この話もねずさんが何度も書いてくれています。これも学校では教えてくれなかったので、ねずさんに教えて貰うまで全く知りませんでした。
沖縄の人達はこの話を知っているのでしょうか。この話や特攻隊の話、特にアメリカ軍の攻撃が止む話などは沖縄県民全員に知って貰いたい。
そうすれば、あんなバカな知事を選ぶなんてこともなくなるのじゃないでしょうか。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/06/08
義烈空挺隊物語
・・・略
この、まるで嵐のような艦砲射撃が昼夜をわかたず繰り返され続けた沖縄ですが、その砲撃が、まるでウソのように、ピタリと 止む瞬間がありました。
それがどういうときかというと、上空に日本の飛行機が飛来したときです。
それが特攻機でした。
特攻機がやってくると、米艦隊の砲火は地上への砲火ではなく、対空砲火一色に切り替わります。
その間に、地上にいる人々は、急いで防空壕を出て、さらに奥地へと逃げることができました。
そしてそのときだけ、艦砲が沖縄の地面に飛んで来ませんでした。
当時の沖縄の人たちは、特攻機が飛んでくると、逃げながら、走りながら、胸の中で上空のパイロットに手を合わせたそうです。
なぜなら飛行機に乗っているのは、自分たちよりはるかに年下の、まだ十代の若い子なのです。
その若い子が、ほんの数機、ほんの数名で、海を埋め尽くす何百もの米艦隊に挑んでくれているのです。
絶対に生きて帰れる見込みがないのに、それでも立ち向かっていってくれているのです。
上空にあって、顔をみることもできない。
その子たちのおかげで、自分たちは逃げて、命をながらえることができる。
当時の日本人は、日本人がみな兄弟、日本人はみな同胞と考えていました。
これは本気でそう思っていたし、そのように子供の頃から教育されて育っていました。
だから、上空にいる子のおかげで、自分が命を永らえることは、まるで我が子を戦わせて親が逃げるような、そんな気持ちだった のです。
だからこそ、沖縄の人たちは、逃げながら、心の中で手を合わせました。
それが日本人でした。・・・中略
世界中、どこの国でも、自国の武人たちのことを誇らしく顕彰します。
「自由の国」米国でも、アラモの砦を守った人たちのことを歌に、映画にして伝えています。
硫黄島で戦った兵士たちのことも、銅像にして讃えています。
硫黄島は、米国領ではありません。
自国領でなくても、外国との戦いに勇敢に挑んだ軍人は、国の誇りであり名誉であり、なにものにも替えがたい名誉だからです。
国防だけではありません。
永世中立国スイスでは、フランスのルイ王朝を守って戦い死んでいったスイス傭兵たちの武勲を、ライオン像に託して残し、讃え ています。
戦って生きても、戦って死んでも、その栄誉を語り継ぐ。
それが、世界の常識です。
けれど、日本だけがそれをしていません。
その結果、子供たちは自分の国を誇ることを知らず、その子供が長じて、国軍の長であることさえもわきまえず、世界に恥をさら す政治家に育ったりしています。
日本を取り戻す。
戦後77年、反日であることを国是とした日本が、再び誇りある日本に生まれ変わるためには、まだまだ長い年月がかかるのかも しれません。
あきらめず、毎日コツコツと、それを積み重ねていく。
ウソは100万回重ねてもウソです。
けれど、真実はひとつです。
奥山隊長他、英霊のみなさまに心からの感謝を捧げ、黙祷したいと思います。
沖縄県人もですが、日本人は何時まで自虐史観に犯されたまま平和ボケを続けるのでしょうか。
やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」としか言い様がない。