平成27年4月27日(火)
柴又駅に降ります。10年ぶりと思っていたら8年前の平成19年にも来ていました。
渥美清さんが亡くなったのは1996年(平成8年)8月4日でした。私はその年の8月24日にも柴又を訪れています。隠れ寅さんファンを自称していたので、寅さん(渥美清さん)を弔うためです。高砂から金町行きの電車には寅さんの写真がいっぱい飾られていました。

もう寅さんが動かない像になって、随分時が経ちました・・・。

平成17年3月末、チョロ2が4月からいよいよ小学校へ入学するという時期です。(もう高校2年になっています。)

まだ寅さんを忘れていない店があるのは嬉しい限りです。

こういう会話のある風景も下町らしいです。

寅さんの口上が山田洋次監督の筆で石碑になっています。

寅さん映画のロケ待合所になっていた高木屋さん。渥美清さんが亡くなった当座はごった返して、草団子を買うことも出来なかった記憶があります。もうあの先代の女将さんも亡くなられたと聞いています。

でもこうした看板にはほっと心がゆるみます。

帝釈天の山門が見えてきました。

源さんがどこからか飛び出してきそうです。

鐘楼。幼い寅さんはここでいたずらしていたのでしょうか。

境内をスナップしてみました。

柴又駅に降ります。10年ぶりと思っていたら8年前の平成19年にも来ていました。
渥美清さんが亡くなったのは1996年(平成8年)8月4日でした。私はその年の8月24日にも柴又を訪れています。隠れ寅さんファンを自称していたので、寅さん(渥美清さん)を弔うためです。高砂から金町行きの電車には寅さんの写真がいっぱい飾られていました。

もう寅さんが動かない像になって、随分時が経ちました・・・。

平成17年3月末、チョロ2が4月からいよいよ小学校へ入学するという時期です。(もう高校2年になっています。)

まだ寅さんを忘れていない店があるのは嬉しい限りです。

こういう会話のある風景も下町らしいです。

寅さんの口上が山田洋次監督の筆で石碑になっています。

寅さん映画のロケ待合所になっていた高木屋さん。渥美清さんが亡くなった当座はごった返して、草団子を買うことも出来なかった記憶があります。もうあの先代の女将さんも亡くなられたと聞いています。

でもこうした看板にはほっと心がゆるみます。

帝釈天の山門が見えてきました。

源さんがどこからか飛び出してきそうです。

鐘楼。幼い寅さんはここでいたずらしていたのでしょうか。

境内をスナップしてみました。
