明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



風邪をひいた。喉から来る場合はゆっくり進行し、医者でもらう薬も効かない。始めは喉が痛いだけで、いたって元気だが、数日かけて一通り経験することになっている。そんなわけで、咳がひどく外出も控えていたのだが、今日は京橋のフィルムセンタ―で、九代目團十郎と五代目菊五郎の“團菊”が出演する『紅葉狩』(1899)を上映する。これは一度観ておきたい。頭を動かすとあらぬ方向にフラフラするが、幸い熱も悪寒もなく、ただふらつくだけなので問題はない。のど飴、のどスプレイなどを供えて出かける。 このフィルムは、日本人撮影では最古のもので、昨年、フィルム初の重要文化財に指定された。團十郎も菊五郎も、始めは承知しなかったが、参考に残しておきたい、と説得されたようである。興行には使わないと一札入れさせ、渋々承知したらしい。  撮影は歌舞伎座の横に幕を張って行われた。勿論、フィルムの感度が弱いため、外光を使うしかない。『戦前の記録映画・小型映画特集』計8本で83分だが、最初が小鷺の繁殖で、『紅葉狩』以外、全く興味のないものばかりだし、無声のシ―ンとした館内で、咳をするのも迷惑だろうと、数分で外へ出て、一時間ほど過ごして『紅葉狩』の6分間だけを観た。一台の映写機をただ真ん中に添えただけで廻しっぱなしの記録映画で、團十郎の弟子の七代目松本幸四郎がいうように、名優團十郎も菊五郎もなく、“まるで狂った機械人形みたいにただギク々チカ々と飛び跳ねてゐるだけで”あった。おそらく屋外で風があったのだろう、團十郎は扇を落とし、後見の市川新十郎が、舞台同様拾って手渡していた。完成作を観た團十郎も菊五郎も不機嫌になってしまい、絶対に世に出さないという約束を改めてさせたそうだが、間もなく二人とも亡くなり、門外不出の約束も、すぐ反古にされてしまう。  私としては團十郎の長い顔が動くだけで満足であった。そういえば、これは初めてチャ―リ―・パ―カ―の映像が初公開された時、映画館で呆然と眺めて依頼の気分であったが、さすがにこちらは呆然とはならず仕舞いであった。
企画展の『映画の中の日本文学 Part3』ポスタ―をただ並べただけで内容はなし。

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