明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



夕方買い物に行こうとドアを開けると、ノブにビニール袋がぶら下がっていた。中を見ると大きなムロアジのくさや。誰だろうと考えると、先日K本で、Sさんと新島のくさやの話をしたのを思い出した。以前部屋を訊かれたこともあったが、ピーマンや苦瓜のお裾分けだと思い、わざわざ持ってきてくれなくても、K本に預けておいてくれれば、といった覚えがある。そういえば午前中チャイムが鳴っていた。 宅配業者の中には、玄関で正座して待っているべきだ、といわんばかりにチャイムを鳴らしたりドアを叩く人がいて、しばしば腹が立つのだが、特に何も届く予定がないなと思うと、制作中に立ち上がるのも面倒で放っておくのである。くさやは明日にでもいただくことにしよう。 くさやを焼いて苦情が来るという話を聞くが、始めから食べ物だとしか思っていないので、臭いと感じたことがない。そもそも東京で東京の干物を焼いて何が悪い、というわけである。そのせいか、最近のくさやは匂いがマイルドになってしまった、とSさんとも話したのであった。癌を克服したSさんは驚くべき元気さで、自宅のマンションの6階は、歩いて上がるというから同じ6階の私のところへも、くさやをぶら下げて、階段で上がってきたのかもしれない。特殊メイクでくっ着けたような見事な福耳をしていて、髪も真っ黒である。それにしたって私の家のチャイムを鳴らすのは、宅配便でなければ、工務店のSさんといい、80近い老人ばかりである。

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団子坂は、昔は海が見えたことから別名を潮見坂という。坂上の本郷図書館がある場所には、かつて観潮楼と名づけられた森鴎外邸があった。昔の東京は、ちょっと高いところに行けば、富士山が観えたり海が観えたり、随分風通しが良かったわけである。鴎外邸跡は、そこから200メートル程下ったあたりに、三人書房はあったらしい。乱歩は商売そっちのけで、田谷力三を応援したり、二階でごろごろしながら探偵小説について考えたりしていたようだが、鴎外が三人書房を覗いていたとしても不思議はない。 知人とメールをしていたら、某研究家が三人書房の写真が1枚ある、というのを聞いたという。私は見たことも聞いたこともない。もし存在するなら、乱歩のラフなスケッチを参考に再現する必要はなかったし、在るなら作らなかった可能性もある。半信半疑ながら確認せねばと、乱歩の生誕地、名張市在住の中相作さんに伺うと、やはり存在していなかったようである。改めて知人に問いただすと、酒の上の話の記憶違いだったようで、まったくくたびれ損である。 ところでこれは団子坂の写真だが、真ん中に建つ商家。私が作った三人書房とそっくりである。1階の屋根の上に掲げられた看板も、乱歩自身がデザインした凸型に見えなくもない。いくらか大振りな感じを除けば、全く同じに見えるのだが、これを見ては以前から妄想しているのである。

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自転車の16インチタイヤが届く。今まで16×1、25という細いタイヤを履いていたが、16インチという、幼児用自転車なみの小径で、1、25という細いスリックタイヤは、舗装道路こそ快適だが、段差を拾いすぎる。そこで1、5にサイズアップすることにした。抵抗は増えるが、その分安心感はある。  続いて神奈川近代文学館より、『大乱歩展』ポスター校正刷りが再び届く。画像が粗いのでは、という意見があったようだが、35ミリカメラで撮った5、6センチの乱歩の頭を、実物大以上に引き伸ばしているのだからしかたがない。私は、ピントはあまり気にしないタイプである。実在の人間に、出会いがしらにカメラを向けたなら、という雰囲気を大事にしたいからである。三脚立てて、ピントを気にしていたら、概ね、ただのお人形さんになる。私がカメラを始める前、仕事でプロのカメラマンに作品を撮影してもらっていると、スタジオで商品撮影のように撮るので、人形として正確に写ってはいるが、それ以上になかなか成らなかった。今回のポスターは、こんなに大きく引き伸ばすことなど想定していなかったが、ピントの甘さか手のブレか、はたまた旧いボロレンズのせいか、リアルである。ここまで拡大されると、乱歩も一人で大きくなったような顔をしていて、私が作った気がしない。大迫力に満足。 『大乱歩展』には乱歩像と共に、写真作品も展示の予定だが、『D坂の殺人事件』用に、乱歩が弟等と団子坂で営んだ『三人書房』も候補に上がっている。これは当初、雰囲気のある古書店に看板だけ換えて使おうと、HPでアンケートをお願いし、さてロケハンにという時に、貼雑年譜に載っていた、乱歩直筆スケッチの三人書房に気がつき、結局、それに乱歩の文章を踏まえながら、できるだけ忠実に再現することにした。書籍の印刷では判らないが、一つイタズラをしていて、ショウウィンドウの中には乱歩のサイン色紙とともに、『ドグラマグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』が飾ってある。  ただ一つ気になっていることがある。実際団子坂はかなり急な坂である。しかし乱歩のスケッチでは、そこまで表現されていなかったので地面は平らにしたのだが、考えてみたら、あの線描のスケッチでは、地面の傾斜まで表現できなかったであろう。出品が決まれば、店の前の地面に傾斜を付けるつもりである。もちろんどちら側に傾斜させるかは、調べた上で再現するのはいうまでもない。 アダージョ用人物、着せるべき軍服の詳細も判明し、肝心の頭部の制作に集中する。

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明け方まで制作をし、ちょっと寝てすぐ目が覚めてしまう。ゴミを出すついでにT屋に行き、朝の6時からチューハイ。今日は夜勤明けのタクシードライバーの連中がまだ来ていない。周りはこれから勤めにいく堅気ばかりである。注文する声も、つい小さくなり聞き返される。昨晩は全く飲まなかった。リズムをコントロールするには飲酒が一番である。ついでに朝定食を食べていると、店の前をSさん。今日K本に行くならピーマン持っていってやるよ。という。これで夕方はK本に行かないわけにはいかなくなる。しばらく制作し、コンビニに届いた軍装関係の資料を受け取りに行くと、知りたかったことが無事解決。K本に行き、ホッとして飲む。Sさんには例によって採りたてプリプリのピーマンをいただく。これは生に塩で食べてこそである。良い気持ちで帰宅すると、未だ常に持ち歩く習慣が身についてない携帯電話。通話履歴にアダージョの堀間編集長。今日は京橋で打ち合わせの日であった。日が経つのは早い。あわてて京橋に向かう。もっとも、毎回2回の打ち合わせのうち、この回は、ほとんど世間話で終ることが多いのだが、今回は執筆者である『東京人』の副編集長鈴木伸子さんが同席すると聞いていたのと、私の知らないところで、次の特集人物が決まってしまうのではないか、という恐怖心があるので向かう。結局、世間話で終始し、特集人物に対する話題も出ず。木場に戻り、よせばいいのにまたT屋。結局本日4回飲んでしまい、制作したのはほんの数時間であった。しかし資料入手で、本日はお祝いの日ということにする。 明治の軍服ではズボンの脇にある側章は、所属によって決められている。この人物は、○○色だが、ヤフーオークションで見つけた、この立場の人物が身に着ける飾帯は○色である。この手の出品者、入札者は、マニアばかりなので間違うとは思えない。画像の色が不正確なのだろうか、と悩んでいたが、はたして明治時代の軍装一覧版画では、何故だか判らないが、この立場の軍人だけ2色使われていた。ここまで本当のことを押さえておけば、あとは好きに捏造、創作ができるというものである。

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先日『私の思いに気がついてくれる人が、どこかにいるに違いないと考えながら作ることも、私のモチベーション維持の、重要な要素である』と書いたが、逆にいえば、『こんなことも判ってないんだと気づく人が、どこかにいるに違いないと考える。』ということでもある。  背景の撮影場所は、すでに決めてある。それは人物に関わりのある歴史的建造物なのだが、別の場所から移築、再現されたものである。ところが中途半端なことに、かなり目立つ部分が再現されていないのである。古写真を見ると明かに違う。この建物の画像をネットで検索すると、外観を引きで撮っている画像ばかりである。美しい庭とともに、建物の全体像を撮って画になる場所なのであろう。しかし私はすでに形が違うことを知ってしまっている。デジカメ片手に探索する、一般人と同じようにしていていいのであろうか。考えられるのは2つである。1)再現されていない部分を入れずに撮影する。2)画像を加工し再現する。である。元型との違いは、よほどの人でないと知らないだろうが、私はそのどこかにいる“よほどの人”が、笑っているのではないか、と気になるのである。アダージョは、街歩きのお供に、という性質のフリーペーパーである。実景を変えてしまったら、アダージョ片手に現場を訪れた人たちが首を傾げることになりかねない。(その前に、なぜ元型どおり再現しない、といいたいのだが)また、背景として使用するにあたって、許可を得る必要がある訳だが、かってに手を入れてしまって、問題が生じないとも限らない。結局、主役の人物像をおおよそ完成させて、撮影時に考えることにする。  こう書いていると、私も案外細かいことを気にするタイプのようである。もう少し痩せてもいいようなものだが、こんなことを悩みながら作ることが楽しいのだから、そうはいかないらしい。

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同じマンションのYさんから電話。今日は早めにK本へ行って、家で石原裕次郎の映画『富士山頂』(1970)を観るという。それならと、私も早めにK本へ。映画関係者のYさんに、有名な某日本映画が、軍装関係で参考にならないか、という話をしたら、衣装を担当した人と話したことがあり、資料がなくて大変だといっていたらしい。それではあてにならない。もっとも礼装の軍人など、出てこないかもしれない。 帰宅後『富士山頂』を観る。映画は映画館で観るもの、という裕次郎の意向で、ビデオ化されていない作品らしい。 ファンの方には申し訳ないが、私はどうも石原裕次郎の良さが判らないのである。気がついたら黒い顔をした太った人になっていて、TVの刑事ドラマにしても、お巡りが象でも倒すようなピストルを振り回して無茶ばかりだし、だいたい軍団だかなにかしらないが、体育会系の乗りが駄目である。日活時代はただ坊ちゃん臭く、時代劇にでれば、いつも前髪たらしていて、私にとって演技者としての裕次郎はいいとこなしなのである。ただ歌は凄い。例えば『夜霧よ今夜も有難う』など、一時代前の映像を観ると、有り得ないようなオーラが漂っており、スターであることは間違いがない。  新田次郎原作の『富士山頂』は富士山頂に気象レーダーを作った人々を描いているが、強力とは大変な仕事である。小学校の頃、漫画で新田次郎の『強力伝』が連載されていたのを思い出した。そういえば当時の私は、登山家とは命を懸けて、この映画のように何かを成したり、調査をしている人達だと思い込んでいた。それがただ登っているだけと知った時は、本当に驚き、かつ呆れた。高所を好まない私からすれば、危険な登山は○○行為にしか思えなかったのである。その頂点は、今号のアダージョの表紙で、犬に囲まれ笑っている人であろう。

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次号アダージョ用の人物にさせようという、オスカルのような格好。ようするに軍服である。実戦用ではなく、礼装にしようと思っているので派手なのである。軍服など作る機会はそうないだろうし、アダージョにかこつけて作ってみよう、というわけである。昔の人物なのでカラー写真は残っていない。しかも残っている姿をそのまま、などというのは私が作る意味がないので、当然時期にも一工夫したい。そこでほぼ時代や、位も相当の軍服のカラー写真を見つけ、こんな感じにすれば良いだろうと思っていたのだが、それは少々甘い考えであった。  軍服は陸軍海軍で違うくらいは見れば判る。ところが兵科色といって、所属により、軍服のところどころに使われている色が決まっている。しかも飾りの形によって、位まで識別できるようになっている。考えてみれば、そりゃそうだろう、ということであるが、例えば中将と大将を漠然と見ていれば一見違いがないようだが、星の数やら、飾りの密度が微妙に違う。しかも時代によって細かなデザインが、頻繁に換えられているのがやっかいなのである。そう思ってみたら、最初にこれを参考に、などと思っていた資料写真は、地色が参考になるくらいで使い物にならないことが判った。 お年寄りや、軍装マニアでないかぎり判らないであろうし、常日頃本当のことはどうでも良いといっている私であるが、上手い嘘をつくコツは、本当のことを混ぜることである。この混ぜ具合が嘘つきの、いや創作者のセンス、ということになるのであろう。私の知らないところで、こいつ、こんなことしていやがると、私の思いに気がついてくれる人が、どこかにいるに違いないと考えながら作ることも、私のモチベーション維持の、重要な要素である。文献でしか見つからない部分は想像するしかないが、やれることはやるしかない。

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一日  


宅急便でB1、B3、A4のポスターの校正紙が届く。背景の青がどうだろうと思っていたが、綺麗にでていた。10/3~11/15の県立神奈川近代文学館の『大乱歩展』用ポスターである。なかでもB3の色が良かったので、それを基準にしてもらうことにした。担当の方とは電話で済ます。ポスターは色々やったが、チケットまで、というのは初めてである。  インターネットで、ジャンボ鶴田VS三沢光晴の、スタン・ハンセンの3冠ベルトへの挑戦権をかけた試合を観る。解説のジャイアント馬場を含めて3人とも、もういない。迫力ある戦いを観せるために、プロレスという競技は作られているし、良くできている。 夕方、Tさんと新小岩駅で待ち合わせ、去年の忘年会以来のモツ焼き。この店は何を食べても美味く、この季節にレバ刺しが食べられるのが嬉しい。昔、レバーに中ったことがあるが、真夏に布団を被って震えており、父の、プロレス中継が始まったと呼ぶ声に起きられず、夏風邪は恐ろしい、と勘違いしていた。 帰りTさんに、プロレスの真偽について尋ねられたが、私はこの手の会話は飽き々である。せめて数十試合観て、それでも聞きたかったら来い、といいたいのであった。

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