平成22年4月19日(月)
→![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_rain.gif)
市にある「宮崎兄弟の生家」で行われた牡丹茶会に西隣のKさんと野郎ばかりの二人で出かけました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/0d/f8363d1ab52b287bb70c241904d02917.jpg)
手前の白壁の館は有料の資料館になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/73/77a261415f738706161c2f3b245e6ae6.jpg)
この建物が兄弟の生家です。詳しくはリンク先をご覧ください。向こう側が牡丹園です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/57/58135655cfd40967d7ae42abcaf99733.jpg)
色とりどりの牡丹が咲き誇っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/8e/3204b06f762a67f02f993b13a6b4a021.jpg)
先客がありました。ご一緒にどうぞと言われましたが、ちょうどテレビ局のカメラが回っていましたので、Gパン姿の野郎では無粋だと遠慮しました。お茶を入れてくれたのは知り合いのMさんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/20/31bee6d14a01811c2ab083286e8fb9d3.jpg)
明治30年(1897)孫文が宮滔天夫妻を訪問している様子が再現されています。孫文の辛亥革命を支援した功績は有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/93/36d5bf75ce03389a2a7e80d59e2945e4.jpg)
生家を裏側から覗いてみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/06/840b862190c6a50585b5afdace3a105c.jpg)
宮崎兄弟を紹介した案内板です。かの柳原白蓮とゆかりがあると言えば、ああそうだったかと思い起こされるかも知れませんね。白蓮の夫となる宮龍介はこの宮崎滔天の息子です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_rain.gif)
市にある「宮崎兄弟の生家」で行われた牡丹茶会に西隣のKさんと野郎ばかりの二人で出かけました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/0d/f8363d1ab52b287bb70c241904d02917.jpg)
手前の白壁の館は有料の資料館になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/73/77a261415f738706161c2f3b245e6ae6.jpg)
この建物が兄弟の生家です。詳しくはリンク先をご覧ください。向こう側が牡丹園です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/57/58135655cfd40967d7ae42abcaf99733.jpg)
色とりどりの牡丹が咲き誇っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/8e/3204b06f762a67f02f993b13a6b4a021.jpg)
先客がありました。ご一緒にどうぞと言われましたが、ちょうどテレビ局のカメラが回っていましたので、Gパン姿の野郎では無粋だと遠慮しました。お茶を入れてくれたのは知り合いのMさんでした。
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明治30年(1897)孫文が宮滔天夫妻を訪問している様子が再現されています。孫文の辛亥革命を支援した功績は有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/93/36d5bf75ce03389a2a7e80d59e2945e4.jpg)
生家を裏側から覗いてみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/06/840b862190c6a50585b5afdace3a105c.jpg)
宮崎兄弟を紹介した案内板です。かの柳原白蓮とゆかりがあると言えば、ああそうだったかと思い起こされるかも知れませんね。白蓮の夫となる宮龍介はこの宮崎滔天の息子です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/be/808974e5567333dedd155d386c6b9e1c.jpg)
こう見えてもたまには粋がらないと干からびてしまいますかね(笑)。
そう言えばわれわれ以外はみなご婦人方ばかりでしたね。
別の場所に宮崎家ゆかりの洋館があったのですが
老朽化して壊されてしまいました。
宮崎家の子孫の方が保存には賛成されなかったと聞いています。
年中行事の一つになっています。
午前中は多くて、待ち時間も長かったと言われていました。
いやいや、ほんの少し読んでいるだけですよ。
>牡丹茶会に西隣のKさんと…
まぁ、粋な殿方たちですこと(笑)
荒尾市が誇れる宮崎兄弟の生家でお茶会とは
なんと、風情が満ち足りているのでしょう
ゆっくりと時間と共有して、庭園にたたずみたくなりました。
宮崎家の生家も整備されていますね。3年半ほど前、帰郷した時に訪れました。あまり、詳しいことは知りませんが、どんこさんは宮崎滔天さんの本なども読まれているのですね。
無料で見学できます。
資料館は210円の観覧料が必要です。
ご帰京の説には是非ご覧ください。私などはもう何回も行っています。
宮崎兄弟と孫文との話は聞いておりましたが、立派な資料館も出来ているんですね
帰郷の折、機会がありましたら行ってみたいと思います。
白蓮さんはどちらかと言えば悪いように取られていますが
こちらでは好意的に見られる傾向があります。
これは仕方のないことですよね。
時間が和解へと進んでくれたのでしょうね。
石橋見学の折にでも立ち寄られる機会があればいいですね。
Yと言う館長さんが時間などおかまいなしに熱弁をふるって説明をしてくれるはずです(笑)。
座敷には上がらずに縁側でいただきましたよ。
格式張らなくてもいい雰囲気でした。
来年行く時には正装して行こうかな(笑)。
資料館は入場料は必要ですが一見の価値があります。
ありがとうございました。
わが町の歴史の一端に興味をいだかれたことを
嬉しく思います。
昭和52年(1977)に地元新聞社から「美しい熊本」と言う絵文集が刊行されましたが、
その折りこの宮崎兄弟の生家を紹介した一文を書きました。
当時は生家は荒廃していましたが、
今は資料館も出来、立派に整備されて隔世の感があります。
父・長兵衛はそうも教え諭したと言われています。
長男八郎は熊本の自由民権運動の先駆者で、弟の民蔵、弥蔵、寅蔵(滔天)に大きな影響を与えたのでしょうね。
八郎は西南の役で戦死、民蔵は大逆事件で挫折、弥蔵は病死という劇的な兄弟の運命の中で
滔天は孫文と共に中国革命のために尽力していきます。
龍馬のように全国区的に知られていないのが残念ですが・・・。
孫文の前にいる髭面の人物が宮崎滔天です。その横は滔天夫人です。
文化や歴史の情報交換が出来てありがたいですね。
平凡社から刊行されている宮崎滔天全集(全4巻)は私も持っています。
旧制高校は熊本が五高、かの漱石や小泉八雲が教鞭をとり寺田寅彦、木下順二、池田勇人らが卒業生に名を連ねています。
岡山の六高の♪寮歌は大好きですよ。
私は筑豊に住んでいますので知っています。近年 伊藤家 宮崎家 が和解したとのことで、こちらでも宮崎家から贈られた白蓮の遺品などが展示されました。
こちらの案内でも 中国の偉い人が来たら 荒尾を訪れると紹介されますよ。
宮崎兄弟生家って最近 南関インターの案内板に書いてあるから行ってみたいと思っていました。
こんな立派な牡丹園があるんですね。季節に間に合いませんでしたがぜひ行きたいです。
ご紹介ありがとうございます。
(牡丹はどんこさんちのお庭の牡丹の風情がいいな。。)
牡丹が沢山咲いて綺麗ですね^^
茶話会正座が出来ない私
縁側に腰掛けましょうか
牡丹とお茶会のタイトルに惹かれて伺ったのですが、良い事を教えていただきました。
後で、人物伝を調べてみます。
牡丹の花を愛でての、お茶会は風情があったことでしょう~
近江地方ではまだ、牡丹は開花していませんが、早いですね。
こんな歴史のある場所でのお茶会があれば、何をさておいても、伺いたいです・・近ければ・・・
やはり外国をまたに駈けた人はそう多くは、この時代に居なかったでありましょう。
家風に伝わる
≫、「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と子供たちに教えたといわれています。
この一文から親の教育が伺え知れます。
この平成の時代に親が子にこのような躾をしたならばビックリものです。
教育は、その時代背景があるものとつくづく感じました。
掛け額を見ましても
≪天下為公≫
≪博愛行仁≫
左に位置する方が親であろうか・・・?
宮崎兄弟の事はじめて知りました。
牡丹とお屋敷の雰囲気がいいですね!
ジーパンではちょっとしびれそうですが…
そして、岡山と縁の深い郭沫若氏の事を思い出しました。
彼も、日中友好に尽力した人です。
留学して青年期の3年間六高で学び、後に
亡命して10年間岡山で過ごしました。
そして後に、六高時代に知り合った(佐藤をとみ)さんと結婚しました。
後楽園に最初に丹頂鶴を贈ったのは彼です。
まだ咲いているのもあるかも知れませんね。
それにしても
この天候不順は新政権の現状をはんえいしているのでしょうか。
わが家の牡丹は傘の下の方は辛うじて残っています。
牡丹の花は雨に弱かったですね~~
今日の雨で散ったかも。。。。
明日あたり、こっそり見に行ってみようかな・・・
中国からの訪問が絶えませんよ。
りっぱな資料館も出来ていますが
市民の関心が高いかと言えば
う~んと首をかしげたくなりますね。
滔天を主人公に北村和夫、宝生あや子主演で文学座が熊本市で上演したこともありますよ。
中学時代の英語の先生が宮崎家ゆかりの人でした。
日中両国の友好とアジアの平和発展に生涯をささげた宮崎兄弟がいたのですね。
昭和に入ってからの戦争が宮崎兄弟の努力を消してしまったといえますか。
歴史を学んでも教科書に載らないことは分かりません。知らないことがまだまだ多いこと。
紹介してくださったから知ることが出来ました。