肝心なことは忘れるのにどうでも良いことばかり覚えている、そしてその記憶が制作の役に立っている、それは正確にいうと、考えたことは忘れるが感じたことは覚えている、なのだと思った。先日書いた寒山と拾得の表情、特に目は、20年以上前に、電車から向こうのホームに並んだ人の間に一瞬見えた人物をモデルにした。 小学4年で専科の図工の先生に出会うまでは、私の絵は子供の絵じゃない、といわれ続けた。他の連中のように、筋肉のないカカシのような人物を描かなかったし、目に星も、太陽から放射線状の線も描かないのが不満なのだろう。授業で交通安全の絵を描いた。それは全員コンクールに出品されるのだが、担任は私の絵だけ出すのを忘れた、といった。私にはそれが意図的なものだと判った。将来の世の中との違和感、さらには独学者として生きることも予告した記憶となっている。高学年になり、図工の先生の推薦で私の版画が国語の教科書に載るかもしれない、といわれたが審査で落ちた。またしても〝子供の絵じゃない”であった。私は子供の絵のようなタッチで描かれた大人の絵が大嫌いである。