平成28年8月9日(火)
荒尾市民にもあまり知られていない賀庭寺に久しぶりに行ってきました。その昔、「広大な寺域に7堂伽藍を備え、薬師三尊と十二神将が安置され、各地から集まった学僧や修験者が44もの坊舎で学んだといわれています。」と言われている所です。
すぐそばを小さな硯川が流れていて、これまた名もない小さな石橋が架かっています。
正門のそばには「熊本県指定重要文化財」の標柱が立っています。
地蔵菩薩が出迎えてくれます。
境内は他に人もなく深閑としています。
色々な古塔群をしばご覧ください。
表に回ると南向きに猿田彦碑が建っています。説明版も分かりやすいですが子どもたちのためにふりがなも欲しいものです。
こちらは宝篋印塔、手前に花も供えてありました。
薬師堂は老朽化していましたが、最近、地元の建設業者が無償で修理、寄進しました。
薬師堂内の新しい掲示版です。
その昔、壮大な敷地だったという面影はありませんが古塔群がわずかにその片鱗を伺わせています。
荒尾市民にもあまり知られていない賀庭寺に久しぶりに行ってきました。その昔、「広大な寺域に7堂伽藍を備え、薬師三尊と十二神将が安置され、各地から集まった学僧や修験者が44もの坊舎で学んだといわれています。」と言われている所です。
すぐそばを小さな硯川が流れていて、これまた名もない小さな石橋が架かっています。
正門のそばには「熊本県指定重要文化財」の標柱が立っています。
地蔵菩薩が出迎えてくれます。
境内は他に人もなく深閑としています。
色々な古塔群をしばご覧ください。
表に回ると南向きに猿田彦碑が建っています。説明版も分かりやすいですが子どもたちのためにふりがなも欲しいものです。
こちらは宝篋印塔、手前に花も供えてありました。
薬師堂は老朽化していましたが、最近、地元の建設業者が無償で修理、寄進しました。
薬師堂内の新しい掲示版です。
その昔、壮大な敷地だったという面影はありませんが古塔群がわずかにその片鱗を伺わせています。
各地から学僧や修験者が集まって学んでいた歴史、たくさんの古塔群もあるのに あまり知られていないのはもったいないですね。
宮内出目の浄業寺にも古塔群がありますね。
全く知りませんでした
石塔や仏像
が有りし日の面影を僅かに残しているようですね
地元でもあまり知る人がいないのはもったいないです
もう少し市民にしってほしいですね
予定されるなど、市民への啓発も考えられているようです。
浄業寺にも鎌倉三代の塔などがきちんと残っていますよね。
世界遺産とは別に注目して欲しい遺産がいくつもあるので
もっと市民に周知を図りたいものです。
こういう古寺などについては
興味を持つ一部の人にしか知られていないので
市の広報紙に連載するなどして
知らせていく方法を考えるべきでしょうね。
賀庭寺の北東・直線距離で1キロ弱の所に
毘沙門天を祭っている祠があり、その周辺を「毘沙門」と呼んでいますよ。
中々古い立派なお寺さんですね。
沢山の石仏や石塔から当時を偲ぶ事が出来そうです。
各地から修験者や学僧が集まってきたと言う事は
それだけ当時は名高かったのでしょう。
参考文献も拝見いたしましたが、これだけのお寺が
今は地元でも知っている人が少ないのは時代のせいでしょうか・・・。
気になっていました。
石橋探訪のついでに寄ろうと思いながら未だ行っていません。
いつでも寄れるように知巣をプリントすることですね。
宝筐院塔 立派ですね。紀念銘があるんですね。
文化財がたくさんあるから もう少しバッチリ管理してほしいですね。
先日行った神社で 盗難予防のためって古い木造の狛犬さんが檻に入ってました。
これのどうだかね~
いつか訪ねてみたいです。
北島雪山が著した肥後国最初の地誌「国郡一統志」や
「肥後国誌」などにも平重盛建立と記述されています。
史実は確かではありませんが、とにかく広大な寺院だったことが伺えます。
2003年(平成15年)刊行の荒尾市誌別編の「荒尾の文化遺産」には詳述されています。
でもこういう本を手にして読む人は限られているでしょうし、
興味を抱く人が少ないのもやむを得ないでしょうねぇ。
覚えていていただき、ありがとうございます。
小さいですが、momomamaさんの好きな石橋もありますよ。
多分、正式な名前はなく「どんこ橋」と勝手に付けています。
山鹿の鹿央町の康平寺にもある千手観音が本堂には祀ってあります。
先手観音は千手経の“大悲利他の方便で無量広大、敵国降伏を祈る”のにふさわしい尊像だそうで
康平寺にも同じ伝承がありますよね。
当時の蒙古軍の再三の襲来を恐れていた気持ちが伝わる、と「荒尾市誌別編」には記されています。
ずっと寄ってみようかな?と思いつつも、側の道路まで行って、思い出すを繰り返しています
駐車場もでき、ちらっと道路から見える屋根が薬師堂でしょうか?
川のせせらぎが聞こえて来そうな硯川も良いですね
この猛暑を忘れさせてくれそうです
賀庭寺が平安時代の末頃建立されたと言う事は、900年位前から鎮座してる古塔群は長年、世の流れを見て来てるのですね
不思議な気持ちになります
どんこさんが紹介された【おてもやん】のホームページを早速ブックマーク登録させて頂きました
ついでに[肥後国 くまもとの歴史]を色々と検索していたら、平安時代初めから「小岱山製鉄操業」の文字が目に止まりました
大昔から、小岱山を起点に1000年以上前から色々と盛んだったのかもしれませんね
それは、長い時代の流れに、南の関所(南関)などの地名も残されてるのも、『三池街道』と言う存在に宿場町として御正門も残されてるのも、長くて深い歴史の一部を見るようで興味が湧いてきます
チラッと見えているのが本堂ですよ。
薬師堂は小さくて道路からはほとんど見えていません。
この薬師堂は府本のY建設が修復して
寄進したといつか新聞に出ていました。
以前、現役だった頃、この硯川付近のスケッチ大会があり
水彩画を校長室に額に入れて掲げてもらっていたのですが
校舎が新築になり、いつかお邪魔したらもうなくなっていました。
あれは愛着があったのですが・・・。
クラシックさん、なかなかの勉強家ですね。
わが郷土もまだ知らないことがいっぱいありますね。
この歳になってもまだまだ未知への扉を
開く楽しみがいっぱいあるような気がしています。
まだまだ暑いので、ご自愛下さいね。