明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



青木画廊『眼展』の搬入日が来ているが、まだ作っている。 門前仲町の赤札堂に白い布を買いにいく。布といっても、使うのはほんのちょっとなので、ハンカチで良いだろう。ところが何かしら模様が入っていて、使えるものはない。次に、永代通り沿いの『二笑亭』があったあたりの、カーテンなど売っているインテリアショップにいく、並びに居酒屋の『笑笑』がある。白くて薄ければなんでもよいと探すが、適当なものがない。何に使うか、聞かれた場合の答えを用意していないので、店員に尋ねるのも面倒である。 次に通りの向かいにある、古い洋品店にいく。ここは昔からあるようで、中にあるマネキンが、まるで囲炉裏端でいぶされたようである。店先にサラシがあったが、縮尺的に目が粗い。店にいるご主人に聞くと、中から、ただの木綿のハンカチを出しきてくれた。「御婚礼ですか?」「いえ、べつに」210円だったが、税金とらないからというので200円払う。「ウチは男もんは何でもあるよ」さすが看板にメンズショップと書いてあるだけある。「フンドシもあるから」「エッ?あ、ああそうですか・・・。」

過去の雑記
HOME


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


一日  


ようやく仕上げに入る。実はその間、もう一回、失敗したので、3度目の正直である。数日かけてやり直しただけの甲斐はあった。何をやっていたかは、書くとバカバカしいので書かないが。私は失敗したら、失敗して良かったと思うまで、“マムシに蛸足”如くの執念深さで許さない。実生活では、何故こういった真面目なところが生かされないのであろうか。ピクリとも反映されない。 考えてみると、私は子供の頃から、ずっとこんなことをしている。佃の渡し船の煙突にある、東京都のマークを描くために、台風の中、近所のマンホールの蓋を見にいった、幼稚園児の頃と何一つ変わっていない。親には申し訳ない気もするが、生まれつきなので、私には何一つ責任はないのである。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


失敗  


仕上げを終え、そろそろ着彩にと思っていた昨晩。思いついたことがあり、手を加える。作業に没頭したが、これが間違いの元であった。一夜明けてがっかり。やるんじゃなかった。仕上げのやり直しである。 頭部が夜中に完成したとしても、一度寝て、翌日全体を作り始めることにしている。思いついたことを始める時も同様で、一度寝て頭を冷やし、翌日になっても、やる意味があると判断したら、進めるのである。これを破って、何度失敗したことであろう。問題は、作りたくなったら一時も我慢できないという性格である。夜中に良いアイディアを思いついたら、寝られるわけがない。こういうときは酒を飲んで気分を変え、翌日まで我慢するのだが、昨日はついやってしまった。 “ラブレターを投函するのは、一夜明けてからにしろ”という教訓を、また無駄にしてしまった。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2時頃、階下に住むYさんから、今日は『K本』に行くのかと電話。そう聞かれると、行くことにしていたような気になる。ここのところ毎日のように顔を出しているが、制作中は、K本にでも行かないと、食べて寝てる以外は、常に作りっぱなしになってしまう。 K本は、以前、先代の社長だかが、ホッピーが飲める店ベスト5に選んでいた。K本の女将さんによると、昔は社長自らが配達していたそうである。あの瓶は、もともと進駐軍のバドワイザーの瓶を流用していた名残りだそうで、瓶が足りなくなると、インク瓶で代用し、洗浄が完全でなく、注いだら青いホッピーが出てきたことがあると、今日聞いた。 そんな歴史あるホッピーの名店にかかわらず、私は炭酸にポッカレモンを垂らす酎ハイ専門である。酎ハイは、始めの一杯は炭酸の瓶を目の前に置かない。勘定のとき、炭酸の瓶を靴下の中に隠してごまかそうとした客がいて、それ以来のことだそうである。おかげで自分が飲んだのが、一杯少なく錯覚しながら飲み続けられるところも良いのである。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »