明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




先日、爪は伸び、髪はボサボサの寒山拾得になぜ髭がないのか。星の数ほど描かれて来たのに。理由がなければおかしい。 寒山拾得について多く語られるように、私もその不可解な笑みだけを問題、また重要視してきたが、二面性どころか、人間のあらゆる矛盾が人間の形で表現されて来たのが寒山拾得ではないのか。 つまり笑顔のようで笑顔でなく、老人のようで老人でない。また愚者のようで愚者でない。間違いない。もっともそれに気が付いたところで、私の寒山と拾得がそう変わるとは思えず、座り心地の良い座布団とそうではない座布団の上に座って作った程度の違いしか出ないかもしれないけれど、結果は必ず違って来るだろう。そして個展会場では、例によって初めから知っていてそう作りました、という顔をする予定である。

 

 

 

 



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