『慧可断臂図』において、面壁坐禅中の達磨大師の表情を描くため、雪舟は真横を向かせたが、私は振り向かせた。月岡芳年は『月百姿 破窓月』で面壁姿を描いているが、破窓月と、窓があったのか壁を崩し、達磨大師の表情、姿を露わにした。ただ打ち捨てられた廃墟で目を閉じている、という感じである。私も月下の達磨大師 を考えているので、芳年のやりたいことは良く判る。大半は面壁にこだわらず、外に向かって座る姿が描かれている。 坐禅姿の蘭渓道隆を作ったのだから、本人が坐禅をしたといわれる建長寺の坐禅窟 を背景に使いたいが、背を向けていては仕方がないと一応断念したが、数ある達磨図同様、律儀に壁に向かわす必要はないだろう。たまには外の景色を眺めることぐらいあっただろう。そういえば、座禅窟の坐禅中の蘭渓道隆を一遍上人が尋ねて来た、という逸話があり、これに乗じて一遍上人が作れる!と一瞬色めきたったが、事実でないと検証されていた。〝事実かどうか定かではない“であれば、間違いなく私の出番だったのだが。虚実の間で一喜一憂。
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