今号は、リアルさにこだわってみた作品である。笑いを仕事とする芸人、特に一流に限ってそうなのだが、古今亭志ん生も顔が怖い。その顔でニコリともせず、とぼけたところがたまらないわけだが、しゃべらなければただ怖いので、志ん生を表現するのに頭の大きい、デフォルメしたイラストばかりなのであろう。そこで志ん生の18番にちなみ、老人には無理のある、大きな火焔太鼓を背負ってもらうことで、可笑し味が出ないかと考えてみた。志ん生の長男、金原亭馬生は、調べてみたら、火焔太鼓が風呂敷で背負えるような物ではないと、噺を大八車で運ぶことに変えたが、志ん生は「だからお前は駄目なんだ。大きさなんてどうでもいいんだ」といったそうである。馬生の大ファンで同じく長男の私は、いたく同情したものである。父親というものは、往々にして反面教師となるものであろう。 志ん生は“一々注ぐのは面倒くせェ”とコップ酒専門であった。当然目の前にお銚子とコップを置いたのだが、飲酒をイメージする表現はいけないというお達しで削除。私の作品のせいで飲酒運転が増えてはいけないし、そのせいで惨事が起きたのに、私もついに左甚五郎の域に、などと自惚れてしまってもいけない。湯飲みなら良いというので、あとから合成したのだが、なるほど、これなら酒ではなく、水カステラに見える・・・。
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