明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


昼間丸善に出品した作品の、乾かずに持っていって剥げた部分の修正などし、夕方、神楽坂でエッセイストの坂崎重盛さん、義太夫三味線の鶴澤寛也さんと『客人まろうど』という店でお会いする。 いつも桐箱に収めている、すでにさら地になったらしい、都内某所の瓦を披露する。以前は瓦同士を接着していた漆喰だか泥だか、これも貴重と大事にしていたが、出したり引っ込めたりしていて大分取れてしまった。寛也さんに、最近稽古場に来たという元首相の写真を見せてもらう。『コノ野郎!私が触らせてもらおうと、思ったことさえない三味線を弾いていやがる』。 本来だったら同席するはずの人物が脳梗塞で入院中で、そんな話から、坂崎さんは検査など一切受けず、血液型も最近知ったという。私は昔から、ヤク漬けで酒におぼれ、良くも悪くもロッカーの見本だと思っていたローリング・ストーンズの公演で、ミック・ジャガーがステージを走り回っているのを見て以来、人の不養生は信用しないことにしている。 蕎麦の実や蕎麦がきで日本酒を飲むのは良いものである。「今日は笹舟に乗った気持ちで」とおっしゃる坂崎さんにご馳走になる。私も今度使いたい。 神楽坂の路地は横溝正史の撮影以来である。方向音痴にはまるで迷路で、特に夜はどこを歩いているか判らない。どの店も満席で、飯田橋近くの“正調”居酒屋へ。メンチカツに黒ホッピー。店の名前は忘れたが、焼き鳥の、特にレバーがやたらと美味しかった。ホッピーに氷が入っていて、ホッピー1本で焼酎を5杯おかわりしたが、これはK本の焼酎の濃さに慣れてしまっている私が悪いのであろう。 木場に帰り、『T千穂』を覗くと定年になり迷走中のKさん。昨日思わせぶりなメールを残し、返事が来なくなったので気になっていた。細かいことは書けないが、身近で新喜劇を馬鹿々しくしたようなドサ芝居が演じられているので退屈しない。隣によく見かける人がおり、沖縄出身だそうなので、携帯プレイヤーに入れた70年代の南沙織を見せてあげると喜んでいた。私が海洋博前後の、コザがあり、車が反対走っていた頃の沖縄を知っているというと、齢を聞かれる。この辺りの人には私が若く見えるようだが、若いといわれても私には“この親不孝者”としか聞こえないので、齢の話はしたくないのである。 Kさんとはもう一軒、夜中の3時までやっている『Pッチギ』に行く。Kさんはまだ退職金が出ておらず、ツケが利くところしか行かないので、「笹舟に乗った気持ちで」とさっそくいってみた。ドサ芝居の見物料としては、とても安い。

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