明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が深川に越してきて20年以上になるが、何年目のことだったか、8ミリビデオに洲崎パラダイス赤信号を入れ、ロケ地を探索したことがある。洲崎川は埋め立てられ、パラダイス入り口の、轟由紀子営む千種のあった場所には、不動産屋がある。あきらかにパラダイスの痕跡を感じさせるタイル張りの建物など残っていた。面白かったのは、両目を開き、片目でビデオのファインダーを覗くと、完全に重なる場所があった。つまり川島雄三は、その場所、その位置から同じ画角のレンズで撮影していたことになる。現在の風景とモノクロの昭和30年頃の映像が混じり、その中を河津清三郎のスクーターの後ろに乗った新珠美千代が遠ざかっていった。 一通り探索した後、パラダイスの入り口に戻った。見るとアーチがあった向かって左奥、ちょうど芦川いずみが哀しげに川面を見つめたあたりに碑が立っている。謂れなど書かれているだろうからと向かうと、驚いたことに、碑の上に乗っている銅像は、5、6年前に私がアルバイトで作ったものであった。 友人の紹介で、川口の鋳物屋から頼まれたのだが、鋳物屋からすれば、安い原型代で作れるという腹づもりであったろう。こちらはそんなことは関係なく、面白い経験だと引き受けたわけだが、これがひどいことになった。完成させたものを持って帰る鋳物屋。ところが数日後には美大を出たてだという、都の担当者の女の子からダメをだされたと持ってくる。言われたとおりに直すと数日後にはまた持ってくる。何度繰り返しただろうか。これが最後と念を押した数日後、担当者が自分で手を加えようとして収拾が付かなくなり、バラバラにしたまま帰ってしまったと、泣きそうな顔をして土下座までする鋳物屋であった。というような経緯で、まったく妙な物になり、どこに設置されるか聞く気にもならなかった。 見つけた以後、そこを通るたび眺めると、寒い季節にはマフラーをしたり毛糸の帽子を被っていたり、時にはお菓子が置かれたりしていて、場所柄か、水子地蔵化しているかのようである。まあ、それならそれでいいのだろう。 後に鋳物屋は、3万だか5万だかの不渡りを出して、ちゃんと潰れたそうである。


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