明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



数ヶ月蘭渓道隆師の〝あの感じ“が何故出ないのか、ほんの数ミリ眼球を前に出してようやく。改めて陰影のないフラットな絵画から立体を起こす、というのは、頭にある情報のストックを動員し、推理創作するしかない。 高度な技術、表現から宗より携え来日したと思われていたが、今では日本で描かれたとされている。この肖像画も、私が禅宗の頂相、あるいは頂相彫刻が人像表現の究極と思うに至った理由の一つである。本人を前に平面に写したであろう絵師その他関係者、七百年後に、それをまた立体に戻そう、なんて輩が現れるとは考えもしなかったろう。こう言っては何んだが、作家であれば気を悪くするとしてもファンやご遺族であろうが、本格的禅を日本にもたらせた禅師、しかも建長寺の開山となると趣はだいぶ違う。制作中の像をを持って建長寺の門をくぐる2日前、寝ていたら胃液が上がって来て目が覚め吐いた。悪い物でも食べたか?と思ったが、どうやら我がヘソ下三寸のもう一人の私は、自分で思っているよりナイーブらしい

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