明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



寒山拾得の首がほぼ完成した。首が出来れば出来たも同然である。結局作ることによってしか打開も解決もなく。20代30代の初め頃までは、”私はこうだ”といいたがりで、情報誌片手に作品展など見て回ることもあったが、自分のことでさえ何も判っていないことに気付き、頭を使ってもロクなことに至らないことも判り。以来〝考えるな感じろ”でやって来た。そして至ったモチーフが寒山と拾得なのかもしれない。 七世紀の初め閭(りょきゅういん)という官吏がいて、ある日頭痛に悩んでいたところを豊干という僧に治してもらう。聞くとこれからの任地先天台の国清寺から来たという、その寺には寒山と拾得というものがいて、実は文殊と普賢だという。そこで何かためになることでもあるか、とりょきゅういんが二人を訪ねると、「豊干がしゃべったな。」と笑いながらどこかへ行ってしまった。



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