明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



明け方まで制作をし、ちょっと寝てすぐ目が覚めてしまう。ゴミを出すついでにT屋に行き、朝の6時からチューハイ。今日は夜勤明けのタクシードライバーの連中がまだ来ていない。周りはこれから勤めにいく堅気ばかりである。注文する声も、つい小さくなり聞き返される。昨晩は全く飲まなかった。リズムをコントロールするには飲酒が一番である。ついでに朝定食を食べていると、店の前をSさん。今日K本に行くならピーマン持っていってやるよ。という。これで夕方はK本に行かないわけにはいかなくなる。しばらく制作し、コンビニに届いた軍装関係の資料を受け取りに行くと、知りたかったことが無事解決。K本に行き、ホッとして飲む。Sさんには例によって採りたてプリプリのピーマンをいただく。これは生に塩で食べてこそである。良い気持ちで帰宅すると、未だ常に持ち歩く習慣が身についてない携帯電話。通話履歴にアダージョの堀間編集長。今日は京橋で打ち合わせの日であった。日が経つのは早い。あわてて京橋に向かう。もっとも、毎回2回の打ち合わせのうち、この回は、ほとんど世間話で終ることが多いのだが、今回は執筆者である『東京人』の副編集長鈴木伸子さんが同席すると聞いていたのと、私の知らないところで、次の特集人物が決まってしまうのではないか、という恐怖心があるので向かう。結局、世間話で終始し、特集人物に対する話題も出ず。木場に戻り、よせばいいのにまたT屋。結局本日4回飲んでしまい、制作したのはほんの数時間であった。しかし資料入手で、本日はお祝いの日ということにする。 明治の軍服ではズボンの脇にある側章は、所属によって決められている。この人物は、○○色だが、ヤフーオークションで見つけた、この立場の人物が身に着ける飾帯は○色である。この手の出品者、入札者は、マニアばかりなので間違うとは思えない。画像の色が不正確なのだろうか、と悩んでいたが、はたして明治時代の軍装一覧版画では、何故だか判らないが、この立場の軍人だけ2色使われていた。ここまで本当のことを押さえておけば、あとは好きに捏造、創作ができるというものである。

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