明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



デイアギレフは乾燥が終れば仕上げをして着彩である。すぐ取り掛かる予定はないが、問題はニジンスキーである。興味を持ったきっかけは、まだエトワールではなかったバンジャマン・ペッシュの踊る『薔薇の精』であった。印象的だったのは、実はモリモリとした筋肉質の男が、女性的ななまめかしさで、妙なコスチュームで踊るその異様さである。同時に出演していた、格上で、より王子様タイプのマニュエル・ルグリが薔薇の精を踊っていたら、これほど興味を持たなかったであろう。その後、動く映像が残されていない、伝説の男ニジンスキーの写真を見て打たれたのは、やはりその異様さである。ニジンスキーの得意としたのは薔薇の精や牧神、ペトルーシュカという操り人形、シェエラザードの金の奴隷などの“人にあらず”の役柄に限っている。その肉体は異常な発達をみせる太股のせいもあり、奇妙なバランスで獣じみている。伝説的な跳躍を可能にしたニジンスキーの肉体はグロテスクでなければならず、そして、そこにこそ私は魅かれ、ニジンスキーをニジンスキーたらしめた秘密があるはずである。私が以前手がけたとき、どこかに美しく作ろうという気持が働いていたことは否めず、2代目ニジンスキーはそこを踏まえて作られることになるであろう。 同系の?怪しい魅力を放つ身体に関しては、私の中に、ある膨大なイメージの蓄積がある。幼稚園児の力道山時代から、目を皿のようにして観続けたプロレスである。今でこそビルドアップされた見た目に美しく鍛えられた男達が増え、私の興味は薄れているが、かつては己の身体の特徴を生かし、また能力を際立たせるため鍛えた人々の、異形な肉体の宝庫であった。人の頭を鷲づかみにして出血させ、のたうちまわせる握力のフリッツ・フォン・エリックは、開いた手の親指から小指までが32センチあった。ニジンスキーと同じく、ジャンプ力を売りにしていたアントニオ・ロッカ(猪木のアントニオはここから取られた)は、子供の私には爬虫類じみてグロテスクに見えたものである。そういえばリッキー・スターという、リング上で回転したりジャンプばかりしていた、バレエダンサー上がりのレスラーさえいた。こんな愛すべき男達の話になると、ついヒートアップしてしまう私だが、つまりニジンスキーは単純に、美しく描こうなどという了見では、間違いなく作れない人物なのである。そして、何故私にとってニジンスキーが魅力的に映ずるかを考えると、肝心な部分は掴んでいるという気がしている。

01/07~06/10の雑記
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