平成18年12月9日(土)
戦後間もない小学3年の時、色の白い、背の高い少年が転入してきました。それが将基面(しょうぎめん)誠と言う人でした。満州から引き揚げてきて親戚の家へ寄留していると聞きました。私の隣の席になり、名前が同じで背丈も私と同じくらいだったこともあり、すぐ仲良くなりました。
ゆったりとした性格で私などよりはるかに大人のような雰囲気を持っていました。引き揚げのどさくさで勉強する時間もなかったろうに、勉強の良く出来る転入生でした。
ところが間もなく彼は横浜へ引っ越していきました。せっかく友だちになれたのに、別れがつらく、淋しい思いをしている私に、彼は約束通り横浜から手紙をくれました。保土ヶ谷の住所が書いてありました。天気のいい日は富士山がきれいに見える、と書いてあったので、富士山を見たこともない私はとても羨ましく思ったことを覚えています。
いつしか手紙のやりとりも途絶えてしまいましたが、将基面 誠と言う名前はずっと忘れずにいました。上京する度に東京や神奈川の電話帳でその名を探しました。しかし、見つけ出すことは出来ませんでした。
ついこの前の11月の下旬、偶然パソコンのサイトで「医師 将基面 誠・無医村に花は微笑む」の項目に出くわしました。まさに青天の霹靂でした。同姓同名かも知れないと思いつつもすぐ書籍を2冊取り寄せました。
届いた本の写真を見ると、顔の輪郭がそっくりで長身のがっしりした体躯は紛れもなく、九州の片田舎で出会ったあの時の少年を大人にしたような風貌でした。
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私は一気に読んでしまいました。片田舎の小学校の3年のわずかな時の流れの中で、私のそばを通りすぎていった少年が、人々の幸せのためにこんなにも大きな愛の足跡を残す大人になっていたことに得も言われぬ感銘を受けました。
写真の本は中身は同じですが表装が異なります。左側が定価1,300円、右側が新装版になっていて定価1,000円(いずれも税別)。【ごま書房】から発行されています。
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将基面さんは千葉大医学部をS37年卒業、S47年千葉県がんセンター婦人科医長に就任。しかし、S57年その職を投げ打って無医村だった岩手県田野畑村に夫人と3人の息子さん一家で移り住みます。引越荷の半分は夫人が村に植える梅の苗木だったと言うのにも驚きでした。
田野畑村へ行く決意をした年に春代夫人が発病(骨髄異形成症候群)されたことが判明しましたが、予定通り一家での転住でした。春代夫人は村に溶け込み、本の表題ともなっている無医村に花を微笑ませるのです。
辺地で頑張る医師はとかく「赤ひげ」的な存在でヒーロー化されますが、氏は敢えてそれを避け、己の力を「六、七割ほど発揮することで、あとは村民のためなら恥をかこうと心に言い聞かせて、県立病院などと」支援体制を確立していきます。こうした度量のある先を見越した努力が有能な若い村長のもとで結実していくのです。
着任して7年後、春代夫人は45歳の若さで帰らぬ人になりました。
巻頭には作家・吉村昭の【本書に寄せて】「すがすがしい読後感」があります。その中の一節です。
『田野畑村にあってこそ、氏は医学とは何か、人間とは、ということを知り得て、それをしかと身につけた。最愛の夫人の死の葬儀に、遠く三陸海岸から千葉県木更津市まで二百名の村民がバスをつらねて参列したことは、氏と村人たちの美しい心の交流が感じられる』と賞賛しています。
19年もの長きに亘って田野畑村に腰を据え、医療のみならず幅広く村に愛の灯をともし続けたのです。その足跡の手記が「無医村に花は微笑む」です。
吉村昭は、氏をモデルにした「梅の蕾」と言う作品を書きました。今年の1月、フジテレビ系でドラマ化され、三浦友和・伊藤蘭で放映されました。私は見ていませんが妻は偶然にも見ていました。
永年探し続けていた心の友が、今こうして私の中に著書を通して甦ったことに因縁めいたものを感じています。
私は真っ先にこの本を遠くにいる本好きの中2の孫に贈りたいと思いました。彼が心ある少年ならば必ずやこの本の真髄に触れ、心躍るものを感じるだろうと確信するからです。
出来れば若者に限らず多くの人々にも是非読んでもらいたいと思います。志を立てるとはどういうことか、人を愛すると言うこととは何か、人を動かすこととはどういうことなのか、この書にはその答えが自ずと示されているからです。
遠い旧友に手紙をしたためて、出版社に託して届けてみようかどうか、私はまだその答えを決めかねています。
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戦後間もない小学3年の時、色の白い、背の高い少年が転入してきました。それが将基面(しょうぎめん)誠と言う人でした。満州から引き揚げてきて親戚の家へ寄留していると聞きました。私の隣の席になり、名前が同じで背丈も私と同じくらいだったこともあり、すぐ仲良くなりました。
ゆったりとした性格で私などよりはるかに大人のような雰囲気を持っていました。引き揚げのどさくさで勉強する時間もなかったろうに、勉強の良く出来る転入生でした。
ところが間もなく彼は横浜へ引っ越していきました。せっかく友だちになれたのに、別れがつらく、淋しい思いをしている私に、彼は約束通り横浜から手紙をくれました。保土ヶ谷の住所が書いてありました。天気のいい日は富士山がきれいに見える、と書いてあったので、富士山を見たこともない私はとても羨ましく思ったことを覚えています。
いつしか手紙のやりとりも途絶えてしまいましたが、将基面 誠と言う名前はずっと忘れずにいました。上京する度に東京や神奈川の電話帳でその名を探しました。しかし、見つけ出すことは出来ませんでした。
ついこの前の11月の下旬、偶然パソコンのサイトで「医師 将基面 誠・無医村に花は微笑む」の項目に出くわしました。まさに青天の霹靂でした。同姓同名かも知れないと思いつつもすぐ書籍を2冊取り寄せました。
届いた本の写真を見ると、顔の輪郭がそっくりで長身のがっしりした体躯は紛れもなく、九州の片田舎で出会ったあの時の少年を大人にしたような風貌でした。
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私は一気に読んでしまいました。片田舎の小学校の3年のわずかな時の流れの中で、私のそばを通りすぎていった少年が、人々の幸せのためにこんなにも大きな愛の足跡を残す大人になっていたことに得も言われぬ感銘を受けました。
写真の本は中身は同じですが表装が異なります。左側が定価1,300円、右側が新装版になっていて定価1,000円(いずれも税別)。【ごま書房】から発行されています。

将基面さんは千葉大医学部をS37年卒業、S47年千葉県がんセンター婦人科医長に就任。しかし、S57年その職を投げ打って無医村だった岩手県田野畑村に夫人と3人の息子さん一家で移り住みます。引越荷の半分は夫人が村に植える梅の苗木だったと言うのにも驚きでした。
田野畑村へ行く決意をした年に春代夫人が発病(骨髄異形成症候群)されたことが判明しましたが、予定通り一家での転住でした。春代夫人は村に溶け込み、本の表題ともなっている無医村に花を微笑ませるのです。
辺地で頑張る医師はとかく「赤ひげ」的な存在でヒーロー化されますが、氏は敢えてそれを避け、己の力を「六、七割ほど発揮することで、あとは村民のためなら恥をかこうと心に言い聞かせて、県立病院などと」支援体制を確立していきます。こうした度量のある先を見越した努力が有能な若い村長のもとで結実していくのです。
着任して7年後、春代夫人は45歳の若さで帰らぬ人になりました。
巻頭には作家・吉村昭の【本書に寄せて】「すがすがしい読後感」があります。その中の一節です。
『田野畑村にあってこそ、氏は医学とは何か、人間とは、ということを知り得て、それをしかと身につけた。最愛の夫人の死の葬儀に、遠く三陸海岸から千葉県木更津市まで二百名の村民がバスをつらねて参列したことは、氏と村人たちの美しい心の交流が感じられる』と賞賛しています。
19年もの長きに亘って田野畑村に腰を据え、医療のみならず幅広く村に愛の灯をともし続けたのです。その足跡の手記が「無医村に花は微笑む」です。
吉村昭は、氏をモデルにした「梅の蕾」と言う作品を書きました。今年の1月、フジテレビ系でドラマ化され、三浦友和・伊藤蘭で放映されました。私は見ていませんが妻は偶然にも見ていました。
永年探し続けていた心の友が、今こうして私の中に著書を通して甦ったことに因縁めいたものを感じています。
私は真っ先にこの本を遠くにいる本好きの中2の孫に贈りたいと思いました。彼が心ある少年ならば必ずやこの本の真髄に触れ、心躍るものを感じるだろうと確信するからです。
出来れば若者に限らず多くの人々にも是非読んでもらいたいと思います。志を立てるとはどういうことか、人を愛すると言うこととは何か、人を動かすこととはどういうことなのか、この書にはその答えが自ずと示されているからです。
遠い旧友に手紙をしたためて、出版社に託して届けてみようかどうか、私はまだその答えを決めかねています。
ぜひ出版社に連絡されるといいと思いますよ。
「無医村に花は微笑む」 読みたいと思います。
実は私も石橋の記事が終わったら・・・と思っていたんですが どんこさんと同じですよ。
でもこちらは私のかかりつけのお医者さんです。
「タナトスの宴」という本を出されています。
追伸 どんこさんのお名前 み~つけた!
熱心に捜索(?)されるお姿、どれもとても感動的です
やはりこういう方は、少年時代から何か人の心に残るものを与えてくれてるのですね。
東京や神奈川の電話帳にお名前が見つからなかったのは、田野畑村に行かれてたからか。。。
ドラマが再放送されるといいな!
それにしても将基面先生の苗字が珍しい苗字でよかった?!
田中誠さんとか山本誠さんとかだったら、気付かないところでしたね(^-^;
お手紙書かれてはいかかですか?
励みになりこそすれ、決して迷惑にはならないし、きっと先生も
どんこさんのことを覚えていらっしゃいますよ(^^)
数日後にはこのブログに将基面先生のコメントがついてたりして?!
○これは、素晴らしい再会?になるでしょう。
是非手紙を出した方が、賢明と思います。きっと語りつくせない物語があり奥さんを亡くした先生への励ましとなるかも知れません。
ふと思い出しました。
いま、雑誌『ラジオ深夜便2005・6月号no59号』を見ている。
「村医者の365日~地域医療、野の先達に導かれ」
おそらく、将基面 誠先生もご存知かと思われる。『色平哲郎先生』
この人を思い出してしまいました。
98年から長野県・南相木村国保直営診療所の所長として、家族ともども暮している。「金持ちより心持ちになろうがモットウという色平さんが、住民のために応える医療をしようと、人間医療の大切さを語った。
ラジオの深夜便で聴き、感銘を覚えたので本を求めて読んだ。
どんこさんのお知り合いの先生もおそらくこの先生のように、無医村の医療を何とかしなければ・・・という事で赴任したのでしょう。
是非手紙をしたためてお互いの近況を語り合うべき・・・・と、縄文人は思いました。
賢明なるどんこさんの、ご判断を・・・・・
本を買い求めて読んで見たいと思います。
長くなりました。失礼します。
「無医村に花は微笑む」を読んでくださいね。私も「タナトスの宴」を手に入れて読みます。
こちらの名前はもう忘れておられるかも知れませんが、折を見て手紙を出そうかと思っています。
何人かの同級生に「将基面 誠」と言う転入生のこと、覚えている?と聞いてもほとんど覚えていないのですよ。
名前、ばれちゃいましたね。
「しょうぎめん まことくん」と先生が紹介されたとき、みんなは一様にきょとんとしました。「将棋」と書くのかと思ったら違っていました。将棋とは全然関係ないとのことです。
ご本人も本の中で「一度で名まえをもらえる、あるいは関心を持ってもらえるころは、概ねありがたいことだ。」の述べています。
大学が千葉で、しかもそちらで勤務されていたので東京や神奈川の電話帳で見つからなかったはずですね。
ドラマは見たいですね。アンコールしましょうか。
何だか、生きていて良かったと言う思いです。あの時の担任の女先生は若くして亡くなられました。
将基面 誠さんの「無医村に花は微笑む」のブログにこのような心温まるコメントをいただき深い感動を覚えています。
世の中にはまだ知り得ないでいる真に偉大な方々がいらっしゃるのですね。
色平哲郎先生の「村医者の365日~地域医療、野の先達に導かれ」も必ず読みたいと思います。家族と移り住む、と言うところも共通点がありますね。
このブログを通して何よりも嬉しいことは、私が受けた感動をみなさんが共有してくださっていることです。心からお礼を申し上げたいです。
真摯な生き方に触れると同時に、この感動が少しでも広まってくれればいいと願っています。
縄文人さん、いろいろな情報と励まし、ありがとうございました。
貴重なエピソードを教えてくださってありがとうございます。
幼い頃に出会った人同士が
それぞれの道を歩まれて
そして再会する…
そのことでまたお互いの人生に深みが増す…
ような気がします。
若輩者の私が言うと生意気みたいですけど。
手紙でも実際でも再会されたら
また良いお話が聞けることと思います。
良かったら…
教えてください。
将基面さんが転入してきた当時の学校は新築移転し、今は公園になっていて、当時を偲ぶものは大榎2本だけです。しかし、思い出はしっかりと胸に刻まれています。
この前中学の同窓会をしましたが半世紀ぶりに会った人もいました。これも偶然ですが一番遠くから来たのは千葉の佐倉からでした。
やっと本で巡り会っただけで、まだ実際会えるかどうかは分かりませんが、もしそう言う再会が実現したらこのブログで報告したいと思います。
orangutansmomoさん、若いあなたから元気をいっぱい貰ったような気分です。ありがとうございます。
じっくり、ゆっくり、読まさせていただきました。
感動しました。
嬉しい話ですね。
こういう方が、まだ、日本に、みえるのですね。
されも、お知り合いだったとは、・・・。
感激ですね。
縁ですね。
こんな素敵な話、・・・・。
感無量です。
ありがとうございました。
とても嬉しく思いました。じっくり読んでいただいてとてもありがたく思いました。
私たちがまだ知らない所で、地道に世の中の光となって汗を流していらっしゃる方々がいらっしゃるのですね。
将基面さんはたまたま本をお書きになったので大勢の方にも知られ、偶然私の目にも止まることが出来ました。
世の中に知られず、黙々と尊い仕事をされている人へも思いを馳せています。