氏は保有資金を他の投資ではなくヤフー・ジャパン株取得に使う理由について、他の取締役に説明しなくてはならないためだ。また友好 的なパートナーが取得するためには、パートナーとの事業上のシナジーが必要だという。 

   ヤフー・ジャパン広報担当の羽入正樹氏は7日、自社株の売却が検討された場合の対応について「自社株買いについては常に最良の方法を検討している」と話した。ソフトバンク広報担当の小寺裕恵氏はコメントしなかった。

   ヤフー・ジャパンは1996年、ソフトバンクと米ヤフーの共同出資で設立された。ソフトバンクはかつて米ヤフーの筆頭株主だったが、15年3月末時点での保有割合は0.1%未満となっている。

   ソフトバンク株の8日の終値は前日比0.7%安の6322円。4営業日連続の値下がりとなった。


「慰安婦は性奴隷」認定せよ

2015年11月15日 | ニセ慰安婦(売春婦)・就職詐欺被害者問題

  昨日は、韓国で洋公主をマスコミが取り上げた ことを内部分裂が始まったかと書きましたが、やはり、そんなに甘くは無さそうです。アメリカでは又、とんでもないことを 言いだしたようです。

  尤も、これには中国が韓国と組んで煽っているようです。中国がいよいよ本性を現してきたようです。今までは、資金だ けで裏から煽っているような感じでしたが、もう隠さなくなったようです。

  中韓ともこんなことをやってる間に本体の崩壊の方が危ないと言う危機感は無いのでしょうか、それとも、その危機感 で、日本だけが安泰なことを許せず、何が何でも、日本を貶めるために出鱈目を通そうと形振り構わず動き出したのでしょう か。
  いずれにしても、もう結果は見えているでしょう。中韓の崩壊で、日本も静かになりそうです。 

   産経ニュースよ り    2015.11.9
  
    「慰 安婦は性奴隷」認定せよ…在米韓国系団体が日本政府に要求
 
  【ロサンゼルス=中村将】日韓首脳会談で早期妥結を目指して協議を加速させることで一致した慰安婦問題について、米 カリフォ ルニア州を拠点に活動する韓国系、中国系の反日団体は日韓両政府が合意に達しても、慰安婦像や碑の設置などの反日行動を続けてい くことを示唆していることが分かった。

  同州グレンデール市の慰安婦像設置を推進した「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム」(KAFC)は、慰安婦は 韓国以外 にもいたことから、「韓国政府がすべての被害者(慰安婦)の代表ではない」とし、日韓の「外交問題」ではなく、「戦争犯罪と人権 の問題」と主張。その上で、日本政府が、慰安婦は1932年から45年の間、旧日本軍の性奴隷だったと認めることや、政 府として の公式謝罪、すべての被害者への賠償-など7項目を日本政府に要求している。

  「日本の教科書や歴史書に正確な記録と認識を記載し、完全かつ継続的な(慰安婦問題の)教育を行うこと」や、「旧日 本軍によ る性奴隷の歴史を後世に残し、被害者をたたえるための記念碑(像)や博物館の建設」も問題解決の条件にあげている。

  日本政府は慰安婦問題について、1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場で、韓国政府には協議が妥結した場合 は問題を 蒸し返さないことも要求している。だが、KAFCが提示した内容は日本政府が受け入れられるものではないことから、韓国側の対応 に関係なく、米国での慰安婦像や碑の設置運動は継続される懸念が強まっている。

  一方、同州サンフランシスコ市議会で9月、「慰安婦像設置」決議が採択されたこと受けて、中韓系団体は協力して像を 1年以内 に設置することを確認。在サンフランシスコ中国総領事館の副総領が決議採択に尽力した元判事らを公式に称賛し、「日本の侵略の罪 と事実を否定するいかなる計画も逆効果だ。慰安婦問題のいかなる否定も反対にあうだろう」と述べている。像設置は中国政 府の“お 墨付き”を得て、進められていく公算が大きい。

  本当に恥知らずな人達ですね。いずれ、真実が知られることになり恥をかくだけなのに本当に懲りない奴らです。尤も、 恥なんてことは無い人達ですから、そんなことに痛みは感じないのでしょう。
  
  日本人もいい加減目ざめて、こんな中韓との国交断絶を実行して、崩壊の後押しをしてあげましょう。


★★西郷の涙

2015年11月15日 | 誇れる日本

  明治維新で坂本竜馬とともに人気が高いのは西 郷隆盛でしょう。その素晴らしさは、第 29話の「西郷南州」や第 1356回の「西郷さん」などで取り上げたように、無私を貫いたからじゃないかと思います。
  つまりは、日本人は中韓や西欧などの人達と違って、その西郷の心をきちんと評価できる民度の高さを持っていたと言う ことじゃないでしょうか。残念ながら、今や、その心を持つ人は殆どいなくなってしまったのじゃないでしょうか。
  戦後の日本人の劣化とはそう言うことじゃないかと思います。

  そんな西郷さんについて、何時もの伊勢さんが、『西郷南洲翁遺訓』が何故書かれたかを詳しく書いてくれています。お 恥ずかしいことに、こんな裏話があったの何て全く知りませんでした。その西郷さんの凄さに改めて驚かされました。     

     国際派日本人養成講座よ り        2015/11/08

  No.925 西郷隆盛に学んだ庄内藩士たち

  西郷に学んだ庄内藩士たちは「新しい日本をつくる同志」となった。

  1.庄内の人々の西郷隆盛への敬慕

  世の中には不思議な付き合いがあるものだ。西郷隆盛と庄内藩(現在の山形県庄内地方)の人々との交流である。

  明治元(1868)年の戊辰戦争では、庄内藩は西郷隆盛率いる明治政府軍に降伏したのだが、西郷の高潔な態度に感激 し、その後、藩主自ら70余名の藩士を率いて、薩摩に赴き、西郷に親しく教えを請う。

  西郷は明治10(1878)年の西南の役で戦没し[a]、「逆賊(天皇への反逆者)」の汚名を着せられるが、明治 22(1889)年、明治天皇が正三 位を与えて汚名を晴らすや、旧庄内藩の人々は西郷の語った言葉をまとめた『南洲翁遺訓』を刊行し、風呂敷包みに背負っ て、全国に配布して回った。

  庄内の人びとの西郷への敬慕は現代まで続いており、昭和51(1976)年には南洲神社が創設され、「財団法人 庄 内南洲会」が西郷の人徳を称える活動を続けている。

  人びとが一人の偉人をかくも純粋に敬慕した、いかにもわが国らしい美談である。今回はその経緯を辿ってみたい。


  2.庄内藩の人々を感動させた明治政府軍

  慶応3(1867)年12月、江戸の薩摩藩邸に結集していた浪人たちが、江戸の治安を乱していた。江戸の治安維持を 任されていた庄内藩士千人を中心と する5藩は、薩摩藩邸攻撃を命ぜられ、邸を砲撃し、焼き払った。この事件をきっかけに、鳥羽伏見での明治政府と徳川幕府 との戦いが始まり、以後1年半ほど の戊辰(ぼしん)戦争が続く。

  庄内藩は会津藩、米沢藩などとともに幕府側に立ち、新政府側に立った秋田に攻め入って連戦連勝を重ねた。庄内藩はも ともと良民を手厚く保護する藩政を とってきており、藩主・家臣・領民の結束が強かった。藩政を支えてきた商人・本間家も、スナイドル銃などの最新兵器購入 のために莫大な献金をした。

  米沢藩、会津藩の降伏後も、庄内藩は最後まで藩領土への新政府軍の侵入を許さなかった。しかし庄内藩以外のすべての 藩が降伏したので、明治元(1868)年9月、新政府軍に恭順の意を示した。

  このように最後まで頑強に新政府軍に戦ったので、庄内藩の人々はどれほど厳しい降伏条件を突きつけられるのか、と心 配していた。

  しかし、勝者として庄内藩鶴ヶ岡城に入ってきた新政府軍は刀を持たず、丸腰だった。新政府軍の兵士の中には勝ちに 奢って乱暴狼藉を働くかも知れないので、それを防ぐためだった。逆に敗者の庄内藩士には帯刀を許し、武士の面目を持たせ た。これには庄内藩の人々が驚いた。

  しかも、新政府軍の使者としてやってきた薩摩藩の黒田清隆が示したのは、驚くほど寛大な条件だった。11代藩主・忠 篤の謹慎、弟・忠宝への代替わりと、16万7千余石から12万石への減封であった。

  さらに黒田は、藩主の上座に座って、いちおうの「言い渡し」を終えると、ただちに藩主の下座に降り、「役目のため に、ご無礼をいたしましたが、お許しください」と、礼儀正しい態度をとった。武士道を弁えた黒田の態度に、庄内藩の人々 は心を動かされた。


  3.「この世に、そんな素晴らしい武士がいるのか」

  明治2(1869)年、庄内藩の家老として敗戦処理を進めた菅実秀(すげ・さねひで)が東京に出てきて、黒田に寛大 な処置に対するお礼を述べた。すると、黒田は「あれは私の処置ではありません。すべて西郷先生の指示でやったことです」 と明かした。

  新政府軍の指揮官だった西郷は、庄内藩が降伏した翌日にはすぐに帰ろうとした。まだ降伏したばかりで、後で何が起き るのか分からないので、黒田は西郷を止めた。


   けれども西郷先生は、『戦いは……勝てば、もうそれでいいよ。あとは、同じ日本人……。新しい日本をつくる同志 じゃないか。もう敵でも味方でもないよ』と、おっしゃったのです。[1,32]


  菅は「この世に、そんな素晴らしい武士がいるのか」と感動した。そして菅から西郷の話を聞いた庄内藩の人々の感動も 察して余りある。

  翌明治3(1870)年、18歳だった前藩主・酒井忠篤は70余名の家臣を引き連れて、西郷に学ぶために鹿児島を訪 れた。西郷は彼らを歓迎し、いろいろ話を聞かせてやった。

  忠篤は西郷の教えに感激し、大名気分を捨て去り、家臣たちと寝食を共にして過ごした。これら庄内藩の人々が西郷の言 葉を記録に残したのが、後に『西郷南洲翁遺訓』としてまとめられたのである。


  4.西郷の涙

  『遺訓』の中には、西郷が庄内藩士たちに語った肉声がまざまざと感じられる一幕がある。こんな一節である。

   ある時、西郷先生が、こうおっしゃった。

  「国民の上に立って、政治にたずさわる者は、つねに慎みの心をもって、どこにいても品行正しく、贅沢をしないように 心がけ、自分の仕事に一生懸命に取り組むような……、つまり人の手本になるような人でなければならないね。・・・

  ところが、近ごろの政府はどうだい。今は、これから何もかもはじめなければならないという、いわば時代の出発点に 立っている大事な時期なのに、豪邸に 暮らし、高価な服に身をつつみ、美しい女性を愛人にし、そして関心があることといったら、個人の財産を築くことばか り……。こんなことでは、何のために明 治維新をなしとげたのか……、その本来の理想を達成することなど、とてもおぼつかないよ。

  あの鳥羽伏見の戦いにはじまって、五稜郭の戦いで終わった戊辰戦争は、日本を再生するための“義”の戦いだったはず だよね。けれど、その戦いの結果できあがった新政府が、そんなありさまさ!

  今のままなら、どうなる? 結果的に、あの戦争は今の政府の高官たちの“利”のための戦いだった、ということになっ てしまうよ。

  こんなことでは、世の中の人々に対して、そして何より、あの戦いで戦場に散っていった戦没者たちに対しても、私 は……本当に申しわけなくて……」

  そうおっしゃると西郷先生は、こみあげてくる思いを抑えきれずに、しきりに涙を流されていました。[1,781]

   戊辰戦争を西郷の相手側として戦った当の庄内藩士たちも、この西郷の言葉には、涙をこらえきれなかったのではない か。


  5.「日本を再生するための“義”の戦い」

  西郷は「戊辰戦争は、日本を再生するための“義”の戦いだったはず」と言ったが、その「義」に関して次のように語っ ている。

  「節操や道義……恥を知る心、こういうものを国民が失ったら、国は、とても持たないね。これは、西洋でも同じことだ よ。

  たとえば、政治家や官僚や公務員などの上に立つ者が、国民から利益を得ることばかりを求めて、社会正義を忘れてし まったならば、どうなる?

  国民もその真似をして、その心は、どんどん拝金主義に向かい、いやらしい貪欲な心が、日を追うごとに国民の間に広 がっていくよ。 ・・・

  そうなってしまったら……、いったい、どうやって国を維持すればいいんだい?[1,1245]


  道義を国民が失ったら、国は持たない。明治政府の高官たちが私利私欲にふけっている姿は、自ら国を壊している。それ では「日本再生のための義の戦い」と信じて、命を捧げていった戦没者たちに申し訳ない。その思いが西郷の涙となってい た。

  西郷が戊辰戦争を「日本再生のための義の戦い」と捉えていたことを知れば、『戦いは……勝てば、もうそれでいいよ。 あとは、同じ日本人……。新しい日本をつくる同志じゃないか』と、庄内藩の人々に寛大に接した理由も理解できる。

  西郷は庄内藩士を「最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした立派な武士」と称えていた。今後は日本の再生のために、と もに忠義を尽くして欲しい、というのが、西郷の願いだった。


  6.「西洋は野蛮じゃ!」

  明治維新という「日本再生のための義の戦い」は、黒船の来航に象徴される欧米諸国の脅威の下で行われた。その欧米諸 国について、西郷は省内藩士たちにこう語っている。


   ある時、西郷先生が、こうおっしゃった。

  「“文明”というのは、どういうことかわかるかい? それは、道徳心が人々に広くゆきわたって、それが実践されてい る国のようすを、称えて言う言葉な んだ。けっして宮廷が大きくて立派だとか、人々の服装が美しくて綺麗だとか、そういう外から見た、フワフワした華やかさ を言うのではないよ。 ・・・

  私は昔、ある人と議論したことがあるんだよ。その時、私は、こう言ったのさ。 『西洋は野蛮じゃ!』

  するとその人は、こう言った。 『いや、西洋は文明です』

  そこで私は、 『いいや、いいや……、野蛮じゃ!』と、たたみかけた。

  すると、その人はあきれて、 『どうして西洋のことを、それほどまでに悪くおっしゃるのですか?』と、不満そうに言い返してきた。

  そこで私は、こう言ってやったのさ。

  『ほんとうに文明の国々なら、遅れた国には、やさしい心で、親切に説得し、その国の人々に納得してもらった上で、そ の国を発展させる方向に導いてやるんじゃないかな?

  けれど西洋は、そうではない。時代に遅れて、ものを知らない国であればあるほど、むごくて残忍なことをしてきたし、 結局のところ、そうして自分たちの私利私欲を満たしてきたじゃないか。これを“野蛮”と言わないで、何を“野蛮”と言う んだい?』

  私がそう言ったら、その人は口をつぐんで、もう何も言わなくなったよ」

   そう言って、西郷先生はお笑いになりました。[1,1069]

  当時、欧米諸国はアジア・アフリカの諸国を植民地化し、搾取していた。支配者がその様では、国民全体が植民地根性を 抱いて、私利私欲のために働くようになる。西洋の「野蛮」がアジア・アフリカに「野蛮」を生み出す。

  西郷は「文明」とは「道徳心が人々に広くゆきわたって、それが実践されている国のようす」と考えた。西洋諸国に植民 地化されてしまえば、そんな文明国にはなりえない。

  そうした西洋諸国の「野蛮」から、国を守ろうとすることが「攘夷」なのであった。[1]の著者・松浦光修・皇學館大 学教授は次のように喝破している。


  「攘夷」によって先人たちが護ろうとしていたものは、単なる“国益”ではありません。ここが大切なところなのです が、最終的に護ろうとしていたのは、“道義”なのです。[1,1106]


  7.『後世への最大遺物』

  西郷から「最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした立派な武士」と称えていた、そんな忠義の武士たちであったからこ そ、西郷の道義あふれる振る舞いに感じ入り、前藩主が70余名もの藩士を引き連れて、西郷のもとに学びに来たのである。

  庄内藩士たちは、西郷の言葉に学んで「新しい日本をつくる同志」となったのであろう。西南戦争の12年後、明治天皇 が西郷に正三位を追贈して名誉を回復されるや、『

』をまとめ、全国に広めようとしたのも、「新しい日本をつくる同志」としての志に違いない。

  西郷隆盛を『代表的日本人』の一人として描いた内村鑑三は、『後世への最大遺物』と題した講演で次のように語ってい る。

  「誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば、勇ましい 高尚なる生涯であると思います。[1,2992]


  西郷隆盛と庄内藩士たちの「高尚なる生涯」は、現代の我々に贈られた「後世への最大遺物」そのものである。それをど う活かすかは、我々の生き方にかかっている。
(文責:伊勢雅臣)

  こんなに素晴らしい人だったんですね。これじゃ、明治の元勲と言われる人達と共に仕事をすることは出来ないでしょう ね。やはり、日本人の劣化は、西洋と門戸を開いた明治維新からと言うことが良く分かります。

  確かに、国は発展しましたが、人間性は、どんどん劣化してゆき、戦後70年が止めを刺したと言うことかもしれませ ん。と言いながらも、まだ、かろうじて、世界と比べれば、少しは民度の高さが残っているようです。

  やはり、今が、日本人が日本の心を取り戻す最後の機会かもしれません。今を逃せば、いよいよ日本も間違いなく崩壊す るでしょう。