私は中学時代、個人のお宅でされていた塾に通っていました。宣伝等は全くしていなかったのですが、口コミでどんどん生徒が入ってきて、いつの間にか同じクラスの友人も来ていることもありました。大手の塾が皆無だった時代ですので、当時としては、かなり有名な塾になっていたと思います。先生は温和でしたが、だからこそ、生徒の自主性が育てられました。
もう一つ、噂をよく耳にした“高橋塾”という塾があります。その塾は、隣の地域の中学校の近くにあったので、私は通いませんでしたが、とにかく指導の厳しさで有名でした。今では教育業界では死語になりつつあるスパルタ指導です。厳しいにもかかわらず、入塾希望の生徒は絶えないという話もよく聞きました。
いつからでしょうか。学校・塾等の教育現場において指導者のカリスマ的存在感が薄れ、その代わりに保護者の発言力が増してきて、子どもたちの勉強に向かう精神力も変わってきたように思います。
保護者や生徒の希望に沿う形の教育を提供するのは当然の姿かもしれませんが、その一方で、教育の個性が失われ同質化してしまっているのではないか・・・と、自分が受けてきた学校と塾教育に思いを馳せました。
もう一つ、噂をよく耳にした“高橋塾”という塾があります。その塾は、隣の地域の中学校の近くにあったので、私は通いませんでしたが、とにかく指導の厳しさで有名でした。今では教育業界では死語になりつつあるスパルタ指導です。厳しいにもかかわらず、入塾希望の生徒は絶えないという話もよく聞きました。
いつからでしょうか。学校・塾等の教育現場において指導者のカリスマ的存在感が薄れ、その代わりに保護者の発言力が増してきて、子どもたちの勉強に向かう精神力も変わってきたように思います。
保護者や生徒の希望に沿う形の教育を提供するのは当然の姿かもしれませんが、その一方で、教育の個性が失われ同質化してしまっているのではないか・・・と、自分が受けてきた学校と塾教育に思いを馳せました。