昨日、アマゾンで必用以上注文して失敗したと思ったら、今度はすぐに使いたい物が、すぐに届かないことが判りイライラする。作ることになるとせっかちに変身し、癇癪をすぐに起こすのだが、イライラするくらいなら、と久しぶりに昼間からサイゼリアでワインでふてくされる。 つらつら考えるに、今まで学び、得てきた物はたいしたことはないが、生き物として元々備わっている物は、草木同様、たいした物であるはずで、その欲動にいかに身を任せるか、にかかっているだろう。そこで邪魔になるのが下手な考えである。であるから、なんで寒山拾得を作りたくなったか、何故脱線して、達磨大師に教えを乞うため、己の左腕を切り落とした人物を作っているのか良く判っていないのだが、湧き上がる欲動に任せていると、そういうことになる。経験上その方が結果は良い。 落語の『禁酒番屋』で、小便を酒だと思い込んだ男が、いやに泡立つ酒だ、とふーふー吹いて、表面の泡を退かして飲もうとするのが可笑しいが、そうやって下手な考えをいかに退かして酒を飲むか、そこが肝腎であろう。その泡を退かす効果があるのが、座禅だったり、私の場合は金魚を眺めることではないか、と理解しているのだが。
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