プーチンには裏で操っている奴がいるようです。そのプーチンの考えはどうやら我々が考えている以上に固いものがあるようです。
宮崎さんがそれを取り上げてくれています。どうやら一筋縄では行かないようです。
やはり、独裁者というのは恐ろしいようです。奴等にシラスなんて理解は出来ないでしょう。奴等はウシハクそのものです。国民は自分の奴隷でしかないのです。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和四年(2022)6月15日(水曜日) 弐 通巻第7369号
プーチンの戦争観の根っこに「チェチェン戦争」の影が
パトルシェフとプーチンは「西側の陰謀論」が共通認識。
ロシア安全保障会議の書記ニコライ・パトルシェフとプーチン大統領との緊密な関係を無視できない。
パトルシェフは陰湿な陰謀論を展開するパラノイア的な発想を得意とする。ウクライナ軍は「ネオ・ナチ」だとか、政治宣伝に しても短絡的な印象操作がプーチン大統領に影響を与えている。
ふたりに共通する認識は、ソビエト連邦の終焉を悲劇だったと嘆き、それは西側の陰謀だったとする論理の組み立てにある。パ トルシェフはプーチン政権内部で「タカ派のなかのタカ派」と呼ばれる。かれがプーチンを操っている側面がある。
パトルシェフは、「ウクライナから逃げた犯罪者コミュニティ」とマフィアと軍を同一視しており、西側が「ウクライナに武器 を供給し続け、ネオ・ナチを支援しているのだ」と総括し、西側を「嘘の帝国」と呼ぶ。
プーチンとパトルシェフは1970年以来、半世紀を超える関係で、ともにサンクトペテルブルク出身でKGB仲間である。
1999年8月9日にエリツィンがプーチン首相代理を任命したとき、パトルシェフがプーチンに代わってFSBの局長に就任し た。
1999年から2009年の10年に及んだ第二次チェチェン戦争によってプーチンの権力基盤がかたまった。チェチェンはロ シア側から見れば、テロリズムとの闘いだったことになる。
チェチェン独立を求める武装グループが、テロをしかけたので、その元凶を根絶するために軍を派遣したとする。
限りないテロ事件が起こり、おびただしい値の犠牲がでた。実際にはチェチェン独立派か、ロシアの謀略機関か、あるいは後者に そそのかされたチェチェンの親露武装集団の仕業かは不明である。
1999年にロシア高層アパート連続爆破事件があって、ロシアの世論が軍派遣を是認する。
2002年のモスクワ劇場占拠事件では 169人死亡し、チェチェンの首都グロズヌイの政府庁舎爆破では 72人が死亡。2003年、チェチェン共和国北西部の行政庁舎爆破で 60人以上が犠牲となり、モスクワ野外コンサート会場爆破で15人が死亡した。
2004年、モスクワ地下鉄爆破(41人死亡)。同年、グロズヌイの対独戦勝記念式典爆破 テロでは「チェチェン共和国」大統領アフマド・カディロフなど30人が死亡。イングーシ共和国内務省襲撃で90人死亡。モスクワ発旅客機同時爆破で 80人以上が死亡。
2007年モスクワ・サンクトペテルブルク間列車爆破事件、2009年には、またモスクワ・サンクトペテルブルク間列車爆 破事件。2010年にモスクワ地下鉄爆破事件。2011年、ドモジェドヴォ空港爆破事件がおこり、2015年にボリス・ネム ツォフ暗殺事件が起きた。ネムツォフ暗殺はチェチェン部隊がかかわった。
このように血みどろの歴史をたどるのも、チェチェン人がイスラムのスーフィズム(神秘主義)を信奉し、何代におよんでも必 ず血の復習をやりとげるからである。
ここでウクライナ侵攻とチェチェンの凶暴な戦闘集団との闇の奥が連結する。ロシアのウクライナ侵攻開始直前に、ゼレンス キー大統領暗殺部隊がキエフは秘密裏に派遣された。チェチェンのカディロフ「大統領」が率いる部隊は1200名だったと推定 され、事前から宣伝されたように「残虐無比の凶暴部隊」ゆえ、キエフ市民はおののく筈だった。カディロフ「大統領」の父はロ シア傀儡の「チェチェン共和国」初代大統領。
独立記念式典で爆弾テロの犠牲となり、プーチンは息子のラムザン・カディロフにロシア軍少将を与えた。カディロフはプーチン 傀儡政権二代目である。
暗殺に失敗し、チェチェン部隊司令官は戦死し、チェチェン部隊はさんざんな目に遭った。一般的に戦場では突撃隊の前衛は犠 牲が多く出るが、以後、チェチェン軍は部隊の再編をしている模様である。
それにしても、世界は複雑です。戦争を無くするなんてやはり不可能なのかも。
世界がシラス国を理解することも有り得ないのかも。その前に日本人が理解しなければならないのは当然です。これが結構難しいのかも。