明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午後2時より古石場文化センター会議室にて。全国から会員が集まるので、展示中の小津安二郎像も観てもらえるだろう。私は会員ではないが、制作に助言いただいた小津の義理の妹である小津ハマさんに改めてご挨拶し、プリントを差し上げたいので特別に参加させていただいた。会場に着くと、チラシやテキスト、会員提供のお茶菓子と共に、アダージョも配られていた。活動状況、収支報告の後、3バージョン残される『大学はでたけれど』(1929)の比較上映。15分前後の作品だが、小津といえば編集の妙というのがあるわけで、微妙な違いが興味深い。ハイライトは『生まれてはみたけれど』(1924)の子役藤松正太郎氏の講演である。この作品は、今年の正月から小津作品をDVDで数十本観る以前、一番好きだった作品である。日ごろ子供たちに偉い人になれ、といっている父親が社長にペコペコしているのを見て、ショックを受け拗ねてしまう子供たちが楽しい。藤松氏の出演場面だけスクリーンで流したが、原っぱで遊ぶ子供たちの中に藤松氏がいた。撮影所の蒲田周辺で撮影されたそうだが、この作品を観たとき、いささか広くはあったが、私の育った昭和30年代の葛飾の風景そのままなのに驚いたが、東京は東京オリンピックの前後では別物であり、以降、東京の風景がどれだけ変ろうとも不感症になってしまい、何が壊されようと、残念という気が爪の先ほど沸かない私である。そんなところは東京人の証といえよう。 子役から小津組の録音部に転進した藤松さんだが、フィルムの一コマを誰かが紛失したことがあり、試写の際にそれに小津が気がついたといっておられたが、35ミリのいわゆるカメラ用のフィルムは、そもそも映画のフィルムを流用したものなので、1コマはフィルムの1カット分ということである。高速で流れるたった1コマの欠落に気付くというのは、尋常な神経ではない。質疑応答では、劇中、子供たちがスズメの卵を取ってきて飲むシーンがあり、これは当事の子供は普通にやっていたのか、という質問があり、各地の会員の、私はやっていたという意見が出たりして、和やかなうちに終る。 小津ハマさんには無事プリントをお渡しすることができたが、帰ったら仏壇に供えます、といっていただき、お菓子までいただいてしまい恐縮する。ご遺族にそういっていただけるのは冥利につきるわけで、帰りにK本に寄って、祝杯をあげたのはいうまでもない。

01/07~06/10の雑記
HOME

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )