ウクライナ戦争に対する西側の足並みも思惑があって色々のようです。とは言え、痛い目にあってきたポーランドやバルト三国などの危機感は切実なものがあるようです。
ロシアに対する警戒感がウクライナ支援に力が入るのも当然なのでしょう。
宮崎さんが取り上げてくれています。それにしても、同じような酷い目にあった東隣の日本の危機感の無さには驚くしかないですね。
日本人の平和ボケは想像を絶するものがあるようです。やはり、世界一洗脳に掛かり易い国のようです。
これこそがシラス国で育った最大の弊害なのでしょう。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和四年(2022)6月24日(金曜日) 弐 通巻第7380号
ポーランド、ウクライナ軍事支援の拠点化
単独でも16億ドルの武器をウクライナへ送った
ポーランドのモラウィッキ首相に拠れば、ウクライナへの軍事支援は合計16億ドル(邦貨換算2160億円)に上るという。 T72戦車を200両(代わりに米国からエイブラムズ戦車250両)、自走榴弾砲、ドローン、携帯式防空システム 「MANPADS」、ライフル、マシンガンなどである。
くわえて西側からの武器支援は殆どがポーランドを経由するため、北のバルト海に面するグダニスク港にはベルギーやデンマー クなどからも戦車、装甲車が大量に陸揚げされ、大型トレーラーに積み込まれている。また東側のジェシュク市には飛行場もある ので輸送機が頻々に到着している。
ポーランドは16世紀にリトアニアと共立の王国、その後のポーランド王国は、ベラルーシ、ウクライナを従えたほどの大国 だった。
このためウクライナには近親観と反発心が同居しており、カソリック信者の難民がポーランドを目指した。ロシア正教信者は、 ロシアへ非難した。
ポーランドと言えば、古都クラコウには日本文化センターがあり、その南西がアウシェビッツである。グダニスクは東西冷戦末 期に組織化された『連帯』発祥の地であり、ワレサ初代大統領の地盤でもあった。ちなみに現地ではグダニスクはグダンスク。ワ レサはヴァレンツァと発音する。
当時、西側はポーランド支援に熱心で、欧米の投資が続き、証券取引所も開設された。ポーランド政府の招待で、日経、共同、 産経記者等とワルシャワに一週間滞在したことがある。
夜が明けるのが午前十時頃、午後二時には暗くなる。町のネオンやセーター、看板が赤、黄色、緑の原色が好まれるのは、その 反作用だろう。Tシャツ工場で紫色の見本を一枚買ったが、洗濯したら染料がはげ落ちた。すさまじい安物を造っていたのが90 年代後半のポーランドだった。
ワレサとの会見はできず、ヤルゼルスキー元大統領がインタビューに応じた。その二年前にも西ベルリンから列車でワルシャワ に入り、タクシーでグダニスクへ行った。当時、日本食堂は一軒だけ、中国人労働者が餃子をたべにきていた。
五年ほど前にワルシャワへ行ってみたが、様変わり。ワルシャワ駅周辺は大都会、高層ビル、寿司屋が数軒。日本風の居酒屋も あった。
駅前のマリオットホテルは安倍首相訪問時に宿舎となった。ロビーにはフランクフルトで印刷、空輸された日本経済新聞があっ た。
ワルシャワ進出の日本企業は数百社に及び、1500人前後の駐在日本人がいる。現地の緊張感を聞きたいものである。
この欧米と日本の違いはどうしようもないのかも。何といっても、シラス国で育った我々はお上を信じる気持ちが身に染み込んでいる。一方ウシハクの腹黒い世界に育った人達のお上を疑いの目で見る違いはどうにもならないのじゃないでしょうか。
やはり、シラス国の素晴らしさを世界が知るのは不可能かもしれません。地球滅亡との競争でしょうか。