ウクライナ戦争では侵攻をしたロシアへの批判が大半ですが、やはりそんなに単純なものではないようです。
ウクライナでもとんでもないことが行われているようです。
宮崎さんが詳しく報告してくれています。お恥ずかしいですがこんなことになっているとは全く知りませんでした。
やはり、世界は腹黒い。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和四年(2022)6月22日(水曜日) 通巻第7376号
ウクライナ、すべての野党を非合法化、財産を没収
欧米は、言論の自由を奪ったゼレンスキー大統領をなぜ批判しない?
ウクライナの野党最大の「生活のためのプラットフォーム党」(OPPL)は、2022年6月20日にウクライナ裁判所に よって公式に政治活動が禁止された。ウクライナ法務省は当該野党の資産、資金を州に譲渡するとした。
すでに3月20日にウクライナに存在した11の野党はすべてが活動禁止措置となっている。そう、ウクライナには野党がない のだ!
「親ロシア」の政党は存在も活動も認可しない訳だから、自由は失われ、全体主義と変わりないと批判されても仕方がないだろ う。ところが不思議なことに西側は、ロシアの言論の不自由を批判しても、ウクライナの自由の封殺については沈黙している。
この闇を照らすと、ウクライナ政治を影で動かした一人のオルガルヒが浮かんでくる。
20年以上に亘ってプーチンと家族ぐるみの親密な関係にあって夏休みには黒海でプーチン一家とも海水浴を愉しんでいたのが ヴィクトル・メドヴェドチュクである。かれはクチマ政権で大統領補佐官を務め、ロシアとのパイプライン利権を持ち、ゼレンス キーに敵対してきた。ゼレンスキー大統領の胴元でアゼフ連隊の資金源でもあるユダや人オルガルヒのコロモイスキーとは利権上 のライバルでもあった。
メドヴェドチェクはパンデミック危機にさいしてもモスクワへ飛んでプーチンからワクチンの無料給付の約束を取り付けた。メ デヴェドチェクしか出来ない離れ業だった。
これを妨害したのはバイデン政権だった。21年8月にメドヴェドチェクの秘書官だったボーシィが米国へ飛んで、CIAと接 触した。後日、米国はこれをもって反ゼレンスキー大統領のク-デターが画策されたとした。危機を察したボーシィはダラスで銀 行から資金を下ろし、セルビアへ亡命した(TIME、22年2月2日)。
▲背後で画策したのはバイデン政権だった
すぐ後に米国はウクライナの親ロシアのオルガルヒの在米資産凍結を発表した。
OPPLはウクライナ最大の野党。得票率(2019年議会選挙)は13%だった。2021年の世論調査ではゼレンスキー大 統領の「国民の僕」を上回る人気だった。
OPPLはロシアと良好な関係を追求し、ゼレンスキーの西側重視は国益に有害とするとメドヴェドチュクは主唱した。
2021年5月、メドヴェドチュクはクーデターを画策した「反逆罪」で告発された後、自宅軟禁となり、足にGPSが架せら れ、自宅は監視され、彼のもったテレビ局は閉鎖された。夫人はテレビ番組の人気アナウンサーだった。娘のダリアはプーチンが 名付け親である。
そして逮捕された。
22年5月14日、ゼレンスキー大統領は、「反ウクライナ」と見なされる政党を禁止するプロセスを簡素化する法案に署名し た。
モスクワとの紛争に関して、政府の公式的立場に反対、もしくは異議を唱える当事者は、その活動を禁止し、資産を没収すること ができるというシロモノ、たとえば、ドネツク共和国とルガンスク共和国の軍隊を「反政府勢力」と呼ぶのは違法であり、「テロ リスト」と呼ばれるべきだと規制された。
かくして旧ソ連で言論の自由が確保されているのはバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、かろうじて言論の自由 が残るのはアルメニア、ジョージア。言論の自由がまったくないのはベラルーシとウクライナという図式になった。
それにしてもウクライナ戦争の裏でこんなことが行われているとは、やはり世界は単純なものじゃないんですね。
やはり、世界は腹黒い。平和ボケ日本人には理解出来ない世界かも。