平成29年1月16日(月)
やっと体調が回復してきたので気分転換に久しぶりに横島干拓へドライブしてきました。「明治26(1893)年から明治35(1902)年に建設された明丑開(めいちゅうびらき)、明豊開(めいほうびらき)、末広開(すえひろびらき)、大豊開(たいほうびらき)の4カ所からなる総延長約5kmの潮受け堤防群」(ネットより)です。



「当時の技術水準の高さを示すもので、明治の大規模な堤防と樋門が残る全国でもまれな干拓の遺産であり、近世から続く有明海干拓の歴史を物語る貴重な構造物ともなっています。」(ネットより)

樋門の記念碑が立っています。

詳しくはく「【玉名】有明海旧干拓施設群 / 横島干拓旧堤防跡」をご覧ください。



西側の海岸堤防から広がる横島干拓を眺めました。向こうの山は熊本市の金峰山です。麓はミカンの里の玉名市天水町です。名優・笠智衆の生誕の地でもあります。漱石・草枕に出てくる那古井温泉もあります。

金峰山の中腹にはあの草枕の峠の茶屋もあります。

広場には熊本地震や豪雨で漂着した大木が山積みされていました。

熊本は復興は進んでいるとはいえまだまだ道半ばと言う感じです。

やっと体調が回復してきたので気分転換に久しぶりに横島干拓へドライブしてきました。「明治26(1893)年から明治35(1902)年に建設された明丑開(めいちゅうびらき)、明豊開(めいほうびらき)、末広開(すえひろびらき)、大豊開(たいほうびらき)の4カ所からなる総延長約5kmの潮受け堤防群」(ネットより)です。



「当時の技術水準の高さを示すもので、明治の大規模な堤防と樋門が残る全国でもまれな干拓の遺産であり、近世から続く有明海干拓の歴史を物語る貴重な構造物ともなっています。」(ネットより)

樋門の記念碑が立っています。

詳しくはく「【玉名】有明海旧干拓施設群 / 横島干拓旧堤防跡」をご覧ください。



西側の海岸堤防から広がる横島干拓を眺めました。向こうの山は熊本市の金峰山です。麓はミカンの里の玉名市天水町です。名優・笠智衆の生誕の地でもあります。漱石・草枕に出てくる那古井温泉もあります。

金峰山の中腹にはあの草枕の峠の茶屋もあります。

広場には熊本地震や豪雨で漂着した大木が山積みされていました。

熊本は復興は進んでいるとはいえまだまだ道半ばと言う感じです。

そちらの干拓地にはすごい施設が残っているのですね~
石積みの堤防や樋門は美しく、技術の高さがうかがえます。
此方でも備前岡山藩で、後楽園・閑谷学校などを造った津田永忠の干拓遺跡がありますが、一度巡ってみたいと思います。
お元気になられ、本当によかった。
横島の干拓は大規模なんですね。
石積みの堤防など立派で、それがちゃんと残っているなんて
素晴らしい歴史遺産です。
ご紹介ありがとうございます。
ですね。
横島干拓地の事はこちらでは余り知られて
いません。
すごい干拓地の遺跡が残っていることを
初めて見せて頂きました。
体調が回復されたようで よかったですね。
2人の姉が体調壊してまして 気分的に参ってしまってます。
これから・・・1歩外へ・・・気分転換はラッキーでしたね。
この六枚戸 石橋探訪の折に見つけて立ち寄ったことがありますよ。
素晴らしい施設
漂着した大木 何かに利用できないですかね~
そうそう・・ コメント欄閉じてあった間
わたし 名コメント
お正月の お取り寄せのごちそう お鳥寄せで縁起がいいなって。。
酉年だから・・・ でも色あせてしまいましたが・・・
お身体ご自愛くださいね。
石垣が延々とつづいていて
大変な事業だったんですね
先人たちの努力、技術すごいことですね
素晴らしい歴史遺産ですね
それにしても流木の量がびっくりするほどありますね
被害の大きさを改めて感じます
今後は節制し、しっかり健康管理に努めます。
堤防も江戸時代の者から近代のものまで
ちゃんと残っていますよ。
御地の堤防遺跡のアップを楽しみにしていますよ、
こじらせるとついつい長引いてしまいがちです。
横島には縁があって2年ほど勤務した所です。
横島干拓を検索すると本当に奥深いですね。
まだまだ知らなない事柄が山積しています。
また少しずつアップしていきますね。
お陰様でドライブも出来るようになりました。
一昨年は野鳥の会筑後支部の方々も
横島干拓探鳥会に合流されましたよ。
マナヅルなども飛来してきますので
関心のある方は大牟田方面からもかなり見えておられます。
さしてきつくは感じなくなりました。
お姉さま方も体調が良くないのですか。
歳と共に私も免疫力の低下を実感しています。
熊本通のmomomamaさんは
足を踏み入れられていない所はないようですね。
ハハハ、お酉寄せとは洒落たギャクですね。
これからも酉とめのない記事を書いていきますのでよろしくお願いします。
お陰様で元気になりました。
広大な横島干拓を眺めていると
加藤清正時代から近代までの長年に亘る事業の継続に
頭が下がる思いがいたします。
荒尾競馬場跡に積まれているのは雑然としていますが
ここのは整然と積まれていてびっくりしました。
どう処分されるのかまだ決まっていないようです。