平成28年11月4日(金)
公子(写真右)は高等女学校生活を謳歌していました。中でも照子(左)と澄子(中)とは心を通わせる仲でした。
詩を書くことからも遠ざかり、短歌やバスケットボールなどにも目覚めてきます。
朝鮮から帰国して酒と宗教に溺れている父・松一はそういう公子にイライラを募らせ、公子をかばう母・マツエに暴力をふるいます。
公子は小学1年の時から日記を克明に綴っていました。
昭和8年3月16日、卒業式。卒業生総代として卒業証書を受け取ります。学術優秀者、級長副級長功労者、、選手(籠球部)功労者などの賞を授与されます。
式後、虫垂炎のため倒れ、帰宅後腹膜炎を併発。手が付けられない症状でした。父は宗教の団体参拝の引率者として奈良へ向かいます。
必死に祈る母の願いもむなしく・・・。
10日後の26日、親友ふたりに見守られ息を引き取ります。遺された自由詩童謡は5000編、短歌は300首にのぼります。
父・松一が危篤の知らせを受けて帰る途中、公子の死を知ったのは大阪でした。
松一は昭和21年6月、卒中により死去します。
エンディングは思い出のシーン。父と子は黄泉の世界で再び会い、抱き合います。
夕焼け色を背景に代表作の詩が浮かび上がり、夕陽のメロディーが流れる中、静かに幕となりました。
余韻をかみしめながらの退場です・・・。
ロビーでは出演者が見送るなか写真撮影なども盛んでした。
恒例の茶話会。山下荒尾市長が出演者、スタッフの労をねぎらいました。関係者の挨拶では館長に次いで私も実行委員長としてひと言、述べました。
和やかに食べ、かつしゃべります。
出演者、スタッフの感想などを発表しあい、閉会となりました。皆さん、お疲れ様でした。観客の皆様、ありがとうございました。
公子(写真右)は高等女学校生活を謳歌していました。中でも照子(左)と澄子(中)とは心を通わせる仲でした。
詩を書くことからも遠ざかり、短歌やバスケットボールなどにも目覚めてきます。
朝鮮から帰国して酒と宗教に溺れている父・松一はそういう公子にイライラを募らせ、公子をかばう母・マツエに暴力をふるいます。
公子は小学1年の時から日記を克明に綴っていました。
昭和8年3月16日、卒業式。卒業生総代として卒業証書を受け取ります。学術優秀者、級長副級長功労者、、選手(籠球部)功労者などの賞を授与されます。
式後、虫垂炎のため倒れ、帰宅後腹膜炎を併発。手が付けられない症状でした。父は宗教の団体参拝の引率者として奈良へ向かいます。
必死に祈る母の願いもむなしく・・・。
10日後の26日、親友ふたりに見守られ息を引き取ります。遺された自由詩童謡は5000編、短歌は300首にのぼります。
父・松一が危篤の知らせを受けて帰る途中、公子の死を知ったのは大阪でした。
松一は昭和21年6月、卒中により死去します。
エンディングは思い出のシーン。父と子は黄泉の世界で再び会い、抱き合います。
夕焼け色を背景に代表作の詩が浮かび上がり、夕陽のメロディーが流れる中、静かに幕となりました。
余韻をかみしめながらの退場です・・・。
ロビーでは出演者が見送るなか写真撮影なども盛んでした。
恒例の茶話会。山下荒尾市長が出演者、スタッフの労をねぎらいました。関係者の挨拶では館長に次いで私も実行委員長としてひと言、述べました。
和やかに食べ、かつしゃべります。
出演者、スタッフの感想などを発表しあい、閉会となりました。皆さん、お疲れ様でした。観客の皆様、ありがとうございました。
どんこさんも、表から陰からの支援で、きっとヤレヤレと肩の荷を下ろしたことでしょう。
お疲れさんでした。
全く知らなかった、「海達公子」の名前を脳裏にしっかり記憶する事が出来ました。
無事、公演を終えることが出来ました。
本当にヤレヤレという感じでしたよ。
縄文人さんを初め、県外の方々にも
少しは認知されたかと思っています。
これからも公演とは別に彼女の作品等を紹介していきたいと思います。
天才ってこんなラストが待ってるんですね。
なんとか 金子みすゞのように全国版にしたいですね。
先日 宮沢賢治のイーハトーブを旅行しましたが
沢山の名作はほとんどが没後ですからね~。
どんこさん ステージのご成功おめでとうございます。
そしてお疲れさまでした。
さぁ 次は何をなさるのでしょう・・・ 目が離せません
私は午前中は庭松の古葉むしりでした。
どこをむしったのか一目見ただけは
分からないほどはかどらない作業です。
16歳とはあまりにも若すぎますよね。劇的すぎます。
当市に財力があれば記念館など立てて
そこを発信源として広く認知されていくのでしょうが
何かのパッとしたきっかけで、
知られるようになればいいのですが・・・。
ありがとうございます。私も縁があり
創作ステージ の仲間たちと親しくなれて、
大げさに言えば生きる張り合いみたいなものが出てきた感じです。
お疲れ様でした。
この方の名前を知らない人が多いですね。
私も四ツ山に登る坂道で詩碑が刻まれた岩を
見て、素晴らしい詩人だと知りました。
何とか海達公子さんの事を全国に知ってもらう
事はできないのでしょうか?
童謡詩人金子みすずさんのように!
いっぺんに金子みすゞのようには
いかないかもしれませんが
顕彰会の皆さんの地道な努力がゆくゆくは
今よりもっと市民にも広がり、
それをステップとして徐々に全国へ広がるように
願っています。
あの詩碑もすべて顕彰会の努力のたまものです。
千里の道も一歩より、と言いますからね・・・。
印象的です
それにしても残念ですね
余りに短い一生
もう少し長生き出来たらどんなにか素晴らしい作品が生み出された事か
でも、その短い生涯の中で沢山の素晴らしい詩が残されて
いて
天才少女は短い時間の中で一生分の詩を生み出して逝った戸のでしょうか
どんこさん、お疲れさまでした
ステージの紹介有難うございました
素敵なステージだった事をうかがい知る事が出来ました
そして海達公子さんの事もグット身近に感じる事が出来ました
心温まるありがたいコメント、
ありがとうございます。
来場者にハイクされるパンフレットも
42ページにわたる装丁で
保存用として永く活用できるようにしてありますよ。
公子の作品や年譜も入れてありますので
折に触れて活用していただければと期待しています。
今朝も快晴、冷え込んで秋らしい気候になりました。
私はあまりウォーキングにはいきませんが
みーばあさんにはこれからが本番でしょうね。
そろそろ紅葉も見ごろでしょうねぇ・・・。
大好評だった様子がブログからもうかがわれます。
お疲れさまでした。
それにしてもなんという短い命。
それも今であれば死ぬことはない虫垂炎で。
天才とはこういうものなのでしょうか。
創作劇は今回で3回目?
毎年開催のご苦労はいかほどかと思います。
皆さんの期待も大きいですね。
これからも頑張ってください。
お伝えできたようでうれしいです。
今月17日の締めくくりの会議をします。
来年度の方向性もここで話し合われると思います。
16歳とは本当に短命でしたよね。
やはり天才らしい最期だったのかも知れません。
創作ステージ は今回で8回目でした。
後2年で10回目になるのですよ。
そこまで私自身は頑張ることが出来るかどうかは分かりませんが・・・。