明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



幼い頃の私は大人の前でしばしば余計なことをいってしまう子供であった。もし建長寺で蘭渓道隆の頂相と座像を見たとしたなら、繋いでいた母の手を離し、そばにいたお坊様に「何で名前が同じなのに顔が違うの?」といってしまう可能性があった。その後の母の厳しい躾のおかげでその点は収まったけれど、作ることになると話は別である。松尾芭蕉が門弟達が師匠はこういう人だ、と遺しているのに無視され続けていたので門弟の描いた絵のみ参考に作った。 今回陰影のない平面的な肖像画をもとに制作して判ったのは、調子の描かれていない画面から立体感を類推するのに有効なのはひとえに、人のデイテールに対する記憶のデータ量だ、ということである。『ミステリと言う勿れ』の久能整が人の数だけ真実がある、といっていたが、事実と思われるのは、ご本人が賛を書いた唯一の寿像(生前に制作された像)であろう。斜め45度を向いたそれを真正面に向けるために、面壁座禅の向かいの壁に目があったなら、という策を用いて真正面を向いた『蘭渓道隆面壁坐禅図』を制作する予定である。

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