舞台を大正から昭和の初期に設定するとロケ場所が難しい。幸い『貝の穴に河童の居る事』は房総の海辺の村、鎮守の森の神社が主な舞台なので、余計なものさえ入らないよう気をつければそのまま使える場合もある。使えるといってもイメージカット的なものであって、鏡花がこうなっている、といえばそのままではイメージ通りにならない。結局背景になる風景は、ほとんど作り変えることになるが、ただの風景に見えなければならないところが辛いところである。映画関係者に、時代劇を撮影する苦労を聞いたことがあるが、映画と違い、私の場合、ページの横にこうである、と書いてあるので始末が悪い。本日も、一日山道を作っていた。時間をかけて制作したが、地面と周囲に生えている雑草の雰囲気が合わず、各局別カットで作り直した。 いつかも書いたが、過去の風景を作ろうとしたら、地面のデイテール、特に土の道など見つけたら、即 コレクションしておくべきである。露出している関東ローム層の記憶がある私としては、ここまでアスファルトで覆ってしまって良いはずがない、と思うのだが。 合成をするようになったのは、1冊目の『乱歩 夜の夢こそまこと』でストーリー仕立てににするに際し、それまでの、人形が手前にあるから人間大に見えるということでは、主役が常に手前にくることになる。そこで合成を始めたのだが、乱歩が上京後、団子坂で営んだ古書店を再現した時、100以上のパーツを合成するハメになったが、初めて地面が必用になったのがこの時であった。結局小雨降る中、深川公園で傘をさし、邪魔する鳩を追い払いながら撮影した。ベンチでぼんやり雨宿りする老人達が私の“奇行”を眺めていた。
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