達磨大師が面壁坐禅をして真正面を向いている作品はある。しかし視点と達磨大師の間に距離があり、すぐ目の前の壁に対面している感はない。対面している壁が10メートル先だろうと面壁というのなら話は簡単である。 取り掛かる前に、現在壁を背にする臨済宗も、蘭渓道隆存命の七百数十年前は、開祖達磨大師同様面壁坐禅で、袈裟も着けていたことも確認して制作を開始しており、その時から表情をどう表すか、と考えていた。振り返るのは一度やっているし。 斜め45度向いている禅師像も立体にすれば、どこからでも撮れる。どんなお顔なのか真正面から見てみたい。この二つのテーマを一作に。 迫った壁から禅師を描くのでれば、広角レンズ的表現を使うしかないだろう。64年の東京オリンピック。グラフ雑誌を見て、トラック競技の縦列のカット。なんで後ろの選手が大きく見えるんだろう?長焦点レンズのことなど知らなかった。
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