明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



夕方買い物に行こうとドアを開けると、ノブにビニール袋がぶら下がっていた。中を見ると大きなムロアジのくさや。誰だろうと考えると、先日K本で、Sさんと新島のくさやの話をしたのを思い出した。以前部屋を訊かれたこともあったが、ピーマンや苦瓜のお裾分けだと思い、わざわざ持ってきてくれなくても、K本に預けておいてくれれば、といった覚えがある。そういえば午前中チャイムが鳴っていた。 宅配業者の中には、玄関で正座して待っているべきだ、といわんばかりにチャイムを鳴らしたりドアを叩く人がいて、しばしば腹が立つのだが、特に何も届く予定がないなと思うと、制作中に立ち上がるのも面倒で放っておくのである。くさやは明日にでもいただくことにしよう。 くさやを焼いて苦情が来るという話を聞くが、始めから食べ物だとしか思っていないので、臭いと感じたことがない。そもそも東京で東京の干物を焼いて何が悪い、というわけである。そのせいか、最近のくさやは匂いがマイルドになってしまった、とSさんとも話したのであった。癌を克服したSさんは驚くべき元気さで、自宅のマンションの6階は、歩いて上がるというから同じ6階の私のところへも、くさやをぶら下げて、階段で上がってきたのかもしれない。特殊メイクでくっ着けたような見事な福耳をしていて、髪も真っ黒である。それにしたって私の家のチャイムを鳴らすのは、宅配便でなければ、工務店のSさんといい、80近い老人ばかりである。

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