DS(ディープステート)等、裏で世界を操っていると思われているユダヤ人ですが庶民は相変わらず安住出来る国が無いようです。
今回のウクライナ戦争でもその状況は同じようです。
現地を歩いている宮崎さんが詳しく解説してくれています。日本人もこんな境遇にならないように折角先人が造り上げてくれた素晴らしい国を守りたいものです。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和四年(2022) 3月18日(金曜日) 通巻第7265号
ウクライナとロシアに居残っていたユダヤ人の「その後」
あらかたは海外へ出たか、イスラエルへ「帰還」した
アメリカ人の世論調査で、「どの国が一番好きですか」という統計があり、ちなみに直近の調査では、一位カナダ、二位は英 国、以下、フランス、日本、ドイツ、印度と続き、第七位がイスラエルとなっている。アメリカでも嫌われた筈のユダヤ人が、地 位を上げている変化がある(エルサレムポスト、3月17日)。
しかし東欧、ロシアでは、いまでのユダヤ人への差別、蔑視が強く残存しており、冷戦終結後、およそ百万人のユダヤ人は「旧 ソ連」から出国した。
多くがイスラエルへ「帰還」したため、イスラエルの道路標識にヘブライ語、英語に加えてロシア語が並記された地区が相当数あ る。ロシア移民だけの政党も誕生した。その代表がシャランスキーだ。
ウズベキスタンのサマルカンドといえば美しい、旅情を誘う古都である。
町の広場や随処にモスクが建ち並ぶ(それも美しい立派なモスクが多い)。その裏町に、シナゴーグがある。五年前にも、サマ ルカンドで宿泊したとき、早起きして、シナゴーグを訪ねた。路地裏の民家のような、玄関に三角を重ねたユダヤマークを発見す るまで、その建物がシナゴーグとは分からなかった。
老人がひとり留守番にいて、内部へはいると、なるほどユダヤ教の教会であり、過去に訪れた著名人の写真も展示してある。ヒラ リー・クリントンも、このサマルカンドのシナゴーグを訪問したらしい。写真があった。老人に聞いた。
「祈祷にくる人が少ないですが?」。
「嗚呼、みんな、外国へ移住していきおったでな」
ロシアに残留したユダヤ人はエリツィン時代のオルガリヒの興隆が手伝って、じつは多くが国際的な企業につとめた。モスクワ には株式、商品の取引所もできた。新しいIT企業も多くも、ユダヤ人経営が多かった。
ユコスのホドルコフスキー逮捕、ネムツォフ暗殺以後、残留ユダヤ人たちは、沈黙がちとなり、人前では政治の話題を避けた。 プーチン批判は禁句だった。
ウクライナ情勢は、ロシアのテレビが真実を伝えないので、オンラインで知っている。西側の批判も知っている。残留ユダヤ人た ちは、またも希望を失った。
前掲エルサレムポストの伝えるところでは、ロシアに残留するユダヤ人はおよそ40万、ウクライナに20万人と推定されると いう。親戚同士、まだ住み続けているので、出国の決意が出来なかったからだ。
ただし、イスラエルが定義している「ユダヤ人」とは、人種を問わず、ユダヤ人の母親から産まれ、ユダヤ教を信じる人というこ とだから、細分化して、残留『ユダヤ人』の数を推計すると、ロシアに15万人、ウクライナに4・3万人がいる。
今、ロシア軍のウクライナ侵攻を前にして、再び夢も希望も、そして経済基盤を失ったユダヤ人は途方に暮れ、侵攻以来、これ までにおよそ10万人のユダヤ人がモルドバなどの隣国へ出た。このうち数千人がイスラエルの組織的支援で航空機にのって帰還 を果たした。
彼らの話では、ロシアではスーパーへ行っても品物がなく、そのうえドル表示。とくに薬局には薬が払底して闇ルートでしか手 に入らないとのが実情だと、逃れてきたユダヤ人の実談である。
日本から脱出しなければならない時代が来ないように世界に侵攻しない防衛に全力を尽くす軍を早く持たなければなりません。
やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」です。