明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



91年より、時に人形制作を放ったらかし、廃れてしまった顔料絵の具を使用する(ピグメント)写真の古典技法『オイルプリント』制作のため、大正時代の資料を集めながら私は苦闘していた。ようやく画が現れ始めた頃だったろうか、手持ちのオンボロライカに付けるレンズを探していた。色々調べていてあるレンズに目が留まったのだが、世間では甘くてシャープではないという意見が大勢を占めていた。そもそもシャープで硬い描写のレンズなど興味がない。どうも世間の評価と私の趣味は異なっているなと思っていたところ、クラッシックカメラの雑誌で、三人の友人であるという投稿記事の中に、そのレンズを激賞しているを文章を目にした。作例写真は公園のベンチに坐る人物であったが、同じような趣味の人がいるものだと思ったものである。 それから程なく、友人のカメラマンが福原毅というカメラマンの事務所に行くというのでなんとなく着いて行った。福原といえば福原信三、路草兄妹、資生堂の一族で芸術写真時代の大物である。関係があるとは思わないが、当時それほどピクトリアリズムで頭が一杯な私であった。そこで古いカメラの話などしていると、入ってきたのが件の作例で写っていた人物であった。私は思わず「公園のベンチに坐ってた方じゃないですか?」それが現在『田村写真』の田村政実さんである。田村さんのプリント作業を見て私は我流のモノクロプリントを止め、田村さんにお願いして自分の作品を撮影して個展をすることになる。そうなると件のレンズで作例写真を撮った人物である。二人の学生時代からの友人で、古典レンズに造詣が深いという井上武彦さんに会いに、当時勤務していた国立の中古カメラ店を、ようやく画が出始めたオイルプリントを持って訪ねた。そこで古典レンズを紹介され、プリント大のネガが必用なオイルプリントに、大判カメラを使うようになり、オイルプリントでの個展も果たすことになった。
その井上さんがこのほど代官山に『FOTOCHATON』という1974年以前の機材を扱う店をオープンした。 デジタルの時代になり、それに伴い、製品に依存せざるを得ない写真の世界も様変わりした。しかし、焼け野原にも必ず芽吹く芽があり、すでにアナログ写真にも活発な動きがみられる。『FOTOCHATON』もその一つといえるだろう。

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