明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ここ数日、寒山や布袋の顔を作ったり修正したりしていてつくづく思うのは、数十年実在の作家を作り続け、おかげで首、表情を自由に創作するという、美味しい所を味わい損なっていた、ということである。何しろそれが面白くて40年前に、架空のジャズ、ブルースマンを作り始めたのではなかったか。しかも、最初は写真なんて撮るつもりなどなく、見る人の解釈に任せるため無表情ばかり作って来た。写真で撮ることになると、無表情な分、陰影で表情を演出できた。しかし陰影のない石塚式だと、陰影の助けも借りられないが、ここに来て、ようやく好きに表情を創作出来ることになり、すでに今まで作った以上の笑顔をここ一年で作ってしまった。本日は満腹布袋尊に着色。



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最近おそらく目が覚める直前だと思うが、リアルな夢を見る。粘土を着けている所もブログにしてもすべて本当のことで、起きているのと変わらない。これは追い詰められると良くあることである。しかし追い詰められるといっても、好きでやっているのだから大したことはないけれど。無呼吸症候群による影響かもしれない。昨晩は装置を着けずに寝ていた。   寒山拾得が気になったそもそもは、由来の解らない顔輝派の笑顔であったろう。昨年作って気に入らなかったのは顔輝派的な表情だったからである。そういえば、三遊亭圓朝を作った時、鏑木清方の名作圓朝の顔が写真と違うし何か企んだような表情も納得が出来ず苦労したことを思い出した。   子供の頃何が嫌だったか、というと〝まねっ子饅頭豆屋の小僧”といわれることであった。せっかくこの歳までいわれずに済んでいるのだからという気がする。



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