明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

我流  


先日、画廊内で、 スゴイとかキモイとか言われた『乱歩 夜の夢こそまこと』を、久しぶりに眺めた。デジタルによる合成を多用した作品集だが、すべて我流であり、デジタルのイメージから程遠い、非効率な方法で制作している。これは私の子供の頃からのスタイルだが、自分で“開発”するところに醍醐味があるわけで、人に教わるということは、一番美味しいところを捨てることだと思えるのである。そのための遠回りは承知の上。 そもそも教わったところで、たいした事にならないと言うのは、博物館にでもいって、古代の遺品でもみれば、人間というものは、師匠の教えを無駄にするものだという事が、一目瞭然である。私は、ああいった施設は、陳列ケースの前で、そのことに戦慄し、空しく立ち尽くすためにあると考えている。 久しぶりに見ても、なんとも泥臭いが、そこにこそ、私の特徴がある。テーマとして撰んだ乱歩のイメージと相まって、何かが匍匐前進しながらにじり寄ってくるような熱を感じるのである。あの若い女性の「キモチワル」は、そんな熱さに打たれた発言だと思いたいのだが。

過去の雑記
HOME


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )