団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★夫婦別姓論議に欠ける子供の視点

2015年11月09日 | 日本の女性

  反日左翼の日本の家族制度の破壊工作が相変わ らず続いているようです。2011年1月 3日 (月)の第 4124回・「離 婚と自殺」などで警鐘を鳴らしてきた夫婦別姓ですが、最高裁で弁論が始まるのだそうです。

  日本を根本から壊したい反日左翼って本当に恐ろしいですね。

  何時もの、阿比留さんがその危なさを子供の視点から考えるべきと書いてくれています。やっぱり、阿比留さんが今おら れることは日本にとって本当に有難いことです。

  産経ニュースより      2015.11.5

  【阿比留瑠比の極言御免】 夫 婦別姓論議に欠ける子供の視点

     4日は最高裁大法廷で夫婦別姓(氏)をめぐる訴訟の弁論が開かれるとあって、日経新聞と朝日新聞の朝刊1面コラムが、それぞれこの問題を取り上げてい た。夫婦別姓に賛成・推進する立場で書かれたこの2つのコラムを読んで感じたのは、立論の前提、出発点が異なり、議論が かみ合わないもどかしさだった。

  「誰かに迷惑もかけない。コストも知れている。歩みの遅さを合理的に説明するのは難しい」

  日経はこう書いていたが、夫婦別姓論議でいつも気になるのが、当事者である子供の視点の欠落だ。子供の意見を反映し た調査がなかなか見当たらないので少し古くなって恐縮だが、平成13年に民間団体が中高生を対象に実施したアンケート結 果を引用したい。

  それによると、両親が別姓となったら「嫌だと思う」(41・6%)と「変な感じがする」(24・8%)との否定的な 意見が、合わせてほぼ3分の2に達している。一方、「うれしい」はわずか2・2%しかいなかった。

  また、20歳以上の成人を対象とする内閣府の世論調査(24年12月実施)でも、夫婦の名字が違うと「子供にとって 好ましくない影響があると思う」と答えた人が67・1%に上り、「影響はないと思う」(28・4%)を大きく上回った。

  夫婦別姓というと、両性が納得すればいいと思いがちだが、夫婦が別姓を選択した場合、子供は必ず片方の親と別姓にな る。ことは夫婦のあり方だけの問題ではなく、簡単に「誰かに迷惑もかけない」と言い切れるような話ではない。

  日経コラムはさらに、こうも書いている。

  「反発する人の声から『自分と違う価値観を持つ人間が、とにかく許せない』との響きを感じることがある」

  どう感じようと自由ではあるが、この見解はかなり一方的だろう。10年以上前のことだが、夫婦別姓を議論していた自 民党の会議を取材した同僚記者は、夫婦別姓推進派で、現在は党総裁候補の1人といわれる議員から、こう面罵された。

  「(夫婦別姓に慎重論を唱える)産経新聞は、新聞じゃない」

  当たり前のことだが、自分と違う価値観が許せないのは、何も夫婦別姓に「反発する人」にかぎらないということであ る。多様な価値観を説く人が、異なる価値観を否定するという矛盾を犯すのは珍しくない。

  ちなみに、朝日のコラムにはこうあった。

  「結婚や家族の多様化、個の尊重という冒頭に引いた変化(※国民意識の多様化、個人の尊重)は、別姓の議論に もそのまま当てはまる」

  「社会は旧姓使用を広げる方向に動く」

  確かに一般論としては、社会の多様化は歓迎すべきことなのだろう。多様性を失えば硬直化し、やがては行き詰 まっていく。とはいえ、何でもかんでも「多様化」という言葉で正当化しても、そこで思考停止することになる。

  また、夫婦別姓を法的に位置づけることと、旧姓使用は全く別物である。現在、夫婦同姓制度の下で通称使用が大 きく緩和され、旧姓使用が広がっていることがその証左だといえる。

  いずれにしてもこの問題を考えるときは、直接影響を受けることになる子供の意見をもっと聞いた方がいい。政府 にも、今度調査するときはぜひその視点を盛り込むようお願いしたい。(論説委員兼政治部編集委員)

  ただでさえ、離婚や自殺や増えているにも関わらず、そんなことは無関心で、日本を破壊しようとする反日左翼って何を 考えているのでしょうか。
  やはり、この問題は、もしかしたら裏で、中・韓が糸を引いているのかもしれませんね。どう考えても、まともな日本人 とは思えません。


★こんな教育委員会はいらない

2015年11月09日 | 文科省・教育改正

  このところ、皇室問題から戦後の日本の堕落の 大きな原因にGHQや反日左翼達による日本の崩壊を狙った教育にあることを書きましたが、そんな教育が今も続いているの は、教育委員会にあるという本が出版されたようです。

  何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。

  「宮崎正弘の国際 ニュース・早読み」より  平成27年(2015)11月5日(木曜日)弐 通算第4718号   
  


  書評  しょひょう  BOOKREVIEW  書評  ブックレビュー

 生徒らのいじめ、自殺に適切に対応できず保身に走る教員、校長
  選抜方法でも曖昧な教育委員って今後も必要なのか?

   篠原寿一『こ んな教育委員会はいらない』(自由社)

   左翼偏向で中国のプロパガンダのような歴史教科書が、戦後七十年を経た、いまも全国でまかり通っている。その最悪 の原因は教育委員会である。
   文科省の検定にも問題が多く、日本のための歴史教科書であるべきなのに、つねに外国におもねるという逆さまの作業 をしてきた。
   そして教科書がなぜか、教育委員会の選択にゆだねられ、歴史を知らない委員達が官吏に丸投げ、日本の歴史教育現場 はわるくなるばかりなのだ。
   どうしたら良いのか。
そもそも「教育委員会」なるものは、戦後すぐに来日したアメリカの教育使節団の報告書に基づいて都道府市町村に設置され た。占領軍の狙いは文部省から権限を取り上げることだった。だから教育委員会もまた「戦後レジーム」における粗大ゴミな のだ。
  著者は九年間、教育委員会を傍聴した稀有の人でもある。
  そしてこう結語される。
  「教育委員会が駄目になってしまった大きな原因は、実質より見かけ、子供の健全な育成よりも自身の保身を優先し、不 勉強、不見識な教育委員が増えてしま い、多くが特殊な利権の巣窟と化してしまったからである。これでは国際社会で力強く活躍できる日本人を育てるのは無理で ある。教育委員会は廃止し、抜本的 教育制度の改革が必要なのである」。
  
  満腔の賛意を表したい。

  ここでも、保身ですか。国や子供達の未来より、自分の利益が大事だという、これも戦後が生んだ堕落した日本人を代表 していますね。
日本人は一日も早く、公という、先人達が大事にした日本の誇れる伝統を取り戻す必要があります。

  日本が長い間かかって育ててきた素晴らしい日本も戦後のたった70年で、ここまで落ちぶれるのですから、教育の大事 さを感じずにはいられません。
  経済も大事ですが、やはり、今一番取り組まなければならないのは教育でしょう。これが、このままでは、政治や経済を どんなに良くしようと思っても砂上の楼閣を作るだけでしょう。基本とする教育を立て直さない限り全ての努力は無になるで しょう。
  本当に、教育は恐ろしい。


★教養主義の復権を

2015年11月09日 | 文科省・教育改正

  京大の学長の素晴らしい発言を、第5873回の「英語はツールでしかない」で取り上げましたが、東大にも素晴らしい教授がおられるようです。
  こちらも、英語はツールでしかないに通じる素晴らしい発言をしてくれています。もう救いようがないと思われる日本の大学にも素晴らしい教授は少ないと言えども残っておられるようです。
  こうした方を中心に昔の左翼に汚染されていない素晴らしい大学を取り戻してほしいものです。と言うか、絶対に取り戻さなくてはいけませんね。 
  
  産経ニュースより    2015.11.2

  【正論】 「台風を放棄する」と憲法に書けば台風が来なくなるのか? 危惧抱く教養主義の衰退 平川祐弘(東大名誉教授)

  「台風を放棄する」と憲法に書けば、台風は日本に来なくなりますか、と田中美知太郎は問うた。世間には「戦争を放棄する」と憲法9条に書いてあるから 戦争がないような言辞を弄する者がいる。田中は戦争被害者で焼夷弾で焼かれた顔は恐ろしかったが、そう問うことで蒙を啓く発言には笑いと真実があった。

  《今も通じる竹山道雄の判断》

  55年前、国会前は「安保反対」で荒れた。多くの名士はデモを支持した。だが大内兵衛、清水幾太郎など社会科学者の主張は傾向的だったものだから今では 古びて読むにたえない。ところがギリシャ哲学者、田中の発言は古びない。今年の国会でも維新の党の議員が「台風放棄」説を引用した。

 興味あるのは論壇名士の賞味期限だ。人民民主主義を擁護した社会科学者の期限はとうに切れたが、田中は違う。複数の外国語に通じた人文学者の常識-プラトンの対話を講ずる一見、浮世離れの田中の論壇時評のコモン・センスを私は信用した。

  またドイツ語でマルクスを読んで有難がる社会科学者よりも、東独からの逃亡者と生きたドイツ語で会話する竹山道雄の判断の方を信用した。私はいま竹山 の往年の新聞コラムを本に編んでいるが、その安保騒動批判は今でも通用する。「米軍がいると戦争が近づく、いなければ遠のく-、多くの人がこう考えてい る。しかしあべこべに、米軍がいると戦争が遠のくが、いなければ近づく」と考えるのが竹山だった。

  習近平中国の露骨な膨張主義に直面して日本人の考えはいまや後者の方に傾いた。半世紀前は新保守主義とか教養主義とか揶揄された田中や竹山だが、どうしてその判断は捨てたものではない。

  そんな大正教養主義世代を敬重するだけに、日本の高等教育における教養主義の衰退に危惧の念を抱く。かくいう私はlater  specializationを良しとした。ところが近年、文部科学省はそんな専門化への特化を先延ばしする教養主義を排し、早く結果の出る専門主義を推 している。

  《外国語による自己主張の訓練を》

  教養教育批判が出るについては、従来の教養部に問題もあったろう。しかし私は教養主義を奉じた旧制高校で学び、新制大学では教養学部の教養学科を出、 教養学士の学位号を持つ者だ。おかげで80代でも仏語で本を出している。恩恵を感じるだけに教養主義の復権を唱えずにはいられない。私が学際的につきあっ た 人は理系社会系を問わず詩文の教養があり外国語が達者な人が多かった。外国人と食卓で豊かな会話もできぬような専門家では寂しいではないか。

  では21世紀の要請に応え得る教養人の形成は具体的にどうするか、その一石二鳥の語学教育法を披露したい。人文主義的な教養教育の基礎は外国語古典の講 読で、徳川時代は漢文、明治・大正・昭和前期は高校では独仏の短編などを習った。西洋では以前はラテン・ギリシャhumanites  classiquesを習ったが、近年は近代語古典 humanites modernesへ重点が移行した。

  英語の読み書き話しの力はグローバル人材に必要だが、問題は有限の時間を効率的に使うこと。そのために英語とともに国際関係・歴史など別の科目も同時 に学ぶこと。教材にルーズベルトの対日宣戦布告、チャーチルの演説、ポツダム宣言等の英文も用いれば外国が日本をどう見たかもわかる。

  そして日本側の非とともに理のあるところも考えさせ、外国語による自己主張も訓練せねばならない。そのためには日本人であることに自信のある人が望ましい。

  《「複眼の士」養成が大学の任務》

  『源氏物語』を原文とウェイリー英訳とともに講読すれば、外国語を学びながら自己の日本人性にも目覚める。平安朝の洗練を知れば日本人として妙な卑下はしないだろう。もっともこんな授業は大学院でも無理かもしれないが。

 しかし、文化的無国籍者でなく、世界に通用する日本人を育てることは国防上からも大切だ。そんな日本と外国に二本の足をおろして活躍できる人を育てることこそが教養教育の王道で、「複眼の士」を養成することが大学の任務だろう。

   だが今の日本では餅は餅屋式の専門分化の考えが邪魔立てし、一人の教師が『源氏』の原文も英訳も教えるなどできない相談と思いこんでいる。 ハーンの英語怪談の日本語原拠を調べることすら英文学の専門の枠外だと思っていたのだ。専門白痴は困ったものだ。これから先は、主専攻とともに副専攻を自 覚させることが肝心だ。

  しかし安倍晋三首相の70年談話なら一人の教師で原文も英訳も教えることはできるだろう。丁寧に読めば問題点もある。事変、侵略、戦争について日本語 では主語が不特定多数だが、英文では主語はわれわれ日本で「二度と武力の威嚇はしない」と誓うのだから日本は侵略したと読める、などと指摘する人も出てこ よ う。そうした文法的・歴史的かつ政治的問題を学生と議論することこそ大切だ。(ひらかわ すけひろ)

  いちいち納得させられます。やはり、教養もない自虐史観に犯された者達が、外国語をしゃべれるだけで、日本に誇りも持てずに外交などに携わってきたことが、世界中から良いように利用されて来た原因でしょう。
  日本を代表して、海外と交渉する立場にある者は、教養ときちんとした日本の歴史や文化をきちんと主張できるだけの力をもっていることを必須条件とすべきですね。
  さして英語など必要としなくても生きていける日本で、子供の時からの英語教育より、道徳や文化・歴史をきちんと身に着けることこそ大事でしょう。語学の必要な人達は、その最低限の日本人としての教養を身に着けてからでも間に会うのじゃないでしょうか。
  やはり、ここから日本の教育の立て直しが必要ですね。それが、遠回りのように思えても、一番の近道じゃないでしょうか。

教育が一番!

VW、ガソリン車まで

2015年11月09日 | 国際

  7日に「VW、 弱り目に祟り目か」でドイツが 発表した80万台の排ガス問題 ですが、何と、ジーゼルの話と 思ってたら、ガソリン車まで 行っているのだそうです。それ どころか、ノックスじゃなく二 酸化炭素の排出量の上に、燃費 まで過少表示していたのだそう です。

   これは、もう、一部の人 間がやった何てことで逃げられ ることじゃないですね。どう考 えても、会社ぐるみとしか考え ようがないでしょう。これは、 逃げ切るかなと思っていました が、致命傷になりかねないです ね。

  ロイターより   2015年 11月 5日

  VW 不正新局面に、ドイツ政府「改心」強く要求
 
  [フランクフルト/ベルリン 4日 ロイター] - フォルクスワーゲン(VW)(VOWG_p.DE)の不正問題が新局面を迎えた。VWが、欧州で販売した最大80万台について、二酸化炭素(CO2)の排 出水準や燃料消費を過少表示していたと明らかにした。ドイツ政府は4日、同社に対し、より強い口調で「改心」を求めた。

  ドブリント運輸相は、今回の問題を受け、省や自身が苛立っていると不満を表明した。影響を受ける80万台中、9万 8000台がガソリン車とVWから報告を受けたという。不正問題は、ガソリン車にまで拡大する事態となった。

  政府のザイベルト報道官は、再発防止策が必要と指摘。「VWにはこの問題を透明な形で、徹底的に解決する責務があ る。再発防止に向け、仕組みを構築するのが(VWにとって)重要だ」と述べた。

  今回の問題発覚を受け、VWは問題関連の費用が20億ユーロ拡大すると見通した。

  リコール(無償回収・修理)費用がさらにかさみ、業績への悪影響を懸念する声も聞かれる。

  市場関係者の1人は「週が改まれば、新たなVWショックが襲ってくる」と指摘。エバーコアISIのアナリスト、アル ント・エリングホースト氏は「外部や大多数のVW従業員にとって、これまでに発覚した不正の程度や規模は想像の域を超え る」と話した。

  4日1309GMT(日本時間午後10時9分)時点で、VWの株価が8.9%下落、時価総額はさらに約30億ユーロ (33億ドル)吹き飛んだ。

  やはり、会社自体が問題を抱えているようです。このままでは、間違いなく命取りになりそうですね。何処まで真剣に取 り組むのでしょうか。

   ロイターより   2015年 11月 4日

  コ ラム:独VWの新たな不正、企業統治が再び標的に
 
  [ロンドン 3日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 独フォルクスワーゲン(VW)(VOWG_p.DE)の新たな失態で、再び同社の企業統治に焦点が当たっている。

  排ガス規制逃れをめぐる不正に加えて、このほど実際よりも低い二酸化炭素排出量を表示していたことで80万台に影響 を及ぼす可能性があると判明した。

  これを受けVWは、20億ユーロの費用を計上しようとしている。VW内部の意思決定過程と企業文化がいかに腐りきっ ているかがあらためて示された形だ。

  VWは少なくとも、今回ばかりは自ら潜在的な問題を公表したことになり、米法律事務所ジョーンズ・デイに依頼した排 ガス不正の内部調査が進んでいるの だという幾ばくかの安心感をもたらした。ここに至るまでの同社は、米規制当局がとっくに承知している不正を認めたにすぎ なかった。

  しかしこの不正の代償はより高くなりつつある。排ガス不正に絡んで同社が負担する見込みのコストは1台当たり610 ユーロだが、今回の問題では2500ユーロにもなる。不正がガソリン車に波及している様相も呈してきた。

  こうなってしまった原因の大半は、VWの組織構造に帰せられる。同社の経営を牛耳ってきたのは、1つの緩やかな内部 集団であり、それは最大株主で議決 権の52%を握るポルシェ=ピエヒ一族と、20%の株式を保有するとともに重要な決定に拒否権を有し、同社の本社がある ニーダーザクゼン州、労働組合で構 成される。

  こうした構造はライバル企業ほど多くの対外的なチェックを受けず、経営権に対する抑制力も働かないことを意味してい る。

  確かにウィンターコルン前最高経営責任者(CEO)は追い出され、何人かの幹部も停職処分を受けた。しかし議決権の ない少数株主の代表は取締役会には 1人も見当たらない。新会長のハンス・ディーター・ペッチュ氏は12年にわたってグループの最高財務責任者だったし、マ ティアス・ミュラー新CEOはVW 一筋のキャリアだ。

  思い出されるのは旧東ドイツの末期だ。善意にあふれた共産党の改革勢力が何とか行き詰まった統治システムを修正しよ うとしたが、結局うまくいかなかっ た。そしてVWは東ドイツよりも改革すべき問題は多い。この際、外部の人間を招いて取締役に加えるか、あるいは会長と CEOのどちらか、場合によっては両方を交代させる荒療治でもしないと、同社が社内浄化に真剣に取り組んでいると証明す ることはできないだろう。

  ●背景となるニュース

  ・VWは3日、排ガス規制逃れの不正をめぐる内部調査の結果として燃費と二酸化炭素排出量の測定をめぐる不整合性が 判明し、これにより約80万台が影響を受ける可能性があると発表した。大部分はディーゼル車だという。

  ・VWによると、この問題によって20億ユーロの費用を計上することになる。

  ジーゼル問題では、まだVWを擁護する声も多かったようですが、ガソリンでまでやってたとなると、流石に擁護してい た人も考えを変えるのじゃないでしょうか。何処まで、VW離れが進むか、益々、目が離せなくなってきました。

  ここまで来ると、ドイツ本体も本当に危なそうです。いよいよ、世界が大変なことになりそうです。日本も、何とか巻き 込まれずに、生き残り、日本の時代の到来を掴み取らなければならないですね。